日刊鹿島アントラーズニュース
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2014年1月2日木曜日
◆鹿島内定・赤崎が考える大卒のメリット 元高校ナンバーワンFWが進学した理由(スポナビ)
http://sportsnavi.yahoo.co.jp/sports/soccer/all/2013/columndtl/201306020003-spnavi
赤崎秀平は、在籍する筑波大学で圧倒的な存在感を見せつけ、“大学ナンバーワンFW”の地位を確固たるものとしている。4月には来季からの鹿島アントラーズ加入が内定し、特別指定選手としてすでに同チームに登録されている。赤崎は、現在J1で得点ランキング首位タイ(9ゴール)につけるFC東京の渡邉千真が早稲田大学ア式蹴球部(アソシエーション式フットボールの略)時代に記録した関東大学リーグ戦通算37得点を、3年間で塗り替えた。4年生となった現在もその記録は更新中で、今年も第9節を終えた時点で4ゴールを挙げている。
そんな赤崎は、佐賀東高校時代に浦和レッズからオファーを受けたが、それを断り筑波大学に進学した。“高校ナンバーワンFW”と評価された赤崎は、なぜプロからの誘いを蹴って、大学に進学する道を選んだのか。本人に当時の状況とその理由を語ってもらった。
試合中のプレーは大学の方が養える
――赤崎選手は高校時代の活躍が認められて、浦和レッズからもオファーをもらいました。ただそこでプロを選択しなかった理由はなぜでしょう?
あのときは、プロと大学の両方を選べる状況にありました。でも、自分が高校1年生のときに選手権などで活躍していた(大前)元紀君(フォルトナ・デュッセルドルフ)が、実際に自分が高校3年生になった時点でもプロの世界で活躍していなかったんです。僕も「まだ自分は元紀君のレベルに達していないな」という実感がありました。自分より上の人が活躍できていないのに、「自分がプロに行ったところで何ができるんだろう」と思ったんです。このレベルで飛び込むよりも、大学4年間で頑張って自分自身のレベルを上げてから、プロに挑戦したいと。そういう気持ちがあったので、大学を選びました。
――選手寿命が長くないサッカー選手にとって、プロで過ごす4年間と大学で過ごす4年間ではかなり差があり、与える影響も変わってくると思います。その中で大学を選んでよかったという部分やメリットと感じているのはどういうところでしょうか?
僕は高校3年生のときに「高校ナンバーワンFW」と言われていたんですけど、自分は決してそうは思っていなかったんです。本当の実力をつける上で4年間は絶対に必要だと思っていました。高卒で活躍するには、本当にスーパーな選手でなければいけないと思っています。これはスカウトの人に言われたことなんですけど、高校でプロに行っていたら3年契約の3年で終わっている可能性もあった。本当に自分を鍛えたいというか、そういう高い意識があるのであれば、決して長い4年間ではないと思います。
――大卒選手がJへの一番の供給源となっている事実がありますが、その点についてはどう考えますか?
僕が経験したことではないので本当かどうか分からないんですけど、ユニバーシアードで一緒だった山村(和也)君(鹿島アントラーズ)、比嘉(祐介)君(横浜F・マリノス)、増田(卓也)君(サンフレッチェ広島)は、五輪の話になると「練習の時はやっぱりプロの選手はうまい」と言っていました。そういった中でも、なぜ彼らが試合に出られたかというと、試合でのサッカーを知っているというか、試合でしか養えない部分があるのかなと思います。良い練習メニューをこなしても、試合の中でしか身につけられない部分はあると思います。そういう意味で、今のJリーグの若手で試合に絡めていない選手は、練習をこなすだけになってしまっているのかなと。公式戦の雰囲気だったり、そういう試合中のプレーは大学の方が養えるのではないかと思うし、それが大卒Jリーガーの多さだったり、多くの選手を排出している理由なのかなと思います。
――大学で養えたことについて、専修大学の長澤和輝選手は“考える力”とおっしゃっていました。大学生活は時間もあるし、いろいろと思考する時間も増えたのかなと思います
僕は、風間(八宏)さん(現川崎フロンターレ監督、元筑波大学監督)の影響もあるんですけど、1つひとつのプレーに対して、なぜこのプレーを選択したのかを論理的に説明できるようになりました。高校のときは感覚でプレーしていたし、それでできてしまうことが多かった。だから考える必要も説明をする必要もなかったんです。ただ、大学に入ったら、自分より能力が高いDFがいる。その中で、点を取るためにどうやって動けばいいかを論理的に考えなければいけなかった。風間さんに説明しなければいけないということもあったんですけど(笑)。そういうところは伸びたかなと思いますね。
――先日、来季から鹿島に加入することが決定しました。鹿島に決めた経緯や理由を教えてください
鹿島のスカウトから最初に声をかけられたのが去年の天皇杯で、僕たちは1−7で負けました(編注:この試合で赤崎は筑波大唯一の得点を挙げた)。それだけではないと思うんですけど、その試合の後に声をかけていただきました。ただ、練習に参加してから決めたほうがいいというのをJに行った選手から聞いていたので、春のキャンプをはじめ、話があった全チームに練習参加をしました。そこでいろいろな人と話す中で、組織としてアントラーズが一番しっかりしているな、と感じたんです。そうしたことをJリーグが始まってからの20年間で証明し続けたクラブだと思いましたし、このチームなら「Jに入ってからも自分を成長させてくれるな」と感じました。実際に一流の選手たちが各ポジションにそろっていますし、そういう環境でサッカーをやりたいという思いが一番大きかったです。
その都度できることを一生懸命やってきた
――山村選手に話を聞いたりはしたのですか?
聞きました。山村くんは今はなかなか出場できていないんですけど、その中でも“アントラーズがいい”と言ってくれた。彼がそう言うにはそれだけの理由があったと思うし、実際に僕もそう感じることができたんです。結局、アントラーズへの練習参加は1回だけで十分でした。
――鹿島のFWはダヴィ選手と大迫(勇也)選手がいますが、その2人に割って入るのは簡単ではないと思います
実際に練習に参加する機会もある中で、ダヴィや大迫さんは一流の選手だし、リスペクトもしています。だけど、あの2人にない部分も僕は持っていると思うし、全然違うタイプのFWだとも思っています。もっともっと彼らから盗むべき技術は多いと思いますけど、違う部分で勝負していけるんじゃないかなとも思います。
――では最後に、今後のサッカー選手としてのキャリアプランなどがあれば、お聞きしたいです
そうですね……これまでの20年ちょっとの人生を振り返ってみて「なんでこうなってきたか」ということを考えてみると、その都度できることを一生懸命やってきた結果だと思いますし、それが未来を切り開いてきた理由なのかなと思っています。筑波でやっているときは筑波のために一生懸命やるし、アントラーズでやるときはアントラーズで全力でやる。具体的なものはないのですけど、そういう姿勢を持ち続けて、日々取り組んでいきたいというのが、今の気持ちです。
<了>
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