日刊鹿島アントラーズニュース

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2019年7月11日木曜日

◆鹿島・小池裕太が明かした偽らざる本音。大学から海外へ挑戦の苦悩、「心技体」が整った磐田戦のゴールの裏側(フットボールチャンネル)



小池裕太 Yuta.Koike


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明治安田生命J1リーグ第18節が行われ、6日にジュビロ磐田と対戦した鹿島アントラーズは、2-0で勝利を収めた。この試合で2得点に絡んだのは、3月にシント=トロイデンから期限付き移籍で加入した小池裕太。チームをJ通算500勝へと導いたこの試合で、ベルギーで苦しんだ22歳の左サイドバックは偽らざる本音を明かしている。(取材・文:藤江直人)


大学時代にプレーした鹿島アントラーズ


 忘れかけていた感覚がどんどん蘇ってくる。オーバーラップを仕掛けるタイミング。味方との連携。マークにつく相手選手とのさまざまな駆け引き。何よりも大学時代には何度も感じていた自信が、鹿島アントラーズの左サイドバック、小池裕太の胸中で再び力強く脈打っている。

「この2試合で自分ができるプレー、というものをある程度表現できたので。そのなかでけっこう自信がついてきたのかな、と思っています」

 この2試合とは、リーグ戦初先発を射止めた6月30日のサンフレッチェ広島との明治安田生命J1リーグ第17節と、同じく初めて先発フル出場を果たした今月6日のジュビロ磐田との同第18節。アントラーズの一員になって3か月ちょっと。歩んできた道が正しかったと、小池はあらためて振り返る。

「試合に出られないこともあって、悔しい気持ちはありましたけど、それでもしっかりとサッカーができる喜びというものも実感できていたので。この3か月間はすごくポジティブにできていました」

 異色のルートをたどって、常勝軍団への復帰を果たした。栃木県宇都宮市で生まれ育った小池は、アルビレックス新潟ユースをへて流通経済大学へ進学。2年生だった2016年にJFA・Jリーグ特別指定選手として登録され、アントラーズの選手としてYBCルヴァンカップのピッチにも立った。

 3年生になった2017年には、日本代表として8月の夏季ユニバーシアード台湾大会での金メダル獲得に貢献。優勝した年末の全日本サッカー選手権では全試合でフルタイム出場するなど、世界的にも重宝がられる左利きの左サイドバックに注がれる視線は一気にヒートアップした。


偽らざる日本復帰への本音


 昨年のいまごろは、国内外のクラブによる獲得合戦が繰り広げられていた。ポルトガル1部のポルティモネンセSCの練習に参加し、練習試合でゴールまで決めた大学ナンバーワンの左サイドバックが下した決断は、ベルギー1部のシント=トロイデンへの加入だった。

「ポテンシャルがあり、将来性豊かな選手です。ここで多くのことを学んで成長してほしい」

 Jリーグを飛び越える形で、大学からヨーロッパの舞台へ挑む逸材へ、シント=トロイデンの最高経営責任者(CEO)を務める立石敬之氏は数年先を見すえながら大きな期待を寄せた。背番号「25」を手にした小池も、緊張と興奮を交錯させながらこんなコメントを残している。

「初めての海外挑戦で環境が変わり、苦労することがたくさんあると思いますが、少しでも早く試合に絡めるように頑張ります」

 シント=トロイデンへの加入が発表されたのは、2018/19シーズンが開幕した直後の昨年8月21日。サッカー部を4年の途中で退部し、新潟の開志学園高校からスポーツ推薦で入学した流通経済大学も休学して開始した挑戦は、シーズン途中の今年3月26日に一時停止を余儀なくされる。

 突然発表された、古巣でもあるアントラーズへの期限付き移籍は少なからず日本サッカー界を驚かせた。リーグ戦を含めた公式戦のピッチに一度も立つことがないままくだした、ベルギーの地を一度離れる決意。新天地は「日本以外には考えていなかった」と、小池は当時の偽らざる心境を明かす。

