日刊鹿島アントラーズニュース

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2018年5月6日日曜日

◆大迫勇也、恩師との再タッグの可能性は消滅か…フォルトゥナ幹部は「実現は難しい」と否定的(GOAL)




去就報道が騒がれ始める大迫。フォルトゥナは新天地とはならない模様。

ケルンに所属する日本代表FW大迫勇也は、フォルトゥナ・デュッセルドルフ移籍は実現しないようだ。地元紙『ウェストドイチェ・ツァイトゥング』が伝えた。

1部昇格を決めたフォルトゥナだが、先日には2部降格となるケルンから大迫をも獲得するとの報道が浮上していた。原口元気や宇佐美貴史の完全移籍での獲得が実現した場合、すでに住居をデュッセルドルフに置く大迫にとって、隣町のクラブは馴染みやすいとの理由から移籍の可能性が高いと伝えられていた。

しかし、フォルトゥナのロベルト・シェーファー取締役は3日、同選手の獲得を目指していないことを強調。「オオサコと(フリードヘルム)フンケルは以前、1860ミュンヘンで一緒によい仕事をしていたね」と大迫とフンケル監督との関係に触れながら、「だが我々にとって実現は難しい」と再会の可能性を否定している。

大迫はケルンと2020年までの契約を残すも、その中には降格時に行使可能となる契約解除条項が盛り込まれているとされる。報道では、これを行使するための設定額は「比較的安価」と見られるも、同選手が求める年俸がフォルトゥナにとってネックとなることが指摘されている。


大迫勇也、恩師との再タッグの可能性は消滅か…フォルトゥナ幹部は「実現は難しい」と否定的

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遺伝子 ~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(11) 
本田泰人 前編

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 5月2日、V・ファーレン長崎をホームに迎えた鹿島アントラーズは、前半4分に鈴木優磨のゴールで、先制点を獲得したものの、18分に同点弾を許してしまう。30分に金崎夢生が追加点となるPKを決め、勝ち越すことができたが、後半は長崎に押し込まれる時間が長く続いた。それでも得点を許さず、試合終了を迎え、4試合ぶりの勝利を飾った。

「ものすごく時間をかけて話し合い、練習でもコミュニケーションをとってきたなかで、今日は自分たちがやりたいようにやれた部分もあったけれど、失点もそうですし、やられる部分もあった。押し込まれる時間帯というのは、今までもたくさんあった。そういう時間帯でも、自分たちがどっしりと構え、無失点でやってきたという自信が僕らにはある。それを取り戻すというか、そういう戦い方もできるようにしたかった。

 そういう意味で、今日の後半だけを見れば、あれだけ押し込まれても失点がなかったのは、良い点だったと思う。もちろん、改善するところも出てきたので、そこを修正し、もっとレベルアップしたい」

 植田直通が試合をそう振り返った。

 4月28日の対横浜F・マリノス戦で、0-3と敗れたあと、大岩剛監督は「継続しなければいけないことと、守備面でやり直さなくちゃいけないことがある」と語っている。アウェー戦では、4月21日の川崎フロンターレ戦でも4失点を喫していることを考えれば、守備の修正は当然のことだろう。

 そういう意味では植田の言葉通り、長崎戦の後半は相手にボールを持たれても、慌てることなく、守り切れた。しかし、三竿健斗は「後半はラインが下がってしまい、プレスにいけないところもあった。主導権を握った守備をしなくてはならない」と語っている。

 久しぶりの勝利となったが、選手たちに安堵感は見られなかった。今季ホームでは負けていないが、アウェー戦では未勝利という現実は変わらない。

 小笠原満男の一言が、選手たちの思いを伝えていると思った。

「久しぶりの勝利ですね」というこちらの問いかけに、小笠原は吐き捨てるように言った。

「たかが1勝」

 そのスタンスが鹿島アントラーズの矜持(きょうじ)なのだろう。

 中2日で迎えるホームでの浦和レッズ戦で勝利し、連勝しなければ、長崎戦の勝利の意味がないこと選手たちは自覚している。遠藤康が言う。

「楽しみなぶん、勝たなくちゃいけないという気持ちが強い」

 すでにチケットは完売。かつて鹿島の指揮官として3連覇を成し遂げたオズワルド・オリヴェイラ監督率いる浦和をホームに迎える大一番は、鹿島の意地を賭けた試合になる。

*    *     *




 ジーコからキャプテンマークを引き継ぎ、そのスピリッツの継承者として、鹿島アントラーズの歴史の礎(いしずえ)を築いた本田泰人。帝京高校から本田技研入りしたものの、本田技研がJリーグ入りしないことを表明し、監督の宮本征勝、コーチの関塚隆とともに鹿島入りし、2006年鹿島で現役を引退した。 

