日刊鹿島アントラーズニュース

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2019年8月9日金曜日

◇Jリーグが「鳥の会」を通じて環境問題への取り組みへ(デイリー)






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 Jリーグは8日、都内で環境保護団体「バード・ライフインターナショナル東京」との協働活動宣言を行った。同団体は絶滅危惧種など重要な鳥類や、その生息地の保全などに取り組んでおり、今後はJクラブの中で、鳥をモチーフとした全18クラブのマスコットたちで結成された「Jリーグ鳥の会」を通じ、環境問題への取り組みを行っていく。

 協働活動宣言の調印式には、国際環境NGOであるバードライフ・インターナショナルの名誉総裁である高円宮妃久子さまも立ち合われた。妃殿下は集まったJクラブのマスコットたちに「いよいよ、これで卵が生まれました。皆さんは地元で活躍してこられましたが、これからは発信力を使って、環境を守っていこうというメッセージを送りましょう」と言葉をかけられた。

 Jリーグの村井チェアマンは「Jリーグをスタートに環境問題への取り組みをしていきたい。多くの環境問題に対しての知見をお持ちの団体なので、これからJクラブを通じて環境問題への啓発活動などを行っていきたい」。バードライフ・インターナショナル東京の鈴江恵子代表は「サッカーが大好きな子供たちにも、環境問題のことを知ってもらい、考えていくきっかけとなれば」と期待を寄せていた。


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◇Jリーグが「鳥の会」を通じて環境問題への取り組みへ(デイリー)


◆谷間の世代・初代主将、羽田憲司。 今も残る悔恨と鹿島コーチでの野心。(Number)



羽田憲司 Kenji.Haneda


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 サッカー界で「谷間の世代」と言えば、アテネ五輪に22、23歳で出場した、1981年(及び1982年)生まれを指す。
 10代のころから「黄金世代」と比較され、あまり評価をされてこなかった世代だ。だが、そんな評判を覆すように、彼らのなかからはJ1リーグの得点王や、クラブのレジェンド的存在が生まれている。
 当事者である彼らは世間の評価をどう受け止め、どう成長していったのか。今年38歳となり、現役を続ける者が少なくなってきたいま、彼らの証言から「谷間の世代の真実」を探る。今回は代表チームでキャプテンを務め、鹿島アントラーズなどにも在籍した羽田憲司に訊いた。


 天気のよい平日の昼下がり。鹿島アントラーズのクラブハウス内にある一室で待っていると、ほどなく、練習を終えた羽田憲司がジャージ姿のままやってきた。

「インタビューされるのなんて、久しぶりだな」

 2012年シーズンを最後に、ヴィッセル神戸で現役を引退した羽田は、セレッソ大阪のアカデミーとトップチームで3年間コーチを務めた後、2016年シーズンから、自身がプロ選手としてのキャリアをスタートさせた、古巣・鹿島にトップチームのコーチとして復帰。以来、指揮官の右腕となり、クラブ通算20冠を達成した常勝軍団を支えている。


最初は“谷間”を意識してなかった。


 今回の取材テーマは、「谷間の世代」。もちろん、事前に伝えてある。

「もうかなり前のことだし、ちゃんと思い出せるかな」

 日焼けした顔にはしわも目立つようになってきたが、軽口とともに見せる人懐っこい笑顔は、約20年前から変わっていない。

 2000年1月、18歳の羽田は至福の瞬間を味わっていた。

 第78回全国高校サッカー選手権大会。千葉県代表の市立船橋は、松井大輔らを擁する鹿児島県代表の鹿児島実業を決勝で2-0と下し、3度目の優勝を成し遂げた。しかも1回戦から決勝まで、相手に1ゴールも許さない無失点優勝。そんなスキのないチームのキャプテンを務め、鉄壁を誇るディフェンスの中心にいたのが羽田だった。

 世代屈指のセンターバックは高校卒業後、鹿島入り。一方で、同世代の選手が集まるU-20日本代表にもチーム立ち上げ当初から選ばれ、そこでもキャプテンを務めた。当時のU-20代表とは、すなわち、谷間の世代と呼ばれた選手たちである。

