日刊鹿島アントラーズニュース
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2016年7月6日水曜日
◆岩波、植田、室屋らとプレーした経験を糧に…守備職人としてプロ入りを目指す早稲田大MF平澤俊輔(サッカーキング)
http://www.soccer-king.jp/news/youthstudent/20160705/464835.html
平澤俊輔がプロサッカー選手を志すようになったのは、ごく自然なことだった。幼い頃からサッカーに触れ、鹿島アントラーズジュニアを経てJFAアカデミー福島に加入。日本サッカー協会が提携するエリート養成機関で技術を磨いた。しかし、年代別代表では強烈な個性を持つ周りの選手との差を痛感。改めてプロ入りの難しさを思い知った。「チームを勝利に導く力を身につけたい」。常に謙虚な姿勢を崩さない平澤は、早稲田大学でひたむきに努力を続けている。
インタビュー=平柳麻衣、写真=梅月智史、瀬藤尚美
サッカーにおいては父が一番厳しかった
――サッカーを始めたきっかけは?
平澤 サッカー好きな父の影響です。父が自分にサッカーをやらせたがっていたので、1歳の誕生日プレゼントはサッカーボールでしたし、父が会社の人たちと一緒にやっていた草サッカーによく連れていってもらい、ボールを蹴っていました。
――熱心な指導を受けたのですか?
平澤 サッカーにおいては父が一番厳しかったです。毎日夕方に父が仕事から帰ってきたら、サッカーボールを持って小学校のグラウンドに行って練習していました。でも、遊びながらやっていたので、楽しかったという記憶しかないです。
――チームに入ったのはいつ頃からですか?
平澤 地元の鹿島アントラーズジュニアに声を掛けてもらい、小学4年生から入りました。
――当時はやはり鹿島のトップチームの選手に憧れていたのですか?
平澤 はい。当時はFWだったので柳沢(敦)さんが好きで、動きだしなどを見て学んでいました。
――中学からJFAアカデミー福島に入りました。鹿島ジュニアユースは考えていなかったのですか?
平澤 鹿島まで通うのに車で2時間くらいかかったんです。ジュニアの時は平日2日と土日だけだったので何とか通っていたんですけど、ジュニアユースは平日毎日練習があるのでどうしても通えず、寮があるチームを探して、JFAアカデミーに入りました。
――JFAアカデミーには2期生として入りましたが、環境などはいかがでしたか?
平澤 本当に素晴らしい環境だったんですけど、歴史が浅い分、今思うと手探りでやっていたところがあったなと感じます。6年間そこで過ごして、自分も含めて卒業生がすごく活躍できているかと言ったらまだまだなのかなと。
――JFAアカデミーに入ってからは、どのポジションをやっていたのですか?
平澤 中学、高校はDFやボランチをやっていました。もうFWをやることはなかったのですが、その頃から自分の強みは守備だなと感じ始めていたので、自分を活かせるポジションだと思いながらやっていました。
――中学時代で特に記憶に残っている思い出はありますか?
平澤 中学3年の時に、U-17ワールドカップのアジア1次予選(AFC U-16選手権2010 予選)の直前の国内合宿に呼ばれたんですけど、合宿メンバーは25人で、そこから予選に向けて2人落とす時に自分がその2人に入ってしまったことです。本当に悔しかったです。
――当時の自分に足りなかったものは何だと思いますか?
平澤 当時はボランチをやっていたんですけど、周りに技術が高い選手が多い中で、自分の強みを合宿で最大限にアピールできなかったと思います。
――コンディションが悪かったなど、原因があったのですか?
平澤 コンディションは全然良かったです。多分、自分の性格的な問題で、自分自身を表現しきれなかったんだと思います。
――当時、ポジションを争っていたライバルは?
平澤 今、東京ヴェルディにいる楠美(圭史)が一番印象に残っています。すごくうまくて、攻撃の起点はすべて楠美が作っているような感じだったので、そこで勝負したら自分は勝てないなと感じました。悔しかったけど、ある意味、力の差を納得して受け入れられました。
すべてのレベルを上げなければ、プロにはなれないと痛感した
――高校時代はJFAアカデミー福島U-18ですぐに出場機会を得られましたか?
平澤 最初はボランチで出させてもらっていたんですけど、なかなかうまくいかなかったです。守備を評価されてスタメンで使ってもらっても、攻撃面のボロが出始めたら交代、という展開が続いていました。単純にパスを通すことはできていたんですけど、得点につながる決定的なパスを出したり、ドリブルで相手をはがして決定機を作りだすなど、他の選手との違いを出す力がなかったんです。やっぱりそういう選手がいた方が、攻撃は活性化しますよね。
――その課題を改善するために、取り組んだことはありますか?
平澤 ずっとその課題は続いているので、今も自主練に落としこんでやっています。プレー中にピッチを上から見ているようにイメージする力がまだまだ足りないと感じます。
――自主練ではどんなことをやっているのですか?
