日刊鹿島アントラーズニュース

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2020年3月31日火曜日

◆常勝軍団×IT企業のシナジー効果とは? Jリーグ新時代 令和の社長像 鹿島編(Sportsnavi)







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「常勝軍団」鹿島にやって来たIT企業出身の社長


 2月22日に開幕した2020年のJリーグは、新型コロナウイルスの影響により第1節以降は試合が行われない状況が続いている。「常勝軍団」鹿島アントラーズは、第1節でサンフレッチェ広島に0-3と完敗し、この時点での順位は最下位。いつものシーズンであれば、まったく気に留める必要はないのだが、この順位がリーグ戦の延期によって3週間(さらにそれ以上)固定されることなると話は別である。そのことについて「非常に耐え難いですね」と苦笑いするのが、昨年8月にクラブ社長に就任した、小泉文明である。


「でも、ここから先は上がっていくしかない。今年に入ってから、天皇杯優勝を逃し、ACL(AFCチャンピオンズリーグ)出場も逃し、極端にオフも短い中で開幕を迎えざるを得なくなりました。ただ、済んでしまったことは仕方がないですし、われわれが目指すサッカーにアップデートするためには時間も必要です。今回の延期は残念ではありますが、ザーゴ監督のサッカーをインストールする時間を考えれば、むしろポジティブに捉えることも可能だと思っています」


 サッカーの話をしているのに「アップデート」とか「インストール」といったフレーズがポンポン出てくるところは、いかにもIT企業の経営者らしい。昨年8月、小泉が社長を務めていた株式会社メルカリが16億円で鹿島の経営権を取得し、小泉自身が子会社となった鹿島の社長に就任したことが話題になった(現在はメルカリの会長を兼任)。親会社が製鉄会社からIT企業に変わったことで、Jリーグ随一の伝統と実績を誇る名門クラブは、大きな変革期を迎えることとなった。その中心人物である小泉が、今回の主人公である。


 メルカリが設立されたのは13年。鹿島のスポンサーを始めたのが17年。そしてクラブの責任企業となったのが19年。実にスタートアップ系らしいスピード感だ。今回の取材にあたり、当連載の監修者であるデロイト トーマツ ファイナンシャルアドバイザリー合同会社の里崎慎からは、こんな「宿題」を預かっていた。


「まず、オーナー権取得の合理性を、小泉さんは社内でどのように説明したのか。経営権取得のハードルは何だったのか。どのような取り組みで、鹿島とメルカリとのシナジーを生み出そうとしているのか。そして小泉さん自身、クラブ社長としての価値をどう考えているのか。そのあたりのことが分かれば、スポーツビジネス界への参入を考える企業が増えてくるのではないかと考えています」


メルカリ参入で鹿島にハレーションが起こらない謎





 なるほど、実にコンサルらしい関心のベクトルである。それらはしっかり押さえつつ、実は私にはもうひとつ、今回の取材で明らかにしたいテーマがあった。それは伝統も実績もある名門クラブが、メルカリ(そして小泉社長)という異文化をいかに受け入れたのか。あるいはメルカリ(そして小泉社長)の側が、どのように鹿島の文化に溶け込んでいったのか、ということである。


 それを知るためには、黎明期からクラブを支えてきた、2人のキーパーソンにも話を聞く必要があった。ひとりはクラブの取締役で、フットボールダイレクターの「マンさん」こと鈴木満。もうひとりは同じく取締役で、マーケティングダイレクターの「ヒデキさん」こと鈴木秀樹。満と秀樹の「両鈴木」は、鹿島アントラーズの設立以来、クラブ成長・発展を推進させてきた両輪として知られる。ちなみに満は1980年に、秀樹は81年に住友金属に入社。選手として、フロントとして、実に40年にわたってコンビを組んできた。


 鹿島アントラーズの前身は、住友金属工業蹴球団。創部は1947年で、関西リーグから74年にJSL(日本サッカーリーグ)2部に昇格し、翌75年に鹿島製鉄所がある茨城県鹿島町(現鹿嶋市)に本拠地を移した。満と秀樹が入社した80年代初頭は、ちょうど住金が1部昇格に向けて補強を進めていた時代に当たる。その甲斐もあって、住金は85年に1部昇格を果たしているが、わずか1シーズンで2部降格。当時の住金に、のちの鹿島の強さを予感させるものは微塵もない。


 純然たる企業チームの住金では、選手は当然ながら働きながらプレーしていた。満は石炭や鉄鉱石の管理を、そして秀樹は工場内の環境調査を、それぞれ担当していたという。まだ各自の机にはパソコンがなく、上司のハンコがないと書類が回らない時代。そんな昭和の製造業で育ってきた両鈴木が、13年設立のIT企業からやって来た39歳の若手社長を迎えることに、戸惑いや抵抗といったものはなかったのだろうか。


 IT企業が経営に参入して、組織運営がガラリと変わるという話は、昨今ではすっかり珍しくなくなった。新たな企業文化の流入は、組織に革新をもたらす一方で、プロパーとの間にハレーションが起こる可能性も否定できない。地方都市を本拠とし、伝統と実績があるクラブであれば、なおさらであろう。ところが鹿島とメルカリに関して、きな臭い話は寡聞(かぶん)にして知らない。その理由についても、ぜひ今回の取材で明らかにしたい。