「そう言われていたのは知っていました。ふざけて『オレたち、谷間だからさ』とか言い合っていたこともあったと思います(笑)。でも、いい選手はたくさんいたので、(実力的には)谷間ではなかったと思うし、当時はそれほど意識していませんでした」


経験値は他の世代よりもなかった。


 とはいえ、同世代の選手のなかに、所属クラブでコンスタントに出場機会を得ていたのは数人程度。加えて国際経験という点でも、U-17世界選手権(現U-17ワールドカップ)はおろか、そのアジア予選を経験している選手すらほとんどいなかった。

「経験値としては、他の世代よりもなかったんじゃないかな。たぶん、それはみんな感じていたと思います。だから、海外遠征にすごくたくさん行きましたよね。今の時代なら、アントラーズでも育成年代はどのカテゴリーでも海外へ行くし、珍しくはないけれど、当時はそうではなかった。

 僕らは経験がないから、厳しい環境を経験させるためにやってくれているんだな、と。当時もそう思っていましたが、自分が指導者になってみて、それをより強く感じます」


今でもずっと、自分のせいだと。


 ところが、彼らは、自分たちが谷間などではないことを証明するはずだった舞台――2001年6月、アルゼンチンで行われたワールドユース選手権(現U-20ワールドカップ)で、グループリーグ敗退に終わる。





「自分のせいだって思いました。グループリーグを突破できなかったのは自分のせいだって。ずっと思っていたし、それは今でも思っています」

 今もなお、羽田の心のなかに深く根を張り、生き続ける悔恨である。

 ワールドユース開幕をおよそ1カ月半後に控えた2001年5月、羽田はJリーグでの試合中に腰椎横突起骨折のケガを負った。当初の診断結果は、全治1カ月から1カ月半。ワールドユース出場は、もはや絶望かと思われていた。

 しかし、2週間の安静の後、リハビリを始めた羽田を、U-20代表監督の西村昭宏は「本番では戦力になると判断した。初戦が大事なので、グループリーグから使いたい」と、登録メンバーに加えることを決断。出発直前の国内キャンプにも参加せず合流する、異例の扱いだった。

 当時のU-20代表の主戦システムは、3-4-2-1。フィリップ・トルシエが率いるA代表の影響もあり、最終ラインは「フラット3」が採用されていた。3人のDFの中央を務め、しかもキャプテンである羽田は、このチームに不可欠な存在だったのである。


初戦でまさかのオウンゴール。


 急仕上げで、どうにか間に合わせた大舞台。だが、およそ1カ月間ピッチから離れていた影響は、決して小さなものではなかった。

 グループリーグ初戦の相手は、オーストラリア。日本は初戦の緊張から硬さが見られたが、ボールポゼッションでは上回り、優勢に試合を進めていた。

 羽田を欠いて以降、不安定さを見せていた守備も、DFラインの要が復帰したことで、明らかに落ち着きを取り戻していた。当時の羽田も試合後、「前半のDFラインはパーフェクト。行けるぞ、っていう感じがみんなにあった」と、コメントしている。

 ところが59分、思わぬ落とし穴が待っていた。

 左サイドから入ってきた低く速いクロスに、ゴール前の羽田が体勢を崩しながら懸命に足を伸ばす。しかし、左足に当たり損ねたボールは自陣ゴール方向へ跳ねると、不運にも絶妙なループシュートとなってGK藤ヶ谷陽介の頭上を越えた。

「試合の入りもよくて、どこかで点が入れば(勝てる)っていう感じだったんですけど、まさかのオウンゴールで……。そこから、自分たちの経験のなさだったのか、チーム全体がバタバタしてしまいました」


「なぜここで?」って感じでした。


 そして羽田は、再び自責の念を口にする。

「あのオウンゴールがすべてだった。自分はずっとそう思っています。そのインパクトが強すぎて、自分がどういう気持ちであの大会に臨んでいたのか、そういうことを覚えていないというか、オウンゴール以外の記憶が薄れています。

