日刊鹿島アントラーズニュース

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2023年5月12日金曜日

◆世界的AI「ChatGPT」に聞く。『Jリーグで最も成功したチームとは?』ベスト5(Qoly)



鹿島アントラーズ


ホットな人口知能「ChatGPT」。世界のネットワークに存在する情報を参照し、ユーザーの質問に答えてくれるAIだ。

今回はそんな「ChatGPT」に対し、30周年を迎えたJリーグにおいて「最も成功を収めたクラブのTOP5はどこ?」と聞いてみたぞ。




1位:鹿島アントラーズ


Jリーグ優勝:8回

リーグカップ優勝:6回

天皇杯優勝:5回

ACL優勝:1回

1位に選ばれたのは鹿島アントラーズであった。住友金属のサッカー部を母体にJリーグへと参戦し、開幕前にブラジル代表のレジェンドであるジーコが加入。いまもその「ジーコイズム」を受け継ぎながら戦っている。

Jリーグの優勝回数は歴代最多となる8回。さらにカップ戦やAFCチャンピオンズリーグなど様々なタイトルを獲得しており、さらにオリジナル10の中で横浜F・マリノスと同じく「一度も降格したことがない」貴重なクラブである。

↓5位〜2位はこちらから
◆世界的AI「ChatGPT」に聞く。『Jリーグで最も成功したチームとは?』ベスト5(Qoly)



◆「そろそろ勝たないと、鹿島そのものが根底から覆る」“20冠”を知る鈴木満が見据えるアントラーズの進むべき道(サッカーダイジェスト)



鈴木満


ジーコの下で選手もフロントもプロの集団に変わった


 Jリーグにおいて、最多の20冠を獲得してきた鹿島。強化責任者として、そのすべてに関わってきた“満さん”こと鈴木満氏(現・強化アドバイザー)に、歴史の舞台裏やクラブの歩みを訊いた。30周年の節目を迎えた日本サッカー界の今後に向けて、示唆に富んだ金言の数々をお届けしたい。

※本記事はサッカーダイジェスト2023年5月11日号から転載、一部修正。

――◆――◆――

――初代の川淵三郎チェアマンからJリーグ加入は「99.9999パーセント無理」と言われた状況から、オリジナル10としてJリーグに加盟しました。まずは、当時のチームの様子を聞かせてください。

「私はチームのコーチだったので、加盟の交渉には立ち会っていません。チーム(前進の住友金属工業蹴球部)は日本リーグ1部と2部を行ったり来たりする状況で、正直オリジナル10に入れるとはあまり考えていませんでした。もちろんクラブが手を挙げたのは知っていましたし、いろんな交渉をしているのは理解していましたが、無理だろうと。当時はそんな思いでした」

――そうした状況を覆してJリーグのオリジナルメンバーになりました。何が要因だったのでしょうか?

「交渉の詳細は分かりません。1万5千人規模のスタジアム建設予定などもありましたが、チームとしてはやはりジーコの存在が大きかったと思います。91年に来日して、日本リーグ2部でも1シーズン戦いました。それでも当時は、ホームタウンのハンデもあるし、チーム力もまだまだ不十分という評価。『ビリになるなよ』と川淵さんに言われていたように、自分たちも中位にいられれば、くらいに考えていたのが正直なところです。

 しかし、ジーコは常に勝利を目ざしていました。一番思い出深いのは、何度も語られているJリーグ開幕直前に行なったイタリア合宿です。ジーコが自分で笛を持って、指揮し始めたあたりから、チームの雰囲気がガラッと変わったんですよ」

――実際にどんな変化があったのでしょうか?