「とにかく自信を取り戻したい、という思いがあって日本を選びました。言葉の面や生活面が明らかに日本と違うし、そういう部分でサッカーにもかなり影響が出てきてしまった。試合にも出られないなかで、(ベンチに入れない)残り組のトレーニングでも正直、自分が納得いくようなプレーができていなかった。だからこそ、ストレスのない日本でもう一回やり直そうと思って」


容易ではなかった鹿島でのプレー


 言葉を含めた文化や風習、食事とすべての環境が変わることは覚悟していた。そびえ立つハードルを乗り越えた先にさらなる成長があると信じて、シント=トロイデンの経営権を取得した日本の合同会社DMM.comが手がける事業のひとつ、DMM英会話で英語の勉強も昨年末からスタートさせた。

 しかし、一度狂った心身の歯車はなかなか元には戻らない。ヨーロッパ帰りという点で日本では好奇の視線を注がれるかもしれない点で、夢半ばで帰国するには勇気がいる。それでも、ボールを蹴る以前の問題を一掃するためには、サッカー人生をリセットすることが必要だと腹をくくった。

「日本でしっかり結果を残せば、周りからの見られ方も変わってくると思うので。その意味でも期限付き移籍している間に、自分の実力というものをJリーグの舞台で表していこう、と」

 特別指定選手として登録された経験から、アントラーズの選手層の厚さは理解している。Jクラブのなかで群を抜く20個のタイトルを獲得し、昨季のアジア王者でもある常勝軍団のなかで、爪痕を残すことは容易ではない。それでも、前を向き続ければ必ず何かが変わると自らに言い聞かせてきた。

 果たして、リザーブに2度名前を連ねただけの軌跡は、特にサイドバックにけが人が続出した6月に入って一変する。14日のセレッソ大阪戦の77分から、MF白崎凌兵に代わって途中出場してリーグ戦デビューを飾ると、前述した30日のサンフレッチェ戦で初先発を勝ち取る。

 しかも、交代で退く3分前の74分には一時は勝ち越しとなる強烈なミドルシュートを突き刺す。プロ初ゴールで前人未踏のJ1通算500勝をアントラーズにもたらした、と思われた試合終了間際に同点とされ、小池の一撃もゴール直前にDF町田浩樹の体に触れていたとして得点者が訂正された。


ジュビロ戦で生まれた驚愕のゴール


 先発して62分までプレーした、北陸大学(石川県代表)との天皇杯全日本サッカー選手権2回戦をはさんで迎えたジュビロ戦。大学時代から自信を寄せてきた、利き足の左足に宿る高精度のキックを見込まれた小池は、大岩剛監督からセットプレーのキッカーを託される。

 果たして、アントラーズが29分にあげた待望の先制点は、ペナルティーエリアの左側で獲得した直接フリーキックから生まれている。

「練習の段階から『速いボールを入れろ』と言われていました。今日は(雨で)ピッチもスリッピーだったので、特に速く蹴ることを意識していました」

 こう振り返る小池の左足から放たれた低く、鋭い弾道はジュビロの選手と競り合ったMFレアンドロの頭をかすめる。コースを変えたボールは、後方にいたジュビロのDF新里亮を急襲。とっさに体勢を整えようとするも間に合わず、新里に当たったボールはゴールネットに突き刺さった。

 そして、40分には世界中へ配信された驚愕の一撃が生まれる。左タッチライン際にいた小池が、白崎とのワンツーで縦へ抜け出す。右ウイングバックの小川大貴が必死に食らいついてきたが、白崎へショートパスを通した直後から縦へ加速していた小池がボールを支配下に置き続ける。

「正直、狙ってはいないんですけど。セルジ(セルジーニョ)が走ってきているのが見えたので、グラウンダーの速いクロスを合わせようと思ったら、たまたまああいう弾道で入って。攻め込まれる時間帯が多かったんですけど、どこかでカウンターで一本あるかなと考えていました」

 小川を抜き去る前に上半身を強烈に右側へねじり、左タッチライン際で左足を思い切り振り抜く。クロスをあげる際の定石となるインサイドキックではなく、インステップキックでボールをミートしたのは、よりスピードのある低空クロスをマイナスの方向へ送ろうと考えていたからだろう。