――鹿島アントラーズの母体となる住友金属がJリーグ入りを果たしたとき、本田さんをはじめ、本田技研からは、黒崎久志(当時の登録名は比差支)さん、長谷川祥之さん、内藤就行さん、入井和久さん、千葉修さんなど多くの選手が鹿島の一員となりましたね。

「本田技研がJリーグに参加しないことになり、キーちゃん(北澤豪)や石川康などが早々にJリーグに参加するクラブへ移籍を決めるんだけど、『急ぐことはないだろう』と残っていたのが僕らだった。当時、すでに宮本さんは本田を離れていたんだけど、1992年に鹿島の初代監督に就任することが決まり、それを機に移籍することになった」

――当時の本田技研はJSL(日本サッカーリーグ)で上位争いをするようなクラブでしたが、アントラーズの母体となる住友金属は2部リーグ。不安はなかったのでしょうか?

「当然ありました。でも、ジーコがいるというのは大きかった。僕にとってのアイドルですからね。ジーコのもとで、ジーコとサッカーができるチャンスはそうあるものじゃないでしょう? 

 そして、クラブハウスやスタジアムの完成予想図なんかを見せてもらって、『こんなに環境のいい場所でサッカーができるのか』という気持ちにもなった。それと鹿嶋という土地も僕には魅力的だった。だって、工場があるくらいでほとんど何もないような場所。遊びに行くところもないし、サッカーに集中するしかない環境だったから」

――とはいえ、今まで日本のトップリーグでプレーしていたわけですし、レベルの違いやカルチャーショックのようなものはありませんでしたか? 
「もちろんありましたよ。(宮本)監督もそれを感じていたのか、体力作りと基礎練習が長く続きました。本田技研時代もシーズン前のキャンプでは1カ月くらい同じようなことをやっていましたが、その後は徐々に戦術練習へ移るんです。でも、鹿島ではそれが2カ月くらい続きました。ジーコはこのなかでプレーしていたのかと思うと、逆にすごさを感じました」

――住友金属組、本田技研組、そのほかにも日産やNTTからの移籍加入選手でスタートしたアントラーズが、まとまっていく過程というのをどんなふうに感じていましたか?

「やはりジーコという象徴がいたことは大きかった。何より勝利に対するこだわりの強さは強烈だったし、チームは家族なのだから、まずはチームのことを考えるということを選手たちに求め、選手もそれに応えようと必死でした。技術的に劣るなら、走力で補うとか、できることに全力を尽くす。それがプロだと。

『チームのために』というのは本田技研時代に宮本さんもよく話されていたことでしたし、いろんなクラブから集まってきた選手たちがまとまるうえで重要なポイントになったと思います。年齢的には本田技研組の選手はみんな若かったけれど、僕らが中心にならざるを得ないという覚悟はありました」

――1993年のJリーグ開幕前にイタリア遠征がありましたね。

「はい、あの遠征が非常に大きかったと思います。あそこでチームとしての戦術を徹底的にトレーニングしたんです。初戦はセリエCのクラブとやって引き分けられたけれど、続くクロアチア代表戦には1-8と大敗。激怒するジーコの姿は今でも思い出せます。

 翌日からはとにかく守備練習。4バックとアンカーの僕の5人で、カウンターを受けた形をひとつひとつ整理していくんです。もうヘトヘトでしたね。何度も何度も繰り返し、ゼーゼー言いながら(笑)。いつ終わるともわからない。翌日もまた同じ。どんどん疲労もたまりました。僕のキャリアのなかでも一番キツイ練習でした」

――その成果がインテルとの練習試合でドローという結果に繋がりましたね。

「向こうはトップチームだったから自信になりますね。そういうクラブと(練習試合を)セッティングできるのもジーコだからこそ。オフの日にミラノ観光していたら、(パオロ・)マルディーニ(※)が声をかけてくれたんですよ。『君たちはジーコのクラブの選手か?』って。いっしょに写真まで撮ってもらった。本当に自分たちが恵まれた環境なんだ、ジーコとチームメイトなんだと実感しましたね」




――インテル戦の結果に対して、ジーコはどんな反応だったのでしょうか?