「来日後もジーコは一貫してチャンピオンになるという意識でチーム改革に取り組んでいました。まず、選手たちは世界的な名手のジーコを間近で見ることで、プロはこうあるべき、プロとはなんぞやということを実感しました。

 もちろん練習も厳しかったですよ。さらに、練習方法だけでなく、生活も変化が出て、チームにプロ意識が芽生えてきました。一方で、当時は日本にプロサッカークラブがなかったわけですし、どこのクラブもフロントが何をやったら良いか分からない、そんな状況でした。ただ、そこでもジーコがプロのフロントとはどうあるべきか、何をしなければいけないかを示してくれました。

 いち選手としてだけでなく、日本にプロリーグができる、Jリーグのプロジェクトに自分の経験を活かしたい、そんな意欲が高かったのを覚えています。クラブを作り上げていくフロントの側面も果たしてくれました」

――それが今もクラブの伝統として残るジーコイムズの始まりですね。

「勝つためには何をしなければいけないかを口を酸っぱく言われました。その薫陶を受けて、クラブ全体が勝利のためにという意識のもと、勝つことへの執着心、そのための一体感を重視するようになりました」

――そんなチームは、93年の開幕戦で名古屋に5-0で勝利。ジーコもハットトリックの大活躍でした。

「93年の5月15日、ウチは16日か(鹿島の開幕戦は5月16日の名古屋戦)。今振り返っても開幕戦を5-0で勝ったのは大きかったですね。やってきたことが間違いではなかったとクラブ全体で自信を深められました」

――結果、初年度の第1ステージを制しました。

「他クラブもJリーグ発足時はフロントの仕事や役割が分かっていなかったなかで、ウチはジーコがいたおかげで、選手だけでなく、フロントがアマチュアからプロに変わっていくことができた。それが、最初の成功につながったのでしょう」


黄金期を作り上げたバブル崩壊後の積極補強





――初のリーグ制覇は満さんが強化部の責任者になった96年でした。

「クラブに携わる人間の意識改革やスキルアップもありましたし、クラブや社長の経営判断、戦略が大きかったです。開幕当初はヴェルディとマリノスの2強と言われていて、人気もありました。スカウト活動をするうえでも、その2チームと競合すると選手が獲得できないという状況が続きました。まずは彼らに追いつき、追い越さなければならないと考えていました」

――どんな経営判断があったのでしょうか?

「93年のJリーグ発足当初は、世の中もバブルで、どこのチームも満員で何もしなくてもスタジアムが一杯になっていました。ところが、バブルがはじけて、親会社や責任企業の経営が思わしくなくなった95年あたりから、Jリーグも企業経営の縮小路線の影響を受けるようになりました。

 しかし、鹿島では2強に追いつくためにも勝たなければいけないと、苦しいなかでも、ジョルジーニョやレオナルド、ビスマルクら助っ人を獲得して、本気で1番を目ざしました」

――世の中が躊躇してブレーキを踏んでいるなかで、アクセル全開で突き進んで行ったわけですね。

「ほかにも、2002年のワールドカップが日本で開催されると決まり、カシマスタジアムへのワールドカップの誘致を狙いました。ワールドカップの会場になれば、1万5千人規模のスタジアムが4万人以上の規模に拡大できる目途もありました。

 当時は1万5千人規模のスタジアムがいつも満員で、ハガキで応募すると倍率80倍ほどのプレミアチケットになっていて、スタジアムが大きくなれば、それだけ集客も見込めると。だから、当時はここで無理しても、勝てばスタジアムが大きくなって、経営的にも、もっと大きくなれるという判断に踏み切りました」

――自治体の協力を得るなど、地域と一体化し、街とともに発展してきた歴史でもありますよね。

「Jリーグ発足当初のホームタウンは、まだ鹿島町で人口4万5千人くらい(1995年9月に大野村を編入して鹿嶋市へ。合併直前、94年の鹿島町の人口は4万6035人)。あの頃はそんなに人が出歩いていないような土地でした。当時のメディアには、暴走族がスタジアムに応援に来て、町から暴走族が減ったとか、いろんな記事がありました。

 そういうこともあったのだと思います。そんな町も、アントラーズができて、活躍し始めたことで、世の中に認知されるようになりました。それまで日本国内で“鹿島”を知る人はほとんどいなかったのに、どこへ行ってもアントラーズの“鹿島“と言われるほど知れ渡りました。みんな自信を持てたというか、住民たちの意識も変化したように感じます」

――タイトルを取った影響が大きかったのでしょうか?

