日刊鹿島アントラーズニュース

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2014年12月9日火曜日

◆大胆な世代交代のシーズンに最終的に3位。常勝軍団・鹿島アントラーズの前進と課題(Jスポーツ)


http://www.jsports.co.jp/press/article/N2014120821113902.html

2014年J1は最終的にガンバ大阪が2005年以来、9年ぶりのリーグ制覇を達成した。開幕から快進撃を見せていた浦和レッズはJ1制覇に王手をかけていた11月22日のG大阪との直接対決に敗れ、29日のサガン鳥栖戦でも後半ロスタイム弾でドローに持ち込まれ、ラストの名古屋グランパス戦でも逆転負けという最悪の結果を余儀なくされた。G大阪の逆タイトル獲得はもちろん遠藤保仁や今野泰幸ら軸となる選手たちの活躍によるところが大だが、浦和の大失速によってもたらされた部分も大だったと言っていいだろう。

最終節でG大阪と浦和が引き分け以下なら、3位の鹿島アントラーズにも逆転優勝のチャンスはあった。実際、鳥栖に2点差以上で勝っていたら、クラブとして17冠目を手に入れることができていた。しかし、大胆な若返りに打って出たばかりの彼らには、かつての老獪さやしたたかさが見られず、鳥栖に一瞬の隙を突かれて開始早々に失点してしまう。鳥栖の左サイドバック・安田理大のクロスを池田圭が落とし、高橋義希が右足ミドルで決めるという形だったが、クロスが入った瞬間から鹿島守備陣の反応が遅れ、池田や高橋への対応に後手を踏んだ。鳥栖は攻守の切り替えの速さや縦へのスピードを前面に押し出したチームだが、そういう相手の特徴は昌子源や植田直通ら若いDF陣も理解していたはず。それでもやられてしまったのは、勝負のかかった大舞台の経験不足によるところが大だったのだろう。

1点のビハインドを何とか跳ね返すために、トニーニョ・セレーゾ監督は中村充孝やルイス・アルベルト、本山雅志といった控え選手を次々と投入。最終的には植田を前線に上げてパワープレーに打って出た。90年代の頃なら秋田豊(現解説者)が、2007年から3連覇を果たした時代なら岩政大樹(BECテロ・サーサナ)がこういう状況で1点を取ってくれていたが、若い植田にそこまで求めるのは酷だったかもしれないが、新たな常勝軍団を築いていくためには、ここで一矢報いるゴールが欲しかった。0−1でタイムアップの笛を迎えた時、小笠原満男らベテラン勢は何とも言えない不完全燃焼感を強く覚えたに違いない。

「ここで2−0で勝っていれば、3連覇した時みたいなチーム力がつくと思うけど、こういうところで負けてたら成長はない。タイトルを取れば取るほど、プライドや自信、欲が出てきて、勝者のメンタリティが植え付けられていく。鹿島というチームはJリーグ発足当初、ジーコにそういうものを無理やり身に付けさせられて強くなり、満男や(中田)浩二、モト(本山)たちの世代が引き継いで行ってくれた。柴崎(岳)や源(昌子)たちは先輩の姿を見て、『勝たないといけない』とか『結束して戦わないといけない』と思うようになったし、責任感を口にするようになったけど、結果が伴わないと確固たる自信には繋がらない。そういう意味でも、鳥栖戦の負けは残念だった」と鈴木満常務取締役強化部長も繰り返し語っていたが、現在の鹿島は小笠原らが満足するレベルにはまだ達していないと言わざるを得ない。

2014年J1は最終的にガンバ大阪が2005年以来、9年ぶりのリーグ制覇を達成した。開幕から快進撃を見せていた浦和レッズはJ1制覇に王手をかけていた11月22日のG大阪との直接対決に敗れ、29日のサガン鳥栖戦でも後半ロスタイム弾でドローに持ち込まれ、ラストの名古屋グランパス戦でも逆転負けという最悪の結果を余儀なくされた。G大阪の逆タイトル獲得はもちろん遠藤保仁や今野泰幸ら軸となる選手たちの活躍によるところが大だが、浦和の大失速によってもたらされた部分も大だったと言っていいだろう。

最終節でG大阪と浦和が引き分け以下なら、3位の鹿島アントラーズにも逆転優勝のチャンスはあった。実際、鳥栖に2点差以上で勝っていたら、クラブとして17冠目を手に入れることができていた。しかし、大胆な若返りに打って出たばかりの彼らには、かつての老獪さやしたたかさが見られず、鳥栖に一瞬の隙を突かれて開始早々に失点してしまう。鳥栖の左サイドバック・安田理大のクロスを池田圭が落とし、高橋義希が右足ミドルで決めるという形だったが、クロスが入った瞬間から鹿島守備陣の反応が遅れ、池田や高橋への対応に後手を踏んだ。鳥栖は攻守の切り替えの速さや縦へのスピードを前面に押し出したチームだが、そういう相手の特徴は昌子源や植田直通ら若いDF陣も理解していたはず。それでもやられてしまったのは、勝負のかかった大舞台の経験不足によるところが大だったのだろう。

1点のビハインドを何とか跳ね返すために、トニーニョ・セレーゾ監督は中村充孝やルイス・アルベルト、本山雅志といった控え選手を次々と投入。最終的には植田を前線に上げてパワープレーに打って出た。90年代の頃なら秋田豊(現解説者)が、2007年から3連覇を果たした時代なら岩政大樹(BECテロ・サーサナ)がこういう状況で1点を取ってくれていたが、若い植田にそこまで求めるのは酷だったかもしれないが、新たな常勝軍団を築いていくためには、ここで一矢報いるゴールが欲しかった。0−1でタイムアップの笛を迎えた時、小笠原満男らベテラン勢は何とも言えない不完全燃焼感を強く覚えたに違いない。

「ここで2−0で勝っていれば、3連覇した時みたいなチーム力がつくと思うけど、こういうところで負けてたら成長はない。タイトルを取れば取るほど、プライドや自信、欲が出てきて、勝者のメンタリティが植え付けられていく。鹿島というチームはJリーグ発足当初、ジーコにそういうものを無理やり身に付けさせられて強くなり、満男や(中田)浩二、モト(本山)たちの世代が引き継いで行ってくれた。柴崎(岳)や源(昌子)たちは先輩の姿を見て、『勝たないといけない』とか『結束して戦わないといけない』と思うようになったし、責任感を口にするようになったけど、結果が伴わないと確固たる自信には繋がらない。そういう意味でも、鳥栖戦の負けは残念だった」と鈴木満常務取締役強化部長も繰り返し語っていたが、現在の鹿島は小笠原らが満足するレベルにはまだ達していないと言わざるを得ない。

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