“遠藤保仁の後継者”
3月27日のキリンチャレンジカップ・日本vs.ウクライナ戦でのこと。スタメン出場を果たした柴崎岳のテレビでの紹介テロップには、そんな言葉が記されていた。
これを見て、彼がまだ高校2年生の時の、ある発言を思い出した。
「僕は『◯◯に似ている』と言われることがあまり好きではなくて……。高校選手権の時、テレビである人に『リトル遠藤』と言われたんですよ。試合の録画を見たときに、そう言われているのを知って、凄く腹立たしく思いました。遠藤選手のようだと褒められることは光栄なんですが、『リトル遠藤』と呼ばれることは、自分のプレーがまだまだ『柴崎岳』として評価されていないということなんですから。
やっぱり……僕は『俺は俺だ』と言い切れるプレーヤーにならなければいけないと思うんです」
「誰かが誰かの後継者になることはできない」
日本代表の中盤を支え続け3回のW杯を経験した遠藤保仁(ガンバ大阪)と、 柴崎は長年にわたって比較されてきた。積極的にゲームを作っていくタイプで、広い視野と的確な状況判断を駆使して、常に冷静沈着にプレーする姿は似ていなくもない。
しかし、どんなに成長しても、着実にキャリアを積み重ねてもいまだにこの称号からは切り離されない現実もある。
青森山田高校から鹿島アントラーズに入ってからも、彼はこう主張していた。
「はっきり言って、誰かが誰かの後継者になることはできないんです。僕には僕のプレーがあるし、遠藤さんには遠藤さんのプレーがある。
遠藤さんは偉大な選手であることは間違いないし、僕に無いものを沢山持っているんですよ。でも……僕が持っているものもあるんです。だから、やっぱり言いたい、『あくまで僕は僕です』って」
彼のこれまでの苦難の歩みを知るひとりとして言うのだが、柴崎のそんな信念と努力に対して、いつまでも「遠藤保仁」の名前を出してしまうのは、あまりにも安直ではないか……といつも思う。
昔から、周りに左右されない生き方だった。
「もっと楽な、周りの話に合わせるような考え方ができた方がいいのかなと思うときはありますが……やっぱりそれは僕ではないので。自分の考え方を貫き通して、周りに左右されない生き方が、僕の中では確立しているので……」
これは彼が高3のときに語っていた言葉だ。
彼は高校時代から常に自分自身で壁を見つけて、じっくり考えながら這い上がってくるタイプだった。
よくある言い方の「壁にぶつかる」と言う表現ではなく、むしろ「ぶつかる壁を自らが積極的に探して、時には作り出して挑んでいく」と言った方が正確かもしれない。柴崎岳のメンタリティーの真髄はそこにあった。
つねに、ずっと先を考えてプレーしてきた男。
青森山田中学では、中学2年の時点で高校の公式戦への出場を果たしていた。その当時にしてすでに、「僕には高校チームに『入れさせてもらっている』という感覚はありません。通用しなかったら中学に戻されるだけ……それだけなんで」と言い放っていた。
「僕にとって高3の1年間は『高校最後の年』ではなく、『プロ1年目』なんです。すべてにおいてプロの基準でプレーしたい。そうやって自分に厳しく過ごせれば、いざプロになったら2年目の感覚で臨めますから」と語っていたその言葉通り、高校3年生の直前、早くも鹿島入りを内定させ、まったく緩むことのないプレッシャーを自らに与えていたほどだ。
鹿島に入ってからも「(小笠原)満男さんのように自分より上の存在がいることがとにかく嬉しいんです。全部学びたいし、どんどん自分を磨いていって、いつかは越えられるようになりたい。教えは乞うけれど……それでも僕は僕、満男さんは満男さんなんで」と語っていた。
鹿島では、やがて小笠原とコンビを組むようになり、ついにはチームの攻守の要として不動の存在にまで昇りつめてみせた。
ついに果たした海外移籍と、その苦難。
2017年1月に当時スペイン2部リーグのテネリフェに移籍。より上の存在を求めて、念願だった海外移籍を果たした。
入団直後はアクシデントの連続だったが、彼は頑ななまでに「帰国」という選択肢を選ばなかった。そして、なんとかして異国の地でピッチに立つため、あえて沈黙を守り続けた。
2月下旬、ようやくテネリフェでコンスタントにプレーするようになると、これまでの停滞が嘘のように新しい環境に適応してみせた。テネリフェの攻撃の中枢にまで成長すると、翌シーズンには1部昇格を果たしたヘタフェへの移籍を勝ち取った。
ヘタフェで託された背番号は10。コンディションも良く、絶好調で迎えたシーズン序盤の9月16日。リーガ第4節・FCバルセロナ戦では、バルセロナの無失点記録を破る、1部リーグ初得点を決めて世界に大きな衝撃を与えた。
しかし、その試合で柴崎は左足中足骨の骨折の怪我を負ってしまう。再び2カ月のチーム離脱となった。
とはいえ復帰後は、すぐに出場機会をつかみ、順調な回復ぶりを見せていた。だからこそ、ハリルホジッチ監督の目に留まり、W杯メンバー発表前最後のヨーロッパ遠征に臨むA代表選出に至ったのだ。
ハリル・ジャパンで求められているものは?