「やっぱり勝ったからですよね。Jリーグがスタートした頃はチーム力やホームタウンの基盤も弱く、正直いつまで持つのかなという危機感もありました。だから勝たなければチームが存続できないと、必死でした」

――切実さがピッチ上にも出ていたのでしょうか?

「そうですね。そういう必死さ、危機感を持って取り組んだことが結果につながったのでしょう」

――初優勝から2000年代初頭まで、次々とタイトルを獲得しました。

「96年に初タイトルを獲ると、他クラブと競合しても選手を獲得できるようになりました。96年に柳沢(敦)が入ってくれて、98年には本山(雅志)、小笠原(満男)、中田(浩二)、曽ケ端(準)らが加入。スカウトが成功するようになったのは大きかったですね。

 チーム編成の大きな流れとしては、90年代は外国籍選手のビッグネームを連れてきて勝った。その遺産や実績を駆使しながら、2000年以降は79年組(小笠原、本山、中田、曽ケ端ら1979年生まれの世代)を筆頭にスカウトで獲得した優秀な日本人選手を育てながら勝利を重ねてきました」

――最も記憶に残っているのは、どの時代のチームでしょうか?

「いろいろありますが、やはり開幕当時でしょうか。打倒ヴェルディで、直接対決は他のゲームよりもさらに力を発揮するようなチームでした。その後は、ジュビロとの2強時代があって、次はレッズがライバルに。今はフロンターレですね。フロンターレには全然勝てていませんから、打倒フロンターレに燃えてます」

――思い出深い選手は?

「やはり、一番はジーコですね。クラブ全体の礎を築いてくれました。それと、僕が30年ほどチームに関わってきているなかで、やっぱり小笠原も特別な選手です」

――どんなところが特別だったのでしょう?

「小笠原よりも上手い選手はチーム内でもいました。例えば同期の本山は、小笠原よりも上手かったですよ。でも、チームを勝たせる力というか、そんな存在感は小笠原が抜群でした。彼は個人で17タイトルに関わっていて、彼がいたからタイトルが獲れたとも言えますよね」


海外移籍の増加でチーム編成に変化。打開策は育成と移籍





――そんな黄金世代も現役を退き、しばらく経ちます。近年のJリーグをどう見ていますか?

「これまでJリーグは共存共栄で進んでいましたが、2017年にDAZNと契約して、競争意識を強めています。同時に2010年以降、特に15、16年あたりから、選手たちの海外移籍も活発化してきました。

 以前は、20歳そこそこでレギュラーになったら、その後10年間は主力で、というチーム作りのスパンがありました。その年のチームと併せて、3年後にどうなっていくかまでを意識すればチーム作りができました。しかし、若手を育てても、主力になっていてほしい選手が3、4年後には抜けてしまう。そんな時代になり、チーム編成や強化の仕方が変わってきています」

――Jリーグでトップを走ってきたからこそ、他クラブに先立ってその問題に直面しました。

「解決策としては、アカデミー強化と移籍での選手獲得をハイブリットでやろうと考えています。選手が抜けても次々と新しい選手が出てくる環境にすべく、アカデミーをより強化していく方針です。しかし、アカデミーの強化にはある程度、時間がかかるので、それだけでは補えません。

 次に活用したいと考えたのは移籍です。鹿島はそれまで移籍市場でほとんど他所から主力を取っていませんでした。そのため、他チームを見るスカウトの強化にも力を入れています。

 そうやって獲得した選手を育成していくことが次のステップです。選手育成は、例えば他のチームに選手をレンタルしながら、出場機会を確保して、そのポジションの選手が必要になった場合は、すぐに補えるような体制が理想です」

――具体的に取り組んでいることはありますか?