 しかし、自身が考えていた以上にスピードに乗っていたからか。左足の甲のやや外側にヒットしたボールは宙を切り裂きながら、軌道を左側へと微妙に変えていく。前方へ出ていた名手、カミンスキーの頭上を越えて急降下した軌道は、反対側のゴールネットに突き刺さった。


「自分の特徴というものをまだまだ出せていない」


「サッカー人生のなかで、何回かああいう形のゴールはありました。何て言ったらいいかよくわからないけど、スーパーゴールと言えばスーパーゴールなので、(自分は運を)持っているかな、という感じですけど、満足はしていません。誰が見ても『小池のゴールだ』と言われるような、もっと綺麗な形でちゃんとしたゴールを見せられれば、と思っています」

 仕切り直しのJ1通算500勝を決定づけた角度のない場所からのミドル弾は、実はジュビロ戦で放たれた最初のシュートだった。アントラーズが放ったシュートはわずか3本で、14本のジュビロの後塵を拝した。苦しい時間帯が続いたからこそ、白崎は「あのゴールが大きかった」とこう続けた。

「あのオーバーラップがあいつ(小池)のよさ。今日は守勢に回って難しい部分もあったけど、自分のところでタメを作っていいパスを出せば、あいつの武器をもっと引き出せると思う」

 山本脩斗を筆頭に安西幸輝、小田逸稀と左サイドバックでプレーできる選手にけが人が続出。苦しい台所事情のなかで、9日には安西がポルティモネンセへ完全移籍することが決まった。小池の心技体が整い、国内外のクラブが注目した潜在能力がいよいよ開放されてきたことと無関係ではないだろう。

 ジュビロの攻撃を最後まで封じ、初めてフル出場を果たしたリーグ戦でJ1通算500勝目をもぎ取った瞬間を共有できた。しかもヒーローインタビューまで受けた点で、またしても「持っている」と言いたくなるが、上向きに転じつつあることも認めても小池本人はまったく満足していない。

「正直、得点以外のところで迷惑をかけてばかりだったので。攻守ともにというか、特に攻撃の部分で自分の特徴というものをまだまだ出せていない。けが人が多いなかで、これまで試合に出ていない選手たちが力にならなければいけない。その意味でももっと、もっと頑張っていかないと」


かつての同僚・関根貴大の存在


 メンタルの部分で袋小路に入り込んだシント=トロイデンの日々で、ホームシックにかかったことはなかったという。自身以外に5人を数えた日本人選手が、日本でのプロ経験がなかった小池の相談相手を務めてくれたからだ。そのなかでもドイツ・インゴルシュタットから期限付き移籍していたMF関根貴大に「一番お世話になったと思う」と感謝する。

「自分のことを気にかけてくれて、いつもLINEでメッセージを送ってくれましたし、家へ呼んでくれてご飯を食べさせてもらったこともありました。すごく心の支えになってくれました」

 独身の小池はシント=トロイデンの選手寮暮らしだった。朝食と昼食はチーム側から提供されるものの、夕食は寮内の共有キッチンで自炊するか、外食する形になっていた。そうした日々で妻帯者の関根の自宅に招かれ、夫人の手料理に舌鼓を打つ時間を介してどれだけ勇気づけられたことか。

 その関根も6月末に、2年ぶりに古巣の浦和レッズへ復帰することが発表されている。そして、今後のスケジュールを見れば、ACLの関係で未消化となっているレッズとの明治安田生命J1リーグ第16節が、今月31日に埼玉スタジアムで組まれている。

「やっぱり対戦したい、という気持ちはありますね」

 関根がかつての定位置だった右ウイングバックに入れば、対面同士で直接対決の火花を何度も散らす図式が生まれる。オーバーラップを含めた自慢の攻撃力で関根を凌駕し、恩返しができる瞬間を思い描きながら、小池は生まれ育った日本でようやく右肩上がりに転じさせた成長曲線を加速させていく。

(取材・文:藤江直人)

【了】




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