 この世代の中心でやってきた自負もあったし、キャプテンもやらせてもらっていたから、チームを引っ張っていこうっていう意識でやっていました。だから、余計に責任を感じた。流れがよかったのに、『あそこでキャプテンがオウンゴールするか?』って。自分でも、『なぜここで?』って感じでした」

 大事な初戦を落とした日本は、続く第2戦でもアンゴラに1-2で敗れて2連敗。最後のチェコ戦でようやく本来の力を発揮し、3-0で快勝したものの、時すでに遅し、だった。

 1勝2敗のグループ最下位。日本がこの大会でグループリーグ敗退に終わるのは、開催国枠で出場した1979年大会を除けば、初めてのことだった。


3年後にはアテネ五輪がある。


「最後の試合では、自分たちが今までやってきたサッカーを出して、ああいう結果になったから余計に悔しかったし、複雑な気持ちでした。みんなも『なんでこれをもっと早くできなかったんだろう』って思いながらプレーしていたと思います。あれを最初からやれていれば、間違いなく決勝トーナメントにも行けただろうし……」

 羽田は18年前の記憶をたどりながら、ゆっくりと言葉をつなぐ。

「そこらへんが、結局は経験のない谷間の世代だったのかなって。初戦はやっぱり、みんな緊張していましたよね。そこに経験のなさが出たというか、プレッシャーのかかる経験をしたことがないっていうのが出たんじゃないかと思います」

 2年前の前回大会で準優勝という偉業を成し遂げた、小野伸二ら、いわゆる「黄金世代」との比較も手伝い、この結果が谷間の世代なるネガティブなイメージをさらに強く印象づけたのは間違いない。

「やっちまったと思いました」


 それが羽田の本心だった。

 敗戦の責任をひとりで背負い込んだ羽田は、しかし、キャプテンとして「このままでは終われない」とも考えていた。そこで羽田は、日本へ発つ前に選手だけをホテルのミーティングルームに集め、ひとりひとりが思っていることを言い合う時間を作った。

 3年後にはアテネ五輪がある。その先にはA代表もある。このメンバーが全員オリンピックへ行けるわけじゃないけど、それぞれがクラブで活躍して、できるだけ多くオリンピックに出て、この借りを返そう。そんなことをそれぞれが口にした。


帰国してから足首痛に襲われた。


 当然、羽田自身もそのつもりだった。

「アントラーズでレギュラーを取って、A代表に選ばれるんだ。自分ではそう思って、ギラギラしていたというか、若かったし、変な自信もありました」

 だが、羽田の夢がかなえられることはなかった。というより、羽田はその後、満足にプレーすることさえできなくなる。

 アルゼンチンから帰国して、およそ2カ月後の2001年8月。羽田はJリーグの試合を終えた翌週の練習中、ふいに足首に違和感を覚えた。

「その後も練習を続けていたんですけど、とうとう我慢できなくなって……」


3年11カ月ぶりの公式戦出場。





 足首は「腫れが引かなくて、歩くのも痛かった」が、痛みの原因は不明。検査と手術を繰り返しても一向によくなる気配がなかった。ジーコのつてをたどってブラジルへ渡り、ようやく現地のドクターによって原因が特定されたときには、最初の違和感から1年以上が経過していた。

 一緒にワールドユースを戦った仲間が、アジア予選の死闘を経て、アテネ五輪を戦っていたころは、ほぼ丸2年を要したリハビリの真っただ中だった。

「長く休んでいる間にみんなが成長していくのを見ていたら、同年代なのに、すごく遠くへ行ってしまった感じがしました」

 対照的に自分自身は、ボールを蹴るどころか、走ることもできず、「精神的に大変だった。意識的にサッカーから離れていたというか、先の見えない日々に病んでいました」。

 ようやく、練習に復帰できたのは2004年のシーズン後半戦。翌2005年7月のJリーグ復帰戦は、ヤマザキナビスコカップ(現ルヴァンカップ)を除けば、実に3年11カ月ぶりの公式戦出場だった。