「入れ替わりの早さに対応するためにも、チームのサッカーそのものを、もう一度しっかりと定めていく必要があります。チームのスタイルが明確なら、どういうポジションでどんなタイプの選手が必要になるかなど、獲得選手のタイプがハッキリします。そうなれば、採用や編成のミスが少なくなるはずです」

――知念慶や佐野海舟、藤井智也らの他クラブからの移籍組。昌子源、植田直通、そしてレンタル中だった垣田裕暉らの復帰組。師岡柊生、津久井佳祐らの新卒組と今年の補強は仰るとおりの内容でしたね。

「そうですね。良いバランスになってきていると思います。獲得した選手の多くは、他所で実績を作って完成されたというより、若くてこれからの選手が多く、鹿島の色に染めるというか、育てながら、主力に成長してほしいという思いはあります。

 岩政監督になって、“新しい鹿島”を謳い文句にしながらチーム作りをやってくれています。ただ、まだ固まり切っていないところはあります。けれど、現場と強化部が話し合いながら、こういうサッカーをしたいから、そのためにはこういう選手が必要だと議論を重ねています。

 もっとも、その評価はタイトルを取って初めてなされるもので、編成で良い選手を獲ってきたというだけでは何の評価にもならない。良かったかどうかはもう少し先、結果が出てからですね」

――新スタイルを確立するには時間もかかりそうです。

「優勝を義務付けられているというか、サポーターもパートナー企業も、地域も、鹿島に関わるすべては、タイトルを望んでいますし、タイトルを取らないとあまり評価されなくなっているという実態もあります。18年にACLを制覇してから4年。そろそろ何かしらのタイトルを取らないといけません」

――6節の広島戦(●1-2)後にはサポーターがバスを囲み抗議する場面もありました。

「私の時代にも似たような経験をしましたが、それだけ期待が大きいということでもあります。サポーターたちの気持ちにも応えていかないといけません」

――周囲の期待や、偉大な伝統が重荷やプレッシャーになることはありますか?

「どうでしょうか。私自身は今、違う立場になっています。今までの30年の歴史があっても、同じことをやっていても上手くいかない。勝てていないのは事実ですが、時代の変化や環境の変化にアジャストさせながら、クラブ運営をしなければ、とも考えています」


鹿島らしさをベースに残しながら変化に対応していくべき





――2021年に吉岡宗重フットボールダイレクターに後任を託したのも、変化が必要だからでしょうか?

「鹿島はJの中では特長のあるクラブなので、アイデンティティというか、鹿島らしさをベースに残しながら変化に対応していくべきだと思っています。だから、ベースになる部分は、吉岡に10年間ともに仕事をするなかで伝えてきました。

 今の新しい時代には、彼ら次の世代が持つ違った能力や、新しい感性が必要なはずで、そこへバトンをつなぎました。本当に残さなければいけない部分と、変えなきゃいけない部分を明確にしながら、新しい鹿島を作っていくという時代に来ていますよね」

――残すべきところとは?

「フォア・ザ・チームというか、一体感や結束力。勝ちにこだわりながら、組織で戦っていくというところです。特に、強化的な視点から言えば、選手を獲るだけでなく、ポテンシャルをいかに100パーセント、それ以上に発揮させられるか。そのマネジメントに力を入れてやってきたので、そこは強化の仕事として残していかなければなりません。

 ここ数年は移籍に頼ったところもありますが、基本はアカデミーや新卒で良い選手をしっかりとスカウティングし、育てるのがベースです。プラス移籍で補うハイブリットにしないと、これからは勝てないと、今は少し強調しながらやっています」

――特長のあるクラブとはどういう意味でしょうか?

「“鹿島らしさ”とよくメディアにも言われますよね。やっぱりハードワークして戦う姿勢がベースにあって、諦めないで、泥臭くても最後は勝つ。そういう皆さんがイメージしている“らしさ”をなくしたくない、それを取り戻したいです」

――らしさを取り戻すのには何が必要でしょうか?

「伝統というか、フィロソフィーを作り上げるためには、やはりタイトルを獲らないとベースができません。次世代に継承するためには、勝っていくしかありません。いろいろ言っても、結局は伝統の継承とは勝つことでできるもの。タイトルを獲ったからこそ次につながるものがあります。

 だから、そろそろ勝たないと、鹿島アントラーズそのものが根底から覆ってしまうようなことにもなりかねない。今は、Jリーグが開幕した当初と同じような危機感を持ってやっています」

――タイトルを争うライバルについてはどう見ていますか?