「褒めてもらえた。ジーコはね、いいと思ったこと、頑張ったことに対しては、すごく褒めてくれるんですよ。『お前、できるじゃないか!』って。これはよく話す話ですが、ショートパスのミスに対してはメチャクチャ怒るんだけど、ミドルパスやロングパス、チャンレジしたパスに対するミスについては、『問題ない。よいチャレンジだ』と言ってくれる。そういう人なんです」

――ジーコのハットトリックもあり、開幕戦(1993年5月16日、対名古屋グランパス)を5-0で勝利したアントラーズは、そのままファーストステージ優勝を果たします。

「あの開幕戦は僕にとっても思い出深い一戦です。初戦を勝てたことでの安堵感が生まれたし、勢いがついたのは間違いないですから」

――鹿島が数多くのタイトルを獲得する強豪クラブとなったのも、あの優勝があったからだと思います。

「僕も自分は負けず嫌いだとは思っていたけれど、ジーコのそれはハンパなかった。どんなことであっても勝負事に負けると不機嫌だったし、勝てば大喜びする。その姿は、常に勝利へのこだわりを僕らに示してくれた。ジーコがアントラーズに植えつけてくれたものです。

『サッカーは勝たなければ、評価されない。プロならば勝たなくちゃいけない。24時間サッカーのことだけを考えろ』って、よく言われましたね。24時間は無理だろうと思ったりもしたけれど、年齢を重ねるとその意味が痛感できた。勝たなければお客さんは来ない。サポーター、ファンに喜んでもらえるよう、ファンサービスもちゃんとやらなくちゃいけないと、サインをするスペースを作ったり……。すべてがサッカーのため、チームのために繋がっているんです」

――そんなジーコに最も強く教わったことはなんでしょうか?

「個人として活躍すればそれでいいという気持ちは、絶対にダメだということですね。常にチームとして何ができるかを考えろと。チームはファミリー、サッカーは団体競技でチームスポーツだと。わずかひとりでも好き勝手にプレーしたら、勝てない。それを日々、ジーコから叩き込まれた。そして、キャプテンを務めるようになってからは、今度は僕が若い選手たちにそれを伝えました。いつも”チーム、チーム”と厳しく言っているから、怖がられていましたね(笑)」

(つづく)


「ジーコの負けず嫌いはハンパなかった」。本田泰人はその魂を継いだ

★オズワルド・オリヴェイラ絶叫2008&2009(日刊鹿島アントラーズニュース)








◆【鹿島】3連覇時の指揮官率いる浦和から勝利 語り継がれる07年“魂のミーティング”(報知)





 ◆明治安田生命J1リーグ第13節 鹿島1―0浦和(5日・カシマスタジアム)

  両手をポケットに突っ込んだままピッチを見つめる恩師を横目に、勝利の笛を聞いた鹿島の大岩剛監督(45)は両拳を突き上げた。かつて選手として07~09年の3連覇に貢献し、11年には新任コーチとして師事したオリヴェイラ監督率いる浦和から勝ち点3をつかみ取った。大岩監督は「素直にうれしいことです」と勝利をかみ締めた。

 エースFW金崎はPKを沈めて日本人トップタイの6点目を決めた。温厚な性格のMF三竿健は鬼の形相で両手を振り上げ、鹿島のゴール裏サポーターをあおった。DF昌子と植田の代表コンビもお互いのミスをカバーし合いながら奮闘。「優勝する上で、絶対に負けられなかった」と昌子。MF小笠原、DF西の両ベテランはセカンドボールに猛然と駆け出し、左右からの“同時スライディング”でボールを外にかき出した。GK曽ケ端も好守を連発し存在感を発揮。11人全員が勝利に執念を見せる強い鹿島が帰ってきた。