31歳での引退に未練はなくとも。


 だが、ケガとの戦いは、これで終わったわけではなかった。痛みから完全に解放されることはなく、加えて、およそ4年のブランクは想像していた以上に大きかった。

「復帰してから、自分のプレースタイルが変わったというか、変わらざるをえない状況になったときに、『もう上は目指せない。A代表は無理だな』と思いました。そこからは、同世代の選手たちのこともライバルではなく、頑張れっていう気持ちで見ていました。もちろん、Jリーグで対戦したときには勝ちたいけど、誰かがA代表に選ばれても、うらやましいとか、そういう感情はなかったです」

 結局、羽田は思うようなプレーができないまま、セレッソ大阪、神戸へと移籍した後、31歳でスパイクを脱いだ。将来を嘱望され、世代の先頭を走っていた頃を思えば、あまりに短い現役生活だった。

「僕の場合、引退を決断するのは簡単でした。復帰した後も、ずっと足の痛みを我慢しながら、毎日薬を飲んでいる状態でしたから。だから、未練はなかったです。逆に、この足でよくここまでやったなって思います」

 ただ、と言って、羽田が続ける。

「不本意でしたけどね、自分のプロサッカー人生は」




◆谷間の世代・初代主将、羽田憲司。 今も残る悔恨と鹿島コーチでの野心。(Number)





◆大迫勇也インタビュー、「考える力」を養ったバス通学(サッカーキング)



大迫勇也 Yuya.Osako


Jリーグサッカーキング 2019年 3月号


 大迫勇也は日本代表に欠かせない存在だ。前線でボールを収めて味方に時間とスペースを与えることもできるし、ボールキープからターンをして自ら前に運ぶことだってできる。フィジカルで負けない大迫のプレーは頼もしい。けれど、彼の武器はそれだけではない。

 インタビュールームに入ると、大迫が笑顔で迎えてくれた。まずは簡単に昨シーズンの振り返りをしてもらい、アイスブレイクも兼ねてサッカーのことからプライベートな質問までランダムにぶつけていく。大迫の表情が緩んだのは、学生時代の話を聞いたときだった。

「中学、高校とバスで1時間かけて通っていたんです。その1時間って、すごくもったいない気がするじゃないですか?」

 する。1時間もあれば体のケアや睡眠時間に当てられる。しかし彼に言わせれば、頭を使う貴重な時間だったという。「一人だから、ずっとサッカーのことを考えられる。友達といたら考えないでしょう? だから良かったんだと思います。今振り返ると、その時間は僕にとってとても大きなものだった。あの頃、考えるクセがつきました」

 当時はまだ、今のようにスマホで手軽に動画を見られる環境ではない。だから大迫は頭の中にプレーシーンを思い浮かべて、ああでもないこうでもないとシミュレーションを繰り返した。家に帰ると答え合わせをするように、祖父が撮影してくれていた試合の映像をチェックする。バスに揺られながら描いた理想像と実際のプレーにギャップがあることもしばしばで、その差を埋める作業がまた難しい。

「まずは自分を冷静に客観的に見ることができないといけない。特に相手との距離感は実際に、ピッチで体感しないと分からないですから。時間をかけてプレーに落とし込んでいくしかない」。往復2時間のバス通学で養った「考える力」は、大迫の成長を促した。今も試合後は一人でボーッとしていることが多いですね、と言う。





こちらからの質問に表情が緩んだ場面がもう一つある。「育児のマイルールは?」と聞いたときだ。「ルールはないです。僕もオムツは替えるし、抱っこもするし、寝かしつける。まあ、なかなか寝てくれないですけどね。上の子は4歳なので、公園で一緒に遊べるようになりました」。マイブームは滑り台かな、と言って楽しそうに笑う。「砂場で遊んだり、滑り台で遊んだり。子供が喜んでくれると、こっちもうれしくなります」と話す大迫は、すっかり父親の顔に戻っていた。放っておいたら何時間でもサッカーのことを考えてしまう彼にとって、家族との触れ合いはほっと一息つける時間なのだろう。