「フロンターレやマリノスも強いですけど、フロンターレは今、ウチと同じような悩みを抱えていますよね。どんどん強くなって、注目されて、代表選手が増えてきた一方で、次々と主力選手が抜ける現象が起きています。

 どこのチームも5年、10年と安定して強いチームを作ることが難しくなっていると感じます。今季は特に、混戦です。どこが優勝して、どこが降格するのか分からないリーグ。それが面白さでもあるとは思いますが、今のJリーグを見ていると、本当に飛びぬけて強いチームがない。特に今季は、その傾向が強いのではないでしょうか。

 だからこそ、クラブとして新しいフェーズに対応して、日本サッカー界のリーディングクラブになれるように頑張っていきたいですね」

――◆――◆――

 鹿島は8節の神戸戦で1-5の大敗を喫したものの、続く9節の新潟戦から4試合連続の完封勝利で5位まで順位を上げている。5月14日に国立競技場で行なわれる次節の相手は3位の名古屋。30年前の開幕戦と同じ相手に、積み上げた伝統の強さを見せつけられるか。

取材・文●渡邊裕樹(サッカーダイジェスト編集部)





◆「そろそろ勝たないと、鹿島そのものが根底から覆る」“20冠”を知る鈴木満が見据えるアントラーズの進むべき道(サッカーダイジェスト)





◆【鹿島】DF植田直通「Jリーグ30周年記念」国立競技場での名古屋戦に「幸せを感じている」(ニッカン)



植田直通


4戦連続無失点で4連勝と波に乗る鹿島アントラーズは、14日に「Jリーグ30周年記念」として国立競技場で名古屋グランパスと対戦する。チームは11日、鹿嶋市内で練習を行い、DF植田直通(28)が聖地での必勝を掲げた。

Jリーグ30周年。プロになる前、Jリーグを一番、身近に感じたのは熊本・大津高時代。地元のJ2ロアッソ熊本のボールボーイをしていた時だという。高校卒業後に鹿島でプロ生活をスタートさせ、今季から欧州から鹿島に復帰。守備リーダーとして最終ラインを引っ張る。新しくなった国立は植田にとって初めての大舞台だ。

植田は「東京五輪で大々的にやっていましたし、サッカー界の中でも特別で、決勝を行う場所。そこで試合がしたいという思いがずっとありましたし、今回タイトルがかかった試合ではないですけど、Jの試合で国立の試合ができるのは幸せを感じている」と話した。

相手は、Jリーグが開幕した1993年(平5)の開幕節と同じ名古屋グランパス。現在は、リーグ最少失点タイ(8失点)で堅守を誇る。鹿島もこの4試合、無失点を続けており「盾・盾対決」といったところだ。植田も名古屋について「向こうも固い守備からスタートする。そこをベースにしているチーム同士」と見据える。「前の選手が守備を頑張ってくれているから自分たちは楽させてもらっている」と、4試合連続無失点の要因を挙げ「最後に体を張るのは自分たちの仕事」とセンターバックの役割を自負している。

名古屋の堅守を崩してこそ、勝ち点3に近づく。植田は「後ろでボールを持つ時間が増えてくると思う。その中で、どういったものを出せるかが勝負。効果的なボールを配給したいし、前線の選手にうまくつなげて得点につながるプレーをしたい」と攻撃の起点の意識を高める。当日は満員の観客が予想され「たくさんの方が来てくれると思うので、そういう方たちのためにも戦いたいし。来てくれた方と喜びを分かち合いたい」。クリーンシートを継続すれば、5連勝も見えてくる。





◆【鹿島】DF植田直通「Jリーグ30周年記念」国立競技場での名古屋戦に「幸せを感じている」(ニッカン)





2023年5月11日木曜日

◆「感じねえんだよ、気持ちをよ!」鈴木優磨が鹿島サポーターの罵声を浴びて…“ホームで5失点惨敗”カメラマンが目にした名門の苦悩―2022-23 BEST5(Number)