 鹿島に語り継がれるミーティングがある。逆転優勝をかけた07年の最終節・清水戦前。オリヴェイラ監督は語りかけた。「10年後、大岩は白髪が増えている。岩政(大樹)はビール腹。田代(有三)はヘディングのしすぎで頭がおかしくなり、内田(篤人)は引退試合をする選手になっているだろう。そんな君たちは、10年前に成し遂げた劇的優勝を思い出す。まさにその日が今日。みんなで歴史を作るんだ」

 清水を3―0で下し、V1を達成。その後の3連覇につなげた。そんな伝説の07年も、今季同様に開幕当初は苦戦。13節終了時は今季よりも下の9位だった。それでも終盤の9連勝などで大逆転優勝を成し遂げた。

 “魂のミーティング”から10年あまり。満員の会場で、クラブの偉人が指揮を執る浦和を下しての白星。エースが決勝点を奪い、しぶとい試合運びで90分を終えて今季初の連勝と、今後に弾みのつく勝利を手にした。「常に勝ちを続けていく」と大岩監督。鹿島の逆襲が始まる。(岡島 智哉)


【鹿島】3連覇時の指揮官率いる浦和から勝利 語り継がれる07年“魂のミーティング”




◆浦和オリヴェイラ監督がエスコート役!? “教え子”の敵将も感謝「全てに影響を受けた」(Football Zone)


浦和・オリヴェイラ監督(左)と鹿島・大岩監督(右)は、試合後に互いを称えあった【写真:Getty Images】


7年ぶりのカシマスタジアムで古巣と対戦も0-1で敗戦「眠れない夜もあった」

 J1浦和レッズのオズワルド・オリヴェイラ監督は、古巣対決となった5日の鹿島アントラーズ戦で0-1と敗戦を喫した。悔しい結果となったなか、試合後には和やかな雰囲気で記者会見に臨み、鹿島時代の教え子である敵将・大岩剛監督をエスコートする一幕もあった。

 前半25分に鹿島FW金崎夢生に与えたPKの1点を守り切られた浦和だが、オリヴェイラ監督は「はっきりその場面は見ていない」と言及。「選手があれだけ抗議するのだから、厳しいジャッジだったのだろう。(前節の)川崎フロンターレ戦では、我々にPKが与えられていいいくつかの場面で笛はなかった。基準が一定していないのではないだろうか」と、リーグ全体の判定基準に疑問を呈した。

もっとも、その表情は終始穏やかなものだった。それは「素晴らしく動きのある試合であり、両チームがゴールを狙ってプレーし続けた。結果だけが内容を反映していないアンフェアなものだった。後半は完全に支配して押し込んでいたから」。決定機を作り出しながらゴールだけが奪えなかった試合に対し、一定の満足感がある様子だった。

 また、7年ぶりとなったかつての本拠地カシマスタジアムでのゲームにも、感慨深いものがあったようだ。

「このスタジアムで鹿島と対戦すると考えれば、眠れない夜もあった。ただ、私は20クラブ以上で指揮して、どのクラブとも対戦した。いつかは、過去に指揮したクラブとの対戦は訪れるものだから、プロとして戦った」

「オズとの関係は、近くにいても、遠くにいても、大きなものがある」

 会見が終わると、オリヴェイラ監督は旧知の記者に握手を求め、「私の本を書いてくださった方もいますね」などと話しながら、なかなか会見場を後にしなかった。ホームチームの監督会見が控えていた状況に、鹿島のスタッフが苦慮していると「私がゴウ(大岩監督)を呼んできましょう」と廊下に出てエスコートする一幕も。そして「素晴らしい選手であり、素晴らしい監督であり、素晴らしい人間です」と、大岩監督をアピールして笑顔で去っていった。

 大岩監督は戸惑いつつも笑顔で握手を交わし、オリヴェイラ監督について「恩人であり、尊敬する人物であり、全てに影響を受けた。今日という日があって、いろいろな感情があるのは幸せ。オズ(オリヴェイラ監督)にも感謝したい。彼との関係は、近くにいても、遠くにいても、大きなものがある」とこちらも感慨が深そうに話していた。

 鹿島のホームで実現した名将の古巣対決は、ピッチ上では非常に白熱した激しい戦いが繰り広げられた一方で、試合後は互いを称え合うものになった。両監督にとって、キャリアの中でも思い出深い一日になったのは間違いのない。



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