日刊鹿島アントラーズニュース

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2018年5月20日日曜日

◆Jリーグ「歴代ワールドクラス10人」をスペイン紙選出 “神様”ジーコら名手が勢揃い(Football Zone)





「マルカ」紙がイニエスタの移籍報道に合わせてクイズ形式で紹介

 今季限りでバルセロナを退団するスペイン代表MFアンドレス・イニエスタの去就について、Jリーグのヴィッセル神戸入りが有力な選択肢になっているとスペインメディアでも報じられている。そうしたなかでスペイン紙「マルカ」は、「Jリーグでプレーした名手10人」としてクイズ形式でかつての名プレーヤーたちを紹介している。

「マルカ」紙は電子版で、その選手の名前を出さずに簡単な説明をし、その部分をクリックすると正解の選手の写真になるという遊び心のある記事を公開している。

 例えば、1人目はこんな感じだ。

「ブラジルサッカー界のスター。鹿島アントラーズで1991年から94年までプレーした。その後、日本代表の監督も務めた」

 これは日本で「サッカーの神様」と称され、Jリーグ創成期を支えた元ブラジル代表の10番ジーコだ。こうした形で、Jリーグに所属経験のある世界的な名手たちが紹介されている。このような説明文だけを並べた時、どれくらいの選手の名前が頭に思い浮かぶだろうか。

W杯優勝メンバーや「イングランドのベストFW」も来日

「ブラジル代表の右サイドバックで1994年ワールドカップ(W杯)を優勝。バイエルン・ミュンヘンでプレーしたこともあり、鹿島アントラーズで4シーズンプレーした」

「長い間、ブラジル代表でキャプテンを務め、代表監督も務めた。1994年のW杯で優勝」

「ポルトガルのストライカーで、ポルトでは伝説的な存在。アトレチコ・マドリードでもプレー。日本では横浜フリューゲルスでプレーした」

「イングランドのベストFWの一人。キャリアの最後を名古屋グランパスでプレーした」

「ブラジル代表の左サイドバックで、日本の前はバレンシアでプレー。鹿島アントラーズでプレーした後、パリ・サンジェルマンやACミランでプレーした」

 この5人だと、順にジョルジーニョ、ドゥンガとスムーズに答えは分かりそうだ。そして、4人目のギャリー・リネカーと最後のレオナルドもまたピンとくるファンが多いのではないだろうか。少し知名度が低そうなのが、3人目のパウロ・フットレだろうか。フリューゲルスに来たのは1998年で、リーグ戦13試合3ゴールの成績でそのシーズン限りで現役を引退している。

Jリーグで異彩を放ったストライカーの名前も…

「他の同胞たちの後を追うように鹿島アントラーズでプレーし、現役生活はサウジアラビアで終えた。デポルティボ・ラ・コルーニャの神話」

「ブルガリアのストライカーで、バロンドール受賞者。バルセロナのレジェンドで、柏レイソルでプレーした」

「ブラジル人ストライカーで『アニマル』のニックネームで知られた。東京ヴェルディでプレーし、浦和レッズと契約したがほとんどプレーしなかった」

「世界のサッカー界で、最もフィジカル的なストライカーの一人。川崎フロンターレ、コンサドーレ札幌、東京ヴェルディでプレーし、欧州ではポルトとゼニトでプレーした」

 この4人の中で、1人目はヒントが少なかったのかもしれない。正解はドゥンガやレオナルド、ジョルジーニョとともに1994年W杯優勝時の元ブラジル代表FWベベットだ。そして、続くのはフリスト・ストイチコフ。左足から放たれる強烈なシュートはJリーグでも異彩を放った。そして、3人目は卓越したテクニックと狂気の両者を見せたエジムンドで、最後の一人は現在中国の上海上港でプレーしているフッキだ。