今季からテクノロジーが導入された鹿島の現場





「株式譲渡で親会社が変わって、小泉さんと最初に確認したのが『アントラーズのフィロソフィー(哲学)を守っていく』ことと『フットボールとマーケティングを分けて考えていく』ことでしたね。小泉さんからは『タイトル獲得は一番の目標ですが、急激に変化していくサッカー界の状況に対応できるよう、大胆にメリハリを付けながらチーム作りをしてください』と言われました」


 アントラーズ立ち上げ当初から、時代を超えてジーコの哲学や精神を伝え続けてきた鈴木満。異文化とも言える、IT企業出身の経営者を迎えるにあたっては「特に不安はなかった」と語る。さらに「小泉さんは、アントラーズや地域への理解があるし、フットボールに関して理解も深い」とも。それでいて現場に口出しする素振りは見せないそうだ。


「今季のウチのテーマは『主導権を握るサッカー』。ここ2、3年のウチは、相手に主導権を渡しながら勝利を目指すスタイルでした。今季はもっとアグレッシブなサッカーを志向していきます。それともうひとつ、ウチはずっとブラジル志向ですが、世界の主流はやはりヨーロッパに移ってきています。ザーゴの場合、選手でも指導者でもヨーロッパでの経験があって、なおかつ柏レイソルでもプレーしているということで、監督選定の要件にぴったりでした」


 フットボールの強化については、これまでどおり満が主導している。ただし現場の様子はがらりと変わった。ザーゴが新監督に就任した今季、トレーニングにテクノロジーが積極的に活用されるようになったからだ。テクノロジーの導入とデータの蓄積は、ザーゴがレッドブル・ブラジル監督時代に培ってきたノウハウであるという。こうした現場の変化を、満は「必然的」ととらえている。


「よく『鹿島の伝統』ということを言われますが、Jリーグのリーディングクラブであり続けるためには、現場も常に最先端のものを取り入れなければならない。トレーニング機器や医療機器もそうだし、選手の走行距離や心拍数などのデータも、試合だけでなくトレーニングの段階から収集しています。自分たちのチーム状態を分析するために、ブラジル人と日本人のアナリストを2人そろえました。お金をかけるポイントが、今年はかなり変わったなと感じています」


テクノロジー活用による鹿島の「働き方改革」





 これまでのブラジル路線を継承しながらも、テクノロジーの導入とデータ分析と活用に積極的なザーゴを新監督に迎えた鹿島。この人事はもちろん、フットボールダイレクターである満が決めたことだが、小泉の「強化の考え方」とも合致している。現場には口出ししない新社長だが、強化については明確なイメージを持っていた。当人の言葉を借りるなら「勝利の再現性をどう高めていくか」。続きを聞こう。


「やはりフットボールなので運もありますし、さまざまな要素が絡まって勝敗が決まるとは思うんです。でもテクノロジーを介在させることで、それまで暗黙知として処理されてきたものを『見える化』させていけば、勝利の再現性を高めていくことは可能だと考えています。もちろん、データがすべてを解決するわけではない。最後は監督の意思決定に委ねられるし、直感で決まることだってあるでしょう。ただ、再現性を高めるエビデンスをどう作っていくかという部分で、テクノロジーを活用していきたいとは思います」


 小泉が提唱するテクノロジーの活用は、もちろん現場以外でも急速に浸透しつつある。ビジネスチャットツールのSlackが導入され、稟議書も紙申請ではなくオンラインで行われるようになった。リモートワークは、コロナ騒ぎが始まる前から試験的に運用が進められていた。「こんなに変わるものかと感動するくらい、われわれの働き方は劇的に変わりましたね」と実感を込めて語るのは、昭和の時代の職場を知る満である。その上で、クラブの30年の歴史を俯瞰しながら、今を「3度目の勝負どころ」と位置づける。


「95年にJリーグのブームが去って、各クラブは強化予算を引き締めるようになりました。そんな中、当時の社長が『ウチはここで勝負を懸ける』と決断して、現役セレソンのジョルジーニョやレオナルドを獲得したんですね。それで96年のリーグ戦で優勝し、02年ワールドカップの開催地にも選ばれました。逆に99年は、前年に優勝していたけれど、あえて主力を放出してスリム化に務めています。それは住金に頼らないよう、クラブの基盤を確立させるためでした。そして今、クラブは事業規模100億円を目指して3度目の勝負どころに来ていると感じます」


 JSL時代からサッカーを支えてきた住金は、12年に新日本製鐵と合併して新日鐵住金となり、さらに19年には日本製鉄となった。満によれば「住金でなくなって、違う会社になったことに寂しさがありました。逆にメルカリに株式が譲渡されたことで、未来に希望が持てるようになりましたね」。62歳となる今でも変化を恐れない、この人の姿勢には驚かされるばかりだ。と同時に、鹿島アントラーズとメルカリとの出会いが、まさに奇跡のような絶妙さであったことには、取材者として深く頷くばかりである。




◆常勝軍団×IT企業のシナジー効果とは? Jリーグ新時代 令和の社長像 鹿島編(Sportsnavi)





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