彼が鹿島、そしてスペインで磨いたもの。
それは間違いなく守備の力だった。
中学、高校時代にはチームの攻撃のタクトを握り続け、攻撃センスを存分に磨いた。
鹿島では守備のタスクを忠実にこなす術を覚え、スペインでは攻撃の要となりながらも、守備面での貢献が非常に大きいプレーを披露している。
そうやってこれまでもずっと成長し続けてきた……そんな中で、彼はハリル・ジャパンへの想いをこう語っていた。
「A代表には常に選ばれていたいと思うし、試合に出たいとは思っています。ただ、そこまでの評価は多分、まだハリルホジッチ監督にはされていないと思っています。
監督によって求められるところは違うので、その求められるところに対応していかないとそのチームには呼んでもらえない。
監督は『デュエル』という言葉を良く使いますが、やっぱり単純に1対1が強い選手が好きなのだと思う。それは、走力があって、きっちりとハードワークができる選手が好きだということ。その条件で僕が選ばれていないのは、ただ単に僕がまだそのレベルに達していないからだと分かっていますから」
ついに勝ち取ったウクライナ戦、スタメン。
彼がハリル・ジャパンに必要と考える技術を磨き続けていたからこそ、目論見通り、ウクライナ戦でトップ下のスタメン出場を獲得できたのだ。
ウクライナ戦では、ピッチを俯瞰してみせ、抜群の精度の縦パスやサイドチェンジを供給して攻撃に積極的にからんでいった。
スペインで磨いた守備力に関しては、ボールホルダーに激しくプレスバックを仕掛けたり、球際の勝負に挑んだりと、自らが考える「ハリル・ジャパンに必要なプレー」を随所で披露できた。
41分には正確なFKから槙野智章の同点ゴールをアシスト。結局、試合は1-2で敗れはしたものの、全体的に低調なパフォーマンスとなった試合の中で、ハリルホジッチ監督を納得させるレベルのクオリティーを見せたのだった。
「柴崎岳は柴崎岳だ」を証明する舞台。
「僕が大事にしているのは、常に『成長している』という実感を持ち続けること。もちろんその成長スピードは速いときもあれば、遅いときもある。
でも環境が変われば速くなるんです。同じ所にずっといれば『遅いな』って思ってしまうかも。
でも大事なのは……成長が緩やかなときでも急なときでも、その『成長している』という実感を持ち続けるということなんです」
すべては「柴崎岳は柴崎岳」であるために――ロシアW杯は、それを主張する大きな舞台となるはずだ。
代表は一度解散し、次に集まるときは5月下旬となる。
5月30日のキリンチャレンジカップ・ガーナ戦の翌日に、ロシアW杯の最終メンバーが発表されるという。
間違いなく、柴崎の力は今の日本代表に必要となるはずだ。
「ロシアW杯は柴崎岳の大会」となる?常に一歩先を読んで生きる男の挑戦。