http://www.soccer-king.jp/news/world/ger/20131027/144094.html
シャルケ在籍4シーズン目を迎え、チャンピオンズリーグ日本人最多出場記録も更新中の内田篤人が、現在発売中のサムライサッカーキングのロングインタビューの中で、その熱い内面と、静かに湛える《自信》について語っている。
──最近、「シャルケでずっとプレーしたい」というコメントがありましたが、以前は違うクラブ、違うリーグへの移籍も選択肢に入っていると語っていました。現在はシャルケで良い経験を積みたいという気持ちが強いですか?
内田 あのコメントは、一応、シャルケのオフィシャルサイトでのインタビューだったので(笑)。正直、今は移籍についてはあまり考えてないですね。他のチームに行きたい、となっても、シャルケで頑張らないと始まらない話じゃないですか。結局、今を頑張るしかないんです。
──「今を頑張る」という気持ちが、これまで以上に強くなっている印象を受けます。
内田 これまで、たくさん迷ったり、悩んだりもしてきましたが、結局そこだなって。目の前のことを頑張るって決めちゃえば、もう悩む必要もないじゃないですか。毎日やるしかないんですから。
──25歳にして、かなり達観した感じが出てきましたが、そういう境地に達したのは、何度も迷ったり、悩んだりを繰り返したからですかね? 長谷部誠選手以上に、整っている気がします(笑)。
内田 いやいや、まだまだです( 笑)。ただ、他の選手と比べて、やってきた試合、やってきた大会の質と量は絶対に負けていない自信があります。
──歴代の日本人選手の中でも、一番すごい経験をしていますもんね。なんせ、CL準決勝を戦ってますから。
内田 そういう積み重ねが、何より大事かなと。僕のサッカー人生は、今のところ、相当濃いと思ってます。
──最近は泣くこともなくなってきたんじゃないですか?
内田 全く泣いてないですね。というか、悩むこと自体もほとんどなくなってきましたね。
──確かに、こうして話を聞いていても、以前と全然違いますからね。
内田 そうですか? 自分ではあんまり分からないですけど。
──内田選手と話していて、すごく特徴的だと感じるのが、「視点」が多いことです。自分の視点、相手の視点、それから第三者の視点といったように。
内田 確かに、それはありますね。自分側からの考えだけだと、どうしても偏るじゃないですか。例えば、僕らは選手側からの考え方しかしていない。でも、監督側から考えると、全然違ったりする。そういう、いろんな考え方をトータルして、「自分はどういう選手なのか」って考えたりします。いろんな方向から見ると、考え方は全然違ってきますよね。
──そういう考え方をするようになったのはいつからですか? 昔から?
内田 いや、ドイツに来てから変わったんじゃないですかね。鹿島の時から根っこの部分はあったと思いますけど。
──内田選手は、これまで、何度も挫折と復活を繰り返してきました。どん底に落ちた時に、復活する方法を教えてもらえますか。
内田 この前も、友達から「へこんだ時とかどうしてんの?」って聞かれたんです。僕はちゃんとへこむ時間は作ったほうがいいと思ってます。へこんだ時には、あえて2、3日ぐうたらするんですよ。練習も超適当にやります。もちろん、その期間が終わったらちゃんとやると決めて。
──「山と谷を意識的に作る」ということですね。
内田 そうです。ちゃんと谷を作っておかないと、山もできませんから。
──「いったん休んで、このタイミングから再スタート」というふうにやると、またスイッチを入れられるということですね。
内田 そうです。うまくいかない時って、本当に何をやってもうまくいかないから。そういう時はひたすら耐えるしかないので、自分の中で「ケガをしないだけでもOK」と考えて乗り切ります。
──こういう方法は、他のサッカー選手には教えないんですか?
内田 サッカー選手には言わないですね。友達には言いますけど。自分で悩んで、もがき苦しんで、ということを繰り返すしか、そういう方法を身に付けることはできないかもしれないですし。例えるなら、「スーパーサイヤ人の原理」と一緒。スーパーサイヤ人は、死ぬギリギリまで追い込まれてから復活すると強くなるじゃないですか。それと一緒だなって。(サムライサッカーキング 11/12月号より一部抜粋)
2010年7月に鹿島アントラーズから推定1億5000万円の移籍金でシャルケへ加入した内田は、そのシーズンに日本人として初めてCL準決勝(対マンチェスター・ユナイテッド)に出場。シーズンごとにレギュラー争いに勝利し、シャルケ在籍4シーズン目を迎えた現在は代えのきかないプレーヤーとして大きな存在感を示している。今年10月2日のCL対バーゼル戦でCL通算18試合出場を達成。中村俊輔が持っていた日本人本大会最多出場記録を更新した。