鈴木優磨


 4月15日、雨のカシマサッカースタジアム。試合を終えた選手たちがサポーターへの挨拶を終えると、鹿島アントラーズの鈴木優磨は1人その場に留まった。

 観客席からごったになって飛んでくる罵声と激励を一身に浴びた彼は、看板を越え、サポーターに近寄り、拡声器を握った。

「俺らも100%やってるよ。たしかにわかる。結果が出てないのはわかる。俺らが全部悪いよ。でもここから、まだ巻き返せるチャンスが俺らにはある」





 拍手が起こる前に、怒気を含んだ辛辣な声が返ってきた。

「ねーよ!」

 鈴木は言葉を止めなかった。

「まだある。絶対ある」

「ねーよ!」

「3連覇したときも負け続けた。最後に勝つ」

「気持ち感じねえんだよ、気持ちをよ! おめえらじゃよ!」

 雨は降り続いていた。カメラマンとしてこのスタジアムで多くの試合を撮影してきたが、こんなに悲しい光景を目にしたことはなかった。




「勝つしかない試合」で強さを見せてきた鹿島だが…


 4月1日、鹿島はホームでサンフレッチェ広島に敗戦。試合終了まであと少しという時間帯で立て続けにゴールを奪われ、昨年8月から続いているホーム未勝利の流れを止めることができなかった。すると、サポーターはスタジアムを出るチームバスを囲んだ。

 その次の試合は9日、アウェイでの柏レイソル戦。柏は昨年8月からホームだけでなく公式戦未勝利が続いており、サポーターの我慢が限界に達しているチーム同士の対戦となった。試合は柏が細谷真大のゴールで先制し、そのまま1-0で勝利。試合後、鹿島サポーターはゴール裏に居残った。





 そして15日、鹿島はホームにヴィッセル神戸を迎えた。勝利以外許されない状況での試合となったが、神戸は前節を終えた時点で首位。順位表を鵜呑みにすれば、もっとも手ごわい対戦相手だった。

 しかし個人的には、「強い相手に勝つしかない」という状況は、かえって鹿島に有利に働くのではないかという思いがあった。先の鈴木の言葉にあったような、「最後には勝つ」という鹿島のイメージは今でも強くあった。

 ところが、試合が始まると順位表が示す通りのサッカーが繰り広げられた。神戸は齊藤未月と山口蛍が抜群のポジショニングと運動量でチームを支え、共にドリブルを得意とする汰木康也と井出遥也が近い位置で補完し合い、酒井高徳と初瀬亮の両サイドバックはどんどん前に出てくる。チーム全体の球離れもいい。シンプルかつ無理のない、それでいて効果的な試合運びで徐々に優位に立つと、24分にコーナーキックから大迫勇也がゴールを決めてスコアを動かした。

 鹿島は強いプレスでテンポを乱そうとするが、球離れのいい神戸はそれを回避。前半アディショナルタイムには逆に鹿島からボールを奪い、クロスから武藤嘉紀が追加点を奪った。


試合終了の瞬間、鈴木優磨はピッチに倒れ込んだ


 前半終了の笛が響くと、大急ぎでロッカーへ向かう選手がいた。鈴木だった。走ってタッチラインを越えた彼は振り返ってピッチに一礼すると、「早く戻ってこい」と大きく手を動かしてチームメイトを急がせた。0-2の状況でも、彼が勝利しか考えていないのは明らかだった。

 勝利を諦めていないのは、ゴール裏のサポーターも同じだった。雨の中、ハーフタイムの間もずっと歌い続けるその声は、濡れたレンズを拭きに戻ったメインスタンド下のメディア控室まで聞こえていた。同じ階層で、よりホームゴール裏の近くにあるロッカーにも、サポーターの歌声は届いていたに違いない。





 しかし猛反撃を見せなければならない後半開始直後、鹿島は不運にもハンドでPKを与えてしまい0-3に。反撃ムードが一瞬で萎んでもおかしくない最悪のタイミングでの失点となったが、4点取るしかないチームはセンターバックが高い位置を取る3バックに変更して強引に相手を押し込み、61分、ついに鈴木が1点を返した。

 キャプテンマークを巻いた背番号40は、自陣に向かう前にゴール裏のサポーターに向かって雄叫びを上げた。勝利だけを信じる両者の強い結びつきが、確かにそこにはあった。




 しかし、ここまでだった。スクランブル態勢になった鹿島を、神戸はカウンターであっさりと仕留めてみせた。1-5。ホームでの5失点は1995年9月2日のヴェルディ川崎(現東京ヴェルディ)戦以来、28年ぶりのワーストタイ記録だ。勝利以外許されない試合は、鹿島の惨敗で幕を閉じた。