フォルラン、ポドルスキに続きイニエスタ参戦となるか

 こうして見ていくと、やはりJリーグにやってきた世界的な名手はブラジル人が多く、さらに言えば1994年アメリカ・ワールドカップ優勝メンバーが多い。その次の世代では、このリストに含まれなかった選手でも、横浜フリューゲルスや柏レイソル、サンフレッチェ広島でプレーしたMFサンパイオなど、世界トップクラスの選手もいた。しかし近年は、そうした実績を誇る選手がJリーグに減っている。

 ここ5年ほどで言えば、セレッソ大阪でプレーした元ウルグアイ代表FWフォルランと、現ヴィッセル神戸の元ドイツ代表FWルーカス・ポドルスキがビッグネームと言える。イニエスタが神戸にやってくれば、その世界トップクラスのプレーを見られることはもちろんのこと、Jリーグ初期にサポーターをワクワクさせたような存在として、再びスタジアムに多くの人が集まる起爆剤になってくれるのではないかと、期待は高まるばかりだ。





◆チームドクターが住民を診察 名門クラブが仕掛けるサッカー以外の地元密着型ビジネス(FNN PRIME)




夜間でも“芝生”を成長させる

ピッチの上で輝くピンクの光。
ここは、日本を代表するJリーグの名門クラブ、鹿島アントラーズの本拠地「カシマスタジアム」。
この謎の光が、プロサッカーチームの新たなビジネスチャンスの鍵を握るという。



「カシマスタジアム」では、チケットやグッズ販売など本業以外のビジネスとして『芝生』に注目が集まっている。
球際の激しい攻防やスライディングなどのあとも傷みが少ないのが特徴だ。

その秘密は、試合がない日に隠されていた。
芝をピンクの明かりで照らす、特殊なLED「BRIGHTURF」。
ソニーや信州大学などと共同で開発したこの光は、太陽光に近く、夜間でも芝の成長を促進させることができる。

鹿島アントラーズFC・小松義典ターフ担当は、「極端に傷んでいる所、弱っている所に光を与えている。24時間、当てっ放しでもいけます」と話す。


鹿島アントラーズは、この光源を共同開発した会社とともに特許を取得。
また、2018年に入り、はがれにくい新種の芝も開発。
これらの技術をほかのスタジアムや施設に販売。事業展開を目指している。

チームドクターが住民を診察

また、芝以外でも、ノンフットボールビジネスは、地域の日常的なシーンにまで広がっていた。
スタジアム内に併設したフィットネスクラブ「カシマウェルネスプラザ」。
選手も使用する特殊な機器を導入するなど、ほかのジムと差別化を図り、日常的に多くの人が訪れている。




さらにスタジアムのそばに、クラブチームとして全国初となるMRI(磁気共鳴画像装置)も完備する整形外科専門のスポーツクリニックを開設。
その売りは、試合中、選手がけがをした際の治療に当たるチームドクターが、住民向けの医療サービスを行うという点。

アントラーズスポーツクリニック・山藤 崇院長(兼チームドクター)は、「チームの選手も患者さんも一緒ですからね。選手を治したいのも一般のスポーツやってる方を治したいのも、おじいちゃん、おばあちゃんを治すのも、基本的なテクニックは同じです」と話す。

鹿島アントラーズというネームブランドも、患者への信頼度を高めている。
クリニックを訪れた患者は、「プロチームのメディカルドクターに言われると、当然、安心感はあります」と話す。

地域のスポーツクラブとしての在り方を示す鹿島アントラーズのノンフットボールビジネス。
鹿島アントラーズFC・鈴木秀樹事業部長は、
「“地域創生”だと思います。地域が元気になるために、われわれが何をお手伝いできるかっていうところで、一番、きちんと見せられる場所がスタジアムだったということ。スタジアムに何を付加していくかというか、非日常のフットボールと日常のスタジアムっていう両方が必要なんじゃないかなと思います」と語った。