 大迫はここまで順風満帆なサッカー人生を歩んできたように見える。しかし、2007年のU-17ワールドカップ、2012年のロンドンオリンピックは最後の最後でメンバー落ち。2014年のブラジル・ワールドカップでは初出場するも無得点と涙をのんだ。大迫は、そのすべてがターニングポイントだったと語る。

「僕は失敗をたくさんしているし、失敗はやっぱり悔しい。でもだから成長できる。ここで頑張れば、と切り替えられる力は、他の誰よりもあると思っています。やっぱり考えることが大事なんですよ。それをずっとやってきたから、今につながっている」。自分を客観視して、何をすべきか考えて、行動に移す。そうやって挫折を力に変えることができることもまた彼の強みだ。

協力・写真=ナイキジャパン
取材・文=高尾太恵子


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◆鹿島アントラーズvs横浜F・マリノス 第22節(サンスポ)






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 ・鹿島対横浜FMの通算59試合では、鹿島が29勝8分22敗と勝ち越している。鹿島にとって横浜FM戦は清水戦、名古屋戦に次いで3番目に総失点数の多い対戦カード(清水戦:80失点、名古屋戦:79失点、横浜FM戦:77失点)。

 ・鹿島は横浜FM戦直近4試合で3敗している(1勝)。今カードでのそれ以前の21試合で喫した敗戦数と等しい(12勝6分3敗)。

 ・鹿島はホームでの横浜FM戦で現在、5試合連続無失点であり6連勝中。現在進行中の本拠地での連勝としては、東京V戦(2001年11月~2008年8月)と並び、チームベストを記録している相手。

 ・鹿島はホーム戦で現在9試合連続無敗(8勝1分)。また、本拠地での直近17試合でもわずか1敗しかしていない(12勝4分)。

 ・横浜FMはアウェイ戦で現在、4試合連続で複数得点を挙げている(2勝2敗)。敵地での同一シーズン内では、2004年5月~8月以来のこと(当時5試合連続)。

 ・鹿島と横浜FMは今季、先制点を挙げた試合での勝利数がリーグ最多タイ(10勝:川崎、FC東京と並び)。また、鹿島は先制点を挙げた試合数が今季リーグ最多タイ(13試合:川崎と並び)。

 ・鹿島は今季得点数がリーグ最多であり(37点)、対する横浜FMは同リーグ2位(35点)。また、横浜FMは複数得点を挙げた試合数が今季リーグ最多(12試合)。

 ・伊藤翔は現在2試合連続得点中であり、直近5本のシュートで2得点。それ以前に放った24本のシュートで挙げた得点数と等しい。

※ファクト内の数字はJ1での成績


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◆鹿島アントラーズvs横浜F・マリノス 第22節(サンスポ)





2019年8月8日木曜日

◆鹿島とメルカリの「挑戦的な身売り」。 100億円クラブへの期待と新しい経営。(Number)






血を繋げる。 勝利の本質を知る、アントラーズの神髄 [ 鈴木満 ]


 もしかしたらJリーグでは初めてではないだろうか。Jリーグに限らず、プロ野球も含めて日本のプロスポーツで初めての出来事かもしれない。

 クラブ経営が行き詰っていたわけではない。親会社が経営不振に陥ったわけでもない。今回の出来事を「身売り」と表したメディアもあったが、その言葉がこれほど似合わない親会社の変更も珍しい。

 あえて言うなら「挑戦的な身売り」。あるいは「前向きな身売り」。

 いずれにしてもクラブの側が主体的に親会社を決めた――「鹿島アントラーズの経営権譲渡」の第一報を聞いて最初に感じたのは、そんな斬新な驚きだった。


2012年、住金と新日鉄の合併。


 あらましを僕の理解(と想像も交えて)説明してみる。発端はアントラーズの親会社だった住友金属と新日鉄の合併である。2012年のことだ。

 この頃、鉄鋼業界は激動期だった。'90年代から続く長い「鉄冷え」(不況)、アジアの新興国をはじめとして激変する世界情勢。そんな中で再編の動きが起き、まずNKKと川崎製鉄が、次いで住金と新日鉄が合併して「新日鉄住金」となった。

