日刊鹿島アントラーズニュース

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2015年12月5日土曜日

◆【論説】鈴木隆行選手が引退 新たな場でも活躍を(茨城新聞)


http://ibarakinews.jp/news/newsdetail.php?f_jun=14492493755845

サッカー元日本代表で、J1鹿島やJ2水戸で活躍した日立市出身の鈴木隆行選手が現役引退を表明した。Jリーグでの活躍はもちろん、2002年ワールドカップ(W杯)日韓大会では、1次リーグ初戦のベルギー戦で得点を挙げ、日本中を歓喜に包んだ。一方で、東日本大震災で大きな被害を受けた「茨城のために」と11年6月、J2水戸に入団、当初は無報酬で水戸を引っ張り、故郷への思いも厚く重ねた選手だった。引退後もその経験を生かし、新たな場での活躍を期待したい。

ベルギーと引き分けたW杯初戦、初得点を挙げた鈴木選手は一躍時の人となった。ゴール前にこぼれたボール。思い切り伸ばした右足が、日本が息を吹き返す同点ゴールとなった。高い身体能力とひた向きさ。W杯での活躍は海外の目にも留まり、大会終了後の7月にはベルギー1部のゲンクに期限付き移籍が決まり、鹿島から世界へと活躍の舞台を移した。

日立工高時代は不言実行タイプ。ユース代表に選ばれ、そこで学んだ練習方法や食事管理などを同級生や後輩たちに伝え、無口だが面倒見のいい男だったという。

サッカーでは苦労を味わった。鹿島に入団したものの、出番に恵まれず、フロントに直訴してブラジルの地方リーグに武者修行に出た。芝は荒れ放題、シャワーは水だけ。はい上がろうと必死にボールを追うプロ予備軍の選手たち。汚れた寮に暮らしながら、日本では味わえないハングリーさを痛感した。帰国後、頭角を現し、日本代表となりW杯出場を果たした。

闘志むき出し、体を張ったプレー。多くのファンが持つ鈴木選手へのイメージであろう。W杯後は国内外でプレーを重ね、2010年に一度は引退を考えたが、東日本大震災が大きな転機となった。

「最後は地元に貢献したいという気持ちが強かった。震災があって、さらにそういう気持ちが強くなった」。日立市内の実家も被災。多くの人が不安を抱える中、「元気を出し、少しでも楽しんでもらえるようなことをしよう」。答えは現役続行、サッカーだった。当時、経営が厳しかった水戸に対し、自ら申し出て無報酬のアマチュア契約を結んだ。

世界を舞台に活躍した選手が水戸のユニホームを着る。プレーヤーとしての存在感は際立った。球際や当たりの強さは群を抜き、自ら味わったサッカーの厳しさ、経験をチームに還元した。多くの報道陣が取材に訪れ、チームのスポンサー獲得や新たなサポーター開拓にもつながった。チームばかりでなく、地元を元気づける存在ともなった。

水戸に入団したのは35歳の時。FWとして4季にわたり活躍し、今季からJ2千葉に移っていた。7日に会見予定だが、次のステップとして何を目指すのか、ファンには気になるところであろう。

昨年12月、日立市内の母校の中学校で講演した際、自らの将来については「自分が今まで積み重ねてきたものを教える立場になりたい」との考えを示している。水戸に所属していた当時、「人生を懸けて、これだけ気持ちが高揚するものってサッカー以外にない。勝負の世界、そういう現場で仕事がしたい」とも語っている。

県内出身者として鹿島や水戸で活躍し、一流選手として大きな足跡を残した鈴木選手の第2ステージにエールを送りたい。

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