 終了の笛と同時に、鈴木はピッチに倒れ込んだ。




 ここ1年で、彼の同じような姿を何度も撮った。

 試合終盤、鈴木はいつもヘトヘトだ。ただし、それでも運動量は落ちない。広い範囲に顔を出し続け、上手くいっていない箇所を補い、試合をどうにか好転させようと奮闘し続ける。自分のところまでボールが届かず、ガックリという擬態語がそのまま当てはまるようなリアクションを見せることもあれば、判定に異を唱えることもある。それでも、ボールを届けられなかったチームメイトをサムズアップで後押しすることは欠かさないし、プレーが始まればまた動き続ける。彼には、鹿島を背負っているという自負があるからだ。

 そして試合終了と共に、限界を迎えて倒れ込む。あるいは悔しさを噛みしめるかのように、しゃがみ込んでしまうこともある。この日はその両方だった。芝の上に倒れ込んだ鈴木は神戸のマテウス・トゥーレルによって引き起こされたが、今度はその場にしゃがみ込んだ。昌子源に迎えられて、ようやく整列のために歩いていったが、26歳のゲームキャプテンは全てを1人で背負おうとしているようにも見えた。




 昨年、ベルギーから鹿島に戻ってきた鈴木は「このクラブに一番タイトルをもたらしてきた人の背番号」と小笠原満男がつけていた40番を選んだ。小学生のころからアントラーズの選手として戦ってきた彼は、復帰理由を「このクラブを優勝させるため」と語った。2023年には、新たに導入されたキャプテン4人制の一角を担うようになった。開幕節の京都サンガ戦で相手サポーターを煽ってイエローカードを受けたように、その言動で悪目立ちすることもあるが、「鹿島を勝たせたい」「強い鹿島を見せたい」という気持ちをストレートに発露させているという一面において、彼を超える選手はいない。


徐々に失われていった“鹿島らしさ”


 ここまで手にした主要タイトルは20冠。長らく“常勝軍団”と呼ばれてきた鹿島アントラーズだが、2018年のACLを最後に栄冠から遠ざかっている。




 神戸戦のように、「勝たなければいけない試合」を落とす姿が珍しくなくなってきているのは事実だ。かつての鹿島は、ここぞという試合で無類の強さを誇っていた。タイトルを勝ち取れていないこと以上に、長く維持してきた“鹿島らしさ”が失われていることに危機感を持つサポーターは少なくない。

 2020年のACLプレーオフで、ホームでの一発勝負にもかかわらずメルボルン・ビクトリーに0-1で敗れた当時は「まさか鹿島が……」という衝撃があった。しかし2022年には、もはや驚くべき光景ではなくなっていたのかもしれない。同年4月10日の第8節、横浜F・マリノスとの上位争いで0-3の完敗。5月25日の第15節サガン鳥栖戦では0-3から4-3と一時逆転しながらも、試合終了間際の失点で4-4の引き分け。シーズン途中まで首位争いに名を連ねてはいたものの、クラブの文化でもあった勝負強さ、悪い流れを断って勝ち切る無形の強さは見られなくなってきていた。

 そして今シーズンも、広島戦、柏戦、神戸戦と3試合続けて“鹿島らしくない姿”を見せてしまった。クラブとして転換期を迎えているとはいえ、第8節を終えた時点で15位という順位にサポーターが納得できるわけもない。冒頭の光景は、そんな状況で生まれたものだった。


巻き返すチャンスは、まだある


 もちろん、それでも勝利を信じる気持ちは残っている。柏戦でゴール裏に居残り、野次と共に岩政大樹監督のチャントを(否定的なニュアンスを込めて)歌い続けたサポーターたちは、神戸戦では練習前に同じチャントを正しい文脈で使って激励した。すると岩政監督は、試合前にもかかわらずゴール裏に異例の挨拶に現れた。