 当時、対等合併と発表されたが、実質的には新日鉄による吸収という見方が一般的だった。そもそも両社の提携はこれより10年前、経営不振の住金に新日鉄が手を差し伸べたところから始まっていたからだ。

 その後、同社は日新製鋼も吸収。海外メーカーの買収も進めるなど国際競争力をつけると同時に、子会社間の統合も行い、経営と組織の強化にまい進する。そして昨年、一連の改革の仕上げともいうべき、社名変更を発表したのである。

「2019年から新日鉄住金は日本製鉄になります」

 昨年来、鹿島を訪れてそんな告知を目にするたびに「アントラーズにも変化が起きるかも」と僕は思っていた。


スポーツを支援してきた製鉄会社。


 改めて言うまでもなくアントラーズは住金サッカー部を前身とするチームである。新日鉄が主導権を握る新会社にとって特別な思い入れはない。

 誤解してもらっては困るから書き添えるが、新日鉄もスポーツの強力な支援者である。それどころか学生からスタートしたスポーツを社会人に広げるなど歴史的な貢献もしている。ちなみに前回の東京五輪で活躍したマラソンの君原健二や水泳の田中聡子などは新日鉄(八幡製鉄)の選手。サッカーでいえば宮本輝紀もそうである。新日鉄(八幡製鉄)のサッカー部は天皇杯も制し、草創期の日本リーグでは(4連覇した)東洋工業と優勝を争う強豪だった。

 しかし、平成になってからは釜石のラグビー部をはじめ、名門チームを次々と廃止。そこには合理化という直接的な理由だけでなく、鉄鋼マンだからこそのプライドのようなものもあったと思う。

 かつて「鉄は国家なり」といった。我々は国の礎を担っている。だから本業まい進。だから、やめるときはやめる。容赦なく運動部を廃部にした2000年前後の新日鉄にはそんな覚悟と迫力があった。

 それにエンドユーザー向けの商材を扱っている会社ではないから、プロチームを保有する意味がそもそもない。だから――日本製鉄へと生まれ変わるタイミングで、アントラーズとの関係も変わるかもしれない、そんなふうに予感していたのだ。


最適なパートナーの模索。


 一方、この間のアントラーズ。

 合併によって親会社が新日鉄住金となった2012年はクラブ初のOB監督、ジョルジーニョが就任。リーグは11位と振るわなかったが、リーグカップを優勝。その後もリーグ、リーグカップ、天皇杯を獲り、昨年はACLでも優勝。ついにアジアチャンピオンになった。

 この間、営業収入も40億円台から昨年度の73億円まで増収。チーム力だけでなく、クラブ力も確実に培っていった。どのタイミングで経営権譲渡の話が起きたのかはわからない。しかし、20冠を獲得してきた強いチームと、70億円を稼ぎ出す強いフロント。この両輪を備えていたアントラーズは慌てることはなかったはずだ。

 もしかしたら親会社との関係が住金時代とは変わる中で、クラブにとって最適なパートナー像をすでに模索し始めていたかもしれない。そう想像してしまうほど、アントラーズの事業は伝統的に先見性が高いからだ。

 たとえば、まだ現在のようなテクノロジーがない頃からCRM(顧客のデータ管理)を導入していた。マッチデー以外でもスタジアムで稼ぐためには? そのスタジアムにスタジオを作ったのは映像配信時代の到来より早かったはずだ。

 将来を見越しての計画的な取り組みはチーム作りだけでなく、事業においても同じなのである。だからアントラーズは強い。それも安定して強いのだ。


「自然発生的」に生まれた出会い。


 メルカリとの出会いは2017年だ。

 企画を出し合う。これまでとは違う新しい何かを生み出せそうか。ともに作業をする。その実行力はあるか。スピード感とクオリティは? 観察したはずだ。もちろん互いにだ。

 会見で「どちらからということはなく、自然発生的に……」とメルカリの小泉文明社長は語っていた。こういうことは恋愛と似ている。何となく好感。そこから始まり、あるとき真顔で告白する。それまでの間に互いの気持ちはだいたい確認できているものだ。自然発生的とはそういうことだろう。