平澤 JFAアカデミーの時も早稲田にも練習場に壁があるので、うまく利用しながらボールを止めることやパス、ドリブルの練習を1人でずっとやっています。
――プロのチームや選手の試合動画を参考にすることはありますか?
平澤 結構よく見ます。レアル・マドリードの(ルカ)モドリッチはプレーを参考にしたいので研究しているんですけど、実際に自分のプレーに落としこむのはなかなか難しいです。
――その他に、目標としている選手はいますか?
平澤 長谷部(誠)選手(フランクフルト)です。日本代表の試合を見ると、攻守において常にハードワークしているので勉強になります。
――長谷部選手はキャプテンシーも高く評価されている選手ですが、平澤選手も高校時代はキャプテンを務めていたのですよね?
平澤 はい。1年生の時から学年代表としてコーチへの連絡係などをやっていたので、その流れでキャプテンになりました。でも、高校3年の5、6月頃はプレーの調子が悪くてキャプテンを外されたこともあったので、それほどみんなを統率できていなかったです。今もまだ自分の足りない部分なので、早稲田の中で最上級生としてもっと出していかないといけないと思っています。
――高校時代も年代別代表に入っていましたが、中学時代との違いは感じましたか?
平澤 当時から複数の守備的ポジションができることを強みとしていたんですけど、代表ではそれが強みにならないと感じました。一つひとつのポジションでのレベルが低かったんです。例えば、センターバックだったらパワー、サイドバックだったらスピードや一対一の強さ、といった一つひとつの能力が代表のスタメンレベルの選手に全然及ばなくて。すべてのレベルを上げなければ、プロにはなれないと痛感しました。
――特に差を感じた選手はいましたか?
平澤 センターバックには岩波(拓也/ヴィッセル神戸)と植田(直通/鹿島アントラーズ)がいました。あの2人の高さやパワーは自分にはない部分だし、そこで真っ向勝負したら勝てないので、違いを出すために機動力や粘り強さを出していかないといけないと感じました。サイドバックには室屋(成/FC東京)もいたのですが、室屋とは大学リーグでマッチアップした時も、スピードやクロスの質などにおいて完敗しました。
――ここまで悔しかった思い出の話が続いてしまったので、活躍した時の話もお聞きしたと思います。「自分の活躍で勝てた」と思った試合はありますか?
平澤 あまりそう思うことはないですね。いつも「もっとできる」、「もっとやらなきゃダメだ」、「まだまだ上には上がいる」という考え方になってしまいます。
――例えば、高円宮杯U-18サッカーリーグプレミアリーグ参入戦ではキャプテンとしてチームをけん引しながら、得点も挙げて勝利に貢献しています。
平澤 参入戦で点を取ったのは、目の前に落ちてきたボールを決めただけだったし、同期や後輩たちが必死に戦ってくれたおかげだと思っているので、「自分が勝たせた」という感覚ではなかったです。
――では、他に高校時代で思い出に残っている試合や大会はありますか?
平澤 高校3年の時の天皇杯(第92回天皇杯全日本サッカー選手権大会)の福島県予選です。決勝まで行ったんですけど、当時、東北社会人リーグにいた福島ユナイテッドに延長戦の末、1-2で負けました。チーム全体が自信を持って「天皇杯に出場してやる」と意気込んでいた中での敗戦だったので、すごく悔しかったです。
――勝てそうな雰囲気があったのですか?
平澤 はい。自分たちが勝つ流れをその試合で作れていた中で2失点してしまいました。それはセンターバックだった僕の責任だと思うし、同期の松本(昌也/現大分トリニータ)や一学年下の(金子)翔太(清水エスパルス)がすごく活躍していたのに、勝たせられずに残念だったなと思います。これもまた悔しかった時の思い出ですね(苦笑)。
――自分のミスで失点してしまったのですか?
平澤 そういうわけではないんですけど、もう1人のセンターバックと被ってしまって、カバーに入っていた自分があと一歩怠っていなければ防げたと思っています。
――話は変わりますが、高校在学中に東日本大震災が発生しました。
平澤 高校1年の終わり頃で、地震が起きた時はグラウンドで練習していました。最初は小さい揺れが長いなと思っていたら本震がきて、壁やゴールが壊れてしまい、ヤバいなと思いながらその日は寮に泊まりました。ご飯はおにぎり一つしかなかったので、「これで明日も生きなきゃ」という感じで。僕は学年リーダーという役職をやっていて、中学生の統括も任されたので、人数確認をしたり、近くのスーパーにクッキーを買いに行ったりもしました。2日目はそのクッキー1枚で何とか空腹をしのぎ、3日目の朝に原発が危ないという噂が出始めて、被爆を避けるために全員を集めてレインコートやベンチコートを配ったりと、一週間くらいは壮絶な生活が続きました。
――その後、JFAアカデミーは静岡に移転しましたね。
平澤 それからはずっと御殿場で過ごしました。大変でしたけど、福島の方々も静岡に来て「がんばっているよ」という話をしてくれたので、僕たちもがんばらなきゃと思いました。
――高卒の時点でプロ入りの話はなかったのですか?