ビジネスで最先端を行く鹿島アントラーズ

 この取り組みについて、Jリーグのビジネスに詳しいNewsPicks最高コンテンツ責任者の佐々木紀彦氏は、「鹿島は7万人弱の人口で、サッカーに加え、ビジネス面でも昔から工夫を重ね、最先端を行っていると思う」と話す。





そして、ビジネス成功のカギは3つと指摘。
「まずは“エンタメ化”。海外だとスタジアムとショッピングセンターの併設は当たり前なので、日本でも拡大していくのがいい。
次に、“会員の拡大”。チケットを買う人だけでなく、通常のファンクラブも含めて会員の拡大。例えば、FCバイエルン・ミュンヘンは30万人ほどの会員がいる。鹿島は強いチームだし、海外にも勧誘を拡大できる。
もう一つは“人材”。ビジネスをやるためにはプロの人材が必要なので異分野からサッカービジネスに入ってくる人をどう増やしていくかがカギになる」と話す。

非日常の空間を演出する試合と、地域の日常に溶け込むさまざまなアプローチ。
スポーツが文化として根づく歩みの1つに注目が集まる。

(「プライムニュース α」5月17日放送分)


◆柴崎、ヘタフェ退団か?スペイン紙が伝える(デイリー)





柴崎、ヘタフェ退団か?スペイン紙が伝える


 スペイン1部リーグ、ヘタフェの日本代表MF柴崎岳が来季新天地を求める可能性がある。スペインのマルカ紙が伝えている。

 ヘタフェの来季構想の中で触れられているもの。現所属選手それぞれの去就を扱っており、柴崎については「契約は残っているが残留は難しい」との見方をしている。




◆この4年で“頑固者”大迫を変えた2度の屈辱(報知)





 ロシアW杯代表候補選手直撃の最後は、ガーナ戦代表に選出されたFW大迫勇也(28)=ブレーメン=。ブラジルW杯で1次リーグ敗退、無得点に終わってから4年。変わることに慎重だった男が、2度「変身」を決意し、実際に変わってきた。ロシアW杯ではゴールを奪い、チームを勝利に導く―。スポーツ報知の取材にエースの自覚を語った。(内田 知宏)

 大迫を「人から言われることをなかなか聞いてくれない」と評する関係者は多い。鹿島からドイツへ移籍した際も、恩師を含めて大多数が反対する中で海を渡っていった。九州男児らしく信念を持っているとも、頑固であるともいえる。その大迫がブラジルW杯からの4年で、大きく変わった。2つの出来事を契機に自ら変わろうとした。

 「悔しい思いをして、だからこそ自分が変わらなきゃいけない。変わらないとまた悔しい思いをする。新しいトレーニングを入れて、少しでも成長しようと思った。ロシアW杯でしっかり結果を残すために。ロシアで本当にトレーニングをやってきて良かったという思いをしたいと思ったから。僕は11人の中で一番前にいる。だからやる覚悟を一番持って試合にも練習にも臨まなきゃいけない」

 まずはブラジルW杯。2試合に先発したが、無得点に終わった。ドイツに戻った後、トレーナーとともにロシアへの二人三脚のトレーニングが始まった。大柄な外国人DFを背負ってもぶれない体をつくるため、呼吸法によるトレーニングを取り入れた。また、小麦、卵、牡蠣(かき)にアレルギー反応があることを検査で知ると、試合2日前からそれらを含む食品を口にすることはなくなった。細かいところまで気にした。

 「何か変わらないとダメだと思った。必死でした。もっと成長するためにやるしかなかった。日本(Jリーグ)にずっといたらやっていなかったと思う。ドイツに来てからも、もともとある身体能力だけでやっていた。(単身赴任で)1人の時間が長いから考えちゃうってこともあったよね」

 ケルンで結果を出し始めた頃、再び壁にぶつかった。17年3月、日本代表の一員として参加したフランス遠征。世界トップクラスのブラジルとベルギーと対戦し、2連敗。FWとして無力さを感じ、今度はより体を有効に使うため、脳を鍛えることを決めた。