 ただし、親の承諾は絶対必要。調べる。単年度赤字は出しているが、財務状況は問題なし。許可が出た。晴れて結婚……。

 いや、すべて僕の想像だ。でもフリューゲルスとマリノスが合併したとき、当人たちは蚊帳の外だった。親会社同士の密談の結果を決定事項として伝えられたのだ。

 今回はアントラーズが選んだ。しかも(報道によれば)アントラーズには他にも候補があったらしい。その中からクラブの未来に最適な、新たなパートナーを自ら選んだのだ。

 主体的に親会社を決めた、とはそういう意味である。


メルカリの創業は2013年。


 メルカリについても触れておかなければならない。

 創業は2013年、と書いて、住金と新日鉄が合併し、今回の顛末が始まったとき、この会社がまだ存在さえしていなかったことに改めて驚く。明らかに新興企業である。そのことを不安視する声も経営権譲渡を巡る反応の中にはあった。

 しかし、もしかしたらもう忘れているかもしれないが、楽天(三木谷浩史氏)がヴィッセル神戸の経営に乗り出したのは会社設立から7年目のことだった。そのヴィッセルがいまやリーグを牽引するクラブであることを思えば、会社に歴史がないことは何の問題でもない。そもそもIT業界自体が新しい産業なのだから「新興」なのは当たり前だ。


“タニマチ経営”からの変化。


 着目すべきはむしろ、彼ら新しいプレーヤーが日本のプロスポーツに変革をもたらしているということだ。

 プロ野球のオーナーは、それぞれの時代を象徴する先端的な業種が務めてきたが、旗揚げ時の巨人、阪神、阪急、中日など新聞と鉄道会社から、映画業界が隆盛した時期の大映、松竹、東映、さらに大洋、ロッテ、ヤクルト、日本ハムといった食品飲料までは主に広告媒体として球団を保有してきた(鉄道は乗客による実利と沿線開発)。

 言い換えれば、球団そのもので利益を上げるつもりはなく、あくまでも親会社の本業に活用してきたのである。

 それが2000年代に入って変わった。

 楽天、ソフトバンク、DeNAと新興IT企業が参入。球団そのもので利益を上げることを目指すようになった。つまり、それまでの“タニマチ経営”ではなく、“正しくビジネス”をするようになったのである。


Jリーグを儲かるビジネスに。


 会見で日本製鉄側が述べた「将来にわたって世界と戦えるチームにするためにも、アントラーズは企業価値をさらに高めていかなければならない。そのためには素材産業である当社よりも、そうした事業に精通している新しいパートナーを迎え入れる方が得策だと判断しました」とは、まさにそのことを指している。

 僕も大きく首肯する。そしてアントラーズなら、アントラーズがパートナーに選んだメルカリとなら、Jリーグを儲かるビジネスに変え、100億円クラブを実現できそうな気もする。

「挑戦的な身売り」と表したのはそんな期待があるからである。


鹿島アントラーズの新たな門出。


 最後に、ここまであまりにアントラーズを礼賛しすぎたので蛇足ながら。

 メルカリとのパートナーシップを恋愛になぞらえた。その例えで言えば、恋人と夫婦は違う。互いに相手を観察して結婚したつもりだったのに……ということはよくあることだ。

 同様にスポンサーとオーナーも違う。立場が変われば関係性も変わることもあり得る。特にテクノロジー系の会社と組むと、始めのうちはぞっこんになりがちである。だからハネムーンステージを過ぎるまで、成否の判断は待たなければならない。

 もちろん、うまくいかなければ離婚するという選択肢も……。いや、これは完全に蛇足。

 見事な身売りだった。前向きで、挑戦的で、主体的な、素晴らしい門出となった。


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