平澤 プロからの誘いはなかったですが、震災の時に(湘南)ベルマーレがご厚意で自分と何人かの選手をトップチームの選手と一緒に練習させてくれました。そこでプロとの差を感じて、このままプロになっても通用しないだろうなと思ったので、それなら大学4年間でもう一度しっかり自分を磨こうと考えました。
――練習参加した際にプロの選手に直接相談したり、アドバイスをもらったりしましたか?
平澤 (横浜F)マリノスとの練習試合に出させてもらったんですけど、当時ベルマーレの社長だった大倉(智/現いわきFC代表取締役)さんから、「メンタル面や試合に対する姿勢はプロでも通用するものを持っているから、そこを忘れずに今の自分の課題としっかり向き合って取り組んでいけば、その先につながるよ」と言っていただきました。
「早稲田に入って、人間らしくなったね」と言われた
――その後は早稲田大学に進学しました。
平澤 JFAアカデミーの中田(康人)監督の息子さんが、僕が高校3年の時に早稲田大の3年だったんです。僕は中田監督のことをすごく尊敬していましたし、その息子さんもすごい選手だったので、早稲田に行きたいなと思い、自己推薦で入りました。
――早稲田大はすぐにサッカー部に入部することができないそうですね。
平澤 はい。最初に走りのテストがあって、それに合格すると、全員最低2カ月間は仮入部となります。その間にサッカーと人間性の両面から合否が判断されます。しかも、その判断をするのは4年生なんです。僕らも今、新1年生に対して指導をしているんですけど、なかなか難しいです。
――早稲田大や大学リーグのレベルに関してはどのような印象を受けましたか?
平澤 高校と違ってパスの距離も長いし、一人ひとりのプレーエリアが広いと感じました。自分はまだまだプレーする範囲が狭かったので、そこを改善することに最初は苦労しました。
――早稲田大は守備がベースのスタイルですが、守備が得意な平澤選手にとっては、合っていると感じる部分が多かったのではないですか?
平澤 いや、自分の守備範囲がすごく狭かったので、守備においても難しさを感じました。一学年先輩で去年のキャプテンの(金澤)拓真君や、センターバックの(奥山)政幸君(現レノファ山口FC)のプレーを初めて見た時は、カバーリング能力が高くて、すべてのボールにチャレンジできていて、すごいなと衝撃を受けました。
――現在は主にボランチでプレーしています。
平澤 入学当初はセンターバックで、2年生の時はサイドバックで試合に出させてもらっていました。守備的ポジションはどこでもできることと、ハードワークできるところが自分の特徴だと思っていますが、ボランチが一番やりがいがあって楽しいです。
――ボランチのどんなところにやりがいを感じますか?
平澤 最終ラインと違って、攻撃にも関われるところです。体力が自分の強みなので、積極的に攻守両面に関わることで特徴を出しやすいですし、そこに楽しさを感じます。でも、自分にはスペシャリティーな部分がないので、いろいろなポジションをそつなくこなせるところを売りにしていきたいと思っています。
――昨年は19年ぶりのリーグ優勝にも貢献しました。早稲田大に入って変わったところはありますか?
平澤 自分ではそう思っていなかったんですけど、親から「早稲田に入って、人間らしくなったね」と言われました。それまでは淡々とサッカーに打ちこんで、淡々と練習を繰り返している感じだったんです。でも、早稲田に入ってから感情を表に出すようになりました。今まで先輩たちの姿を見てきて、人の心を動かすためには泥臭く戦うことが必要だなと感じて。まだまだですけど、拓真君のように人間臭い姿や、感情をむき出しする姿を見せていきたいなと思っています。
――今年は大学ラストシーズンです。ここまでの戦いを振り返っていかがですか?
平澤 チームの結果も自分のプレーも、全く満足してないです。もちろん他のチームがあってのことなので、苦しい戦いになることはわかっていたんですけど、今振り返ると試合前の準備や試合中のプレーにおいて、まだまだやれることがあったと思います。そういう後悔はなくさないといけないし、自分のプレーを向上させるためにも、前を向いてやり続けるしかないと思っています。
――昨季リーグ優勝したことは、自信またはプレッシャーになっていますか?
平澤 プレッシャーも自信もないかなと思います。去年とは違うチームなので、プレッシャーに感じる必要はないし、去年は自分の力で勝たせられたわけではないので、自信を持つこともないです。過信になってしまったら良くないですし、今年は本当に謙虚に戦っていくことが大事だなと感じています。
――今後に向けての意気込みを聞かせてください。
平澤 まずはチームとして結果を出すことが一番だと思っているので、リーグ連覇、総理大臣杯優勝、インカレ優勝に向けて戦っていきたいです。去年の自分にはなかった「チームを勝利に導く力」を残りのシーズンで身につけたいと思っています。
――将来のことは考えていますか?
平澤 あまり先のことは考えていないので、今やるべきことを一つひとつやるだけですね。今年1年間はプロに入ることだけを目指して、一生懸命やっていきたいです。
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