 「耐震ゴムのような動きで、相手の力を吸収して利用する形ができ始めてきた。4年前よりボールキープするレンジが広くなった。自在に使えるようになった分、ゆとりができている。今は4年前とは比べものにならないほど(W杯で)やれる自信がある」

 2度目のW杯。歩んできた過程と、今抱く心境は、日本のエースと呼ばれるにふさわしい。

 ◆大迫 勇也(おおさこ・ゆうや)1990年5月18日、鹿児島・加世田市(現・南さつま市)生まれ。28歳。2009年、鹿児島城西高から鹿島入り。14年1月にドイツ2部1860ミュンヘンに加入し、14年7月に同2部ケルン移籍。来季からはブレーメンでプレー。今季リーグ戦全25試合4得点。日本代表は13年7月の東アジア杯・中国戦でデビュー。14年ブラジルW杯出場。182センチ、71キロ。既婚。


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この4年で“頑固者”大迫を変えた2度の屈辱




◆半端ない決意を胸に。大迫勇也が抱くW杯への思い「日本代表の歴史を変えたい」(GOAL)




来月に控えるロシア・ワールドカップを前に、大迫勇也が現在の胸中を明かす。

ロシア・ワールドカップへ臨む日本代表の候補に選ばれた大迫勇也が5月19日、東京・原宿にあるアシックス原宿フラッグショップで行われた『DS LIGHT X-FLY3』の新色発表イベントに登場し、4年に一度の祭典への思いを語った。

日本代表を取り巻く環境は、ここ数カ月で激変した。ヴァイッド・ハリルホジッチ前監督の解任、西野朗新監督の就任、それに伴うマスメディアやファンによる論争、討論……。W杯の開幕を6月14日に控える中、先行きを不安視する声が少なくないのが現状だ。

だが、大迫自身に迷いはない。

「(監督が代わった)危機感はありますよ。ただその中で、みんな『勝ちたい』と思っている。その気持ちを同じ方向に向いていれば、絶対に結果は出ると思う。自分たちを信じて取り組みたい」

大会直前の監督交代劇は、日本中を巻き込んだ論争を呼んだ。しかし、大迫に「動揺はない」という。「ドイツでは、監督が代わることはしょっちゅうですし、そんなこと言ってられないですよ。僕らは前を向いて進み始めたから」。

すでにハリル時代は過去のこと。これからの日々はロシアで結果を出すために、歴史を作るために、費やしていく。まずは30日にガーナ戦が控えているが、大迫にとっては「メンバーを決めるための戦い」ではなく「本大会で結果を残すための戦い」となる。

「もうメンバーを決めるという戦いではないと思います。ワールドカップへ向けて戦わなければいけない。初戦に向けた貴重な一試合と考えてプレーしたいです」

「(本大会では)点を取ること。フォワードなのでね。点を取ってチームに勢いをつけたい。最低でもグループリーグを突破して、歴史を変えられるような結果を出したい」

日本代表の初戦は6月19日。大迫は「初戦がすべて」と語る。4年前のブラジルW杯では初戦のコートジボワール戦で逆転負けを喫し、そのまま白星を挙げることなくグループリーグで敗退となった。そして、最終戦の相手だったのが、今大会の初戦で対戦するコロンビアだ。

「4年前、コロンビアに負けて敗退が決まったので、借りを返すチャンスだと思います」

「前回は悔しさや不甲斐なさしかなかった。この4年間はドイツの一部リーグでプレーしてきて、少なからず手応えもあるので、それをぶつけたい」

4年前の悔しさを糧に、この4年間で培った経験と強さを武器に、そして日本を代表して戦う誇りと決意を胸に。大迫はロシアでの飛躍を誓う。




半端ない決意を胸に。大迫勇也が抱くW杯への思い「日本代表の歴史を変えたい」

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