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最も印象に残っている
Jリーグ助っ人外国人選手(8)
マルキーニョス(東京ヴェルディ、横浜F・マリノス、
ジェフユナイテッド市原、清水エスパルス、
鹿島アントラーズ、ベガルタ仙台、ヴィッセル神戸/FW)
1993年にスタートしたJリーグでは、これまでに世界的な有名選手が数多くプレーしてきた。なかには、過去の実績に比して、期待外れに終わるケースもあったが、その多くが相応のインパクトを残してきた。
ストイコビッチ、ジーコ、ドゥンガ、ブッフバルト、リトバルスキーなど、往年の選手はもちろん、現在、ヴィッセル神戸に所属するイニエスタもその筆頭格だろう。誰もが甲乙つけがたい。
ともにワールドカップ得点王にして、どちらかと言えば期待外れに終わった感の強いストイチコフやフォルランにしても、今でも語り草になるような”一発”を見せてくれた。その意味で言えば、彼らにしても、必ずしもハズレだったわけではない。
ただし、サッカーがチームスポーツである以上、やはり所属チームがどんな成績を残したかは、選手の評価を考えるうえで重視すべきポイントだろう。
つまり、重要なのは、選手個人として、どれだけ優れたプレーを見せたか、だけではなく、いかにチームを勝たせたか。その視点に立ったとき、Jリーグ史上最強助っ人に最もふさわしいと思うのは、横浜F・マリノスや鹿島アントラーズで活躍したFWマルキーニョスだ。
マルキーニョスが、日本でのキャリアをスタートさせたのは、2001年夏。”Jリーガー・マルキ”は、当時2ステージ制だったJ1のセカンドステージから始まった。
その年、ファーストステージを最下位(16位)で終えた東京ヴェルディは、J2降格を免れるべく、セカンドステージを前にふたりのブラジル人選手を獲得している。そのひとりがマルキーニョスだった。
25歳のブラジル人FWは、身長174cmと身体的にも”人並み”で、目立った実績もなかったが、来日1年目にして日本のサッカーにフィット。14試合に出場し、8ゴールを叩き出す活躍で、東京Vをセカンドステージ9位へと押し上げ、年間14位でのJ1残留へと導いた。
そして、2003年に横浜FMへ移籍すると、肉離れなどのケガもあり、フル稼働はできなかったが、それでもFW久保竜彦に次ぐ、チーム2位の8ゴールを記録。2ステージ両制覇の完全優勝に貢献している。数字だけを見れば、スーパーな成績を残しているわけではないが、それが確実にチームの成績アップにつながっている。それが、マルキーニョスのスゴさである。
なかでも、マルキーニョスの存在価値が最も高まったのが、2007~2009年。すなわち、鹿島が3連覇を成し遂げた3シーズンである。Jリーグ史上ただ一度しか成し遂げられていない偉業を、このブラジル人ストライカー抜きに語ることはできない。
Jリーグ誕生以来、他クラブを圧倒する20冠を獲得してきた鹿島だが、そのスタイルはというと、4-4-2をベースにした極めてオーソドックスというか、クラシカルなものである。その時々で最先端の戦術を採り入れるわけではなく、能力の高い選手がそれぞれのポジションでそれぞれの役割をこなし、とにかくバランスを崩さず、戦うことで安定した成績を残してきた。
この2年ほどは、そうしたやり方の限界が見え、タイトルから遠ざかる結果になってはいるが、それはさておき、バランス重視で無理をしない戦い方で勝ち切るためには、決定力の高いストライカーが不可欠だった。
3連覇を成し遂げた当時にしても、鹿島は圧倒的な強さで相手をねじ伏せていたわけではない。たとえば、2007~2009年シーズンの鹿島の総得失点差は2007年から順に、+24、+26、+21。通常、優勝チームなら+30を超えてもおかしくないのだが、鹿島はすべて+20点台にとどまっている。
また、同じく総得点を見ても、60、56、51と、すべて60点以下。優勝チームのなかには、総得点が70点を超える例があることを考えれば、これもかなり少ない数字だ。
つまり、当時の鹿島は圧倒的な攻撃力を誇り、どこからでも点が取れるというチームではなかった。手堅くゲームを進め、ピンチも少ないが、チャンスも少ない。そんな際どい戦いのなかで、少ないチャンスを確実に生かしてくれたのが、マルキーニョスだったのだ。
30歳を過ぎ、円熟味を増していた点取り屋は、豊富な経験に裏打ちされた正確な技術と判断で、ゴールパターンも多彩だった。味方にお膳立てしてもらったワンタッチゴールばかりでなく、少々遠目だったり、難しい角度だったりしても、正確にゴールの四隅へシュートを蹴り込める技術を備えていた。
マルキーニョスは3連覇を成し遂げた3シーズンで、常にチーム得点王だったが、とりわけその価値を高めたのが、2連覇を成し遂げた2008年シーズンである。
このシーズン、マルキーニョスは21ゴールを決めてJ1得点王を獲得。合わせて、シーズンMVPにも選ばれている。
しかも、マルキーニョスが優れているのは、ひたすらエゴイスティックに自分のゴールだけを狙うわけではないところだ。前線からよく走って相手ボールを追い、プレスバックも忠実にこなす。バランスを重視し、組織的な守備をベースにする鹿島の戦い方に、しっかりと適応していた。いや、それどころか、範を示す働きを見せていた。
加えて、巧みなチャンスメイクもでき、2トップのパートナーを生かすこともできる。田代有三、興梠慎三、大迫勇也ら、若手FWの能力を引き出し、開花させたという意味でも、チームへの貢献度は大きかった。
ちなみに、大迫のプロ(公式戦)初ゴールをアシストしたのもマルキーニョスだ。AFCチャンピオンズリーグの上海申花戦で、クリア気味のロングボールを拾って独力でキープし、ペナルティーエリアへ進入。相手DFを十分に引きつけたうえで、大迫へラストパスを送っている。
4連覇を逃した2010年限りで鹿島を離れたあとも、横浜FMと神戸で3季連続ふた桁ゴール(2012~2014年)を記録するなど、高い得点能力を発揮。2001年から(途中、東日本大震災をきっかけに、一度ブラジルへ戻ったことはあるが)およそ15シーズンに渡ってJ1でプレーし、そのうち10シーズンでチームのトップスコアラーとなっている。つまり、期待外れに終わったシーズンが非常に少ないということだ。
J1通算のゴール数は、実に152。これは、外国人選手としては歴代最多であり、日本人選手を加えても歴代5位となる数字である。Jリーグで長く活躍し、複数のクラブでコンスタントに勝利に貢献してきたという意味で、歴代最高の評価にふさわしい選手だった。