 互いに悔しい気持ちはあるし、繋がりを大切にしたい気持ちもある。9日の柏戦後、選手たちはバックスタンド寄りのゴール裏で挨拶をするとロッカーへ戻っていったが、昌子が全員を呼び戻し、メインスタンド寄りで2度目の挨拶をした。昌子は神戸戦でも試合後、ゴールと看板の間、なるべくサポーターに近い位置でしっかりと挨拶するようにチームを先導した。言葉にならない悔しさや悲しさを必死に堪えていることが、表情から伝わってきた。





 サポーターは強い鹿島を見たい。選手は強い鹿島を見せたい。ハーフタイムに続いたチャントも、試合中の鈴木の一挙手一投足も、試合後のゴール裏の光景も、形はどうあれ、その情熱がまったく萎えていないことの証左だった。

 ゴール裏から去っていく鈴木はうつむいていたが、チームを背負う人間として、必要以上の悔しさも悲しさも怒りも見せず、静かに姿を消した。彼に続いて引き揚げるチームに送られた大多数のサポーターからの拍手は、勝利への気持ちをより強くさせただろう。

 史上初のJリーグ3連覇を成し遂げた2009年の勝ち点は66。昨年の覇者マリノスの勝ち点は68。現時点で勝ち点7の鹿島だが、最大であと78ポイント獲得できる。巻き返すチャンスは、まだある。




◆「感じねえんだよ、気持ちをよ!」鈴木優磨が鹿島サポーターの罵声を浴びて…“ホームで5失点惨敗”カメラマンが目にした名門の苦悩―2022-23 BEST5(Number)





◆【2023】J1リーグ全18クラブ別、選手市場価値ランキング(FOOTBALL TRIBE)



鹿島アントラーズ


2023シーズンの明治安田生命J1リーグは、2月17日に開幕し、12月3日にエンディングを迎える予定。来2024シーズンからはクラブ数が現在の18クラブから20クラブに増加することが決まっており、今シーズンは臨時的に最下位クラブ1枠のみがJ2への自動降格となる(これまでは自動降格2枠とプレーオフ、2024シーズンからは自動降格3枠に)。

ここでは、そんな2023シーズンのJ1に所属する全18クラブ別の選手市場価値ランキングを紹介しよう。最も高い市場価値の選手が揃っているのは、昨シーズン降格の危機に脅かされたにもかかわらず、現時点首位を走るヴィッセル神戸。最も低い合計額なのは、J1に昇格してから3回目のシーズンに挑戦中のアビスパ福岡となった。(Transfermarktより。日本円は5月8日時点のレート換算)


鹿島アントラーズ
市場価値合計額:26億700万円
市場価値平均額:8,700万円
鹿島アントラーズ選手市場価値ランキング(日本円)

  1. 鈴木優磨(FW):2億9,700万
  2. ディエゴ・ピトゥカ(MF):2億5,600万
  3. 樋口雄太(MF)、アルトゥール・カイキ(MF):1億7,800万
  4. 土居聖真(MF):1億4,900万
  5. 昌子源(DF)、垣田裕暉(FW):1億3,400万
  6. 荒木遼太郎(MF):1億1,900万
  7. 安西幸輝(DF):1億1,100万
  8. キム・ミンテ(DF)、知念慶(FW):1億400万
  9. 関川郁万(DF)、常本佳吾(DF):9,700万
  10. 植田直通(DF)、仲間隼斗(MF)、エレケ(FW):7,400万
  11. 沖悠哉(GK)、松村優太(MF):6,700万
  12. 広瀬陸斗(DF):5,900万
  13. 中村亮太朗(MF)、染野唯月(FW):4,500万
  14. 名古新太郎(MF):4,100万
  15. 舩橋佑(MF):2,600万
  16. 早川友基(GK):1,900万
  17. 須藤直輝(MF):1,500万
  18. 藤井智也(MF)、佐野海舟(MF):1,100万
  19. クォン・スンテ(GK)、溝口修平(DF)、小川優介(MF):700万

市場価値不明選手

パク・ウィジョン(GK)
津久井佳祐(DF)
師岡柊生(FW)



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◆【2023】J1リーグ全18クラブ別、選手市場価値ランキング(FOOTBALL TRIBE)


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