日刊鹿島アントラーズニュース

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2015年10月22日木曜日

◆【奥野サッカー道】魂の輝きと青春 今年も高校生の激闘に注目(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20151021-OHT1T50039.html

 全国高校サッカー選手権大会の予選が、各都道府県で盛り上がりを見せています。私がサッカーの奥深さや仲間のありがたみ、そして努力することの大切さを学んだのも高校時代(京都・山城高)でした。

 中学校時代のサッカー仲間が別々の進路に進み、高校入学と同時にライバルとして戦うことになります。対戦するときには意地と意地がぶつかり合い、互いに激しさが増していきます。しかし、試合終了後は勝敗に関係なく、昔の笑顔に戻れる。ラクビーで言う「ノーサイド」の精神が、そこにはありました。負けたときは、勝ったチームに自分たちの全国への夢を託す。3年間の高校生活、「時計の針は前にしか進まない」。3年生にとって敗退は引退に、2年生には新チームの始まりへと繋がります。違った立場、役割が求められる転換期となります。

 私の場合は2年生の夏にインターハイへ出場し、その冬の選手権大会は優勝候補に挙げられるも、初登場の予選2回戦でPK負けによる敗戦。サドンデスになった6番目の、最後のキッカーが私でした。自分の失敗による敗戦。先輩たちに対する申し訳なさと後悔の気持ち、もう、このメンバーで戦うことのできない寂しさ。敗戦を糧にできたからこそ、次年度の選手権本大会出場を果たすことができました。また、人生で初めて努力したと感じたのが高校3年生でした。人生の中で、誰もがどこかのタイミングで「頑張った。努力した」という瞬間があります。それが高校サッカーには確かに存在しており、魂の輝きと青春が人々を虜にするのだと感じます。この冬も高校サッカーに釘付けです。(前山形監督・奥野僚右)

◆ジーコ氏FIFA会長選出馬へ前進、必要推薦協会数あと1に(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/world/20151021-OHT1T50209.html


 来年2月26日に行われる国際サッカー連盟(FIFA)次期会長選への立候補を表明している元日本代表監督のジーコ氏(62)が、出馬への条件となる加盟5協会の支持まであと1と迫る4協会の推薦を取り付けた。21日付けのリオデジャネイロ日刊紙「エストラ」が、ジーコ氏の会長選対策責任者が「すでに4か国の協会からの推薦を得ており、足りないのはあとひとつだ」と語ったと報じた。責任者は協会名を明かしていないが「日本はダメだった」としており、ブラジル以外にトルコ、ギリシャ、イラク、インド、ウズベキスタンのうちの3協会と見られている。

◆鹿島アントラーズ・小笠原満男が噛みしめるサッカーがある喜び(ハフィントンポスト)


http://www.huffingtonpost.jp/repucom-japan/kashima-antlers_b_8336738.html

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鹿島アントラーズの小笠原満男はそう言った。そのことを小笠原が痛いほど実感したのは2011年の東日本大震災だった。アントラーズのクラブハウスも被災。いたるところが液状化現象でボロボロになり、水道も止まり、練習着の洗濯やシャワーをあびることもできなくなっていた。さらには市内でガソリン切れのスタンドが続出し、車での移動ができなくなった。

本拠地のカシマスタジアムも照明やスピーカーが観客席に落下。もし、試合中に震災があったとしたら、相当数の死傷者が出てもおかしくない状況だったと報告された。当然のようにカシマスタジアムは使用できず、アントラーズは3ヶ月間、帰るべき『ホーム』を失ってしまった。

しかしその間、Jリーグの仲間たちはアントラーズとそのホームタウンを支えてくれた。各クラブやサポーターからたくさんの義援金や支援物資が送られ、ボランティアにも来てくれた。小笠原も「本当に助けてもらったし、嬉しかった」と語っている。

また、浦和レッズは5月21日開催のカシマでの試合を、9月の埼玉スタジアムでのホームゲームと入れ替えるという、Jリーグ史上初めての形での代替開催に協力してくれた。そして、ようやくスタジアムの修理が完了。「『ホーム』っていいますが、本当にやり慣れた『家』で試合ができるのは嬉しかった」。

そして、震災があった年の10月にスタジアムが復旧したことを記念して、カシマスタジアムで第1回目となる「オープンスタジアム」が行われた。もともとアントラーズは、スタジアムができたことでJリーグに参入できたクラブだけに、クラブもサポーターも地域も、カシマスタジアムに対する思いが強い。

スタジアムが戻ってきた、そのこと知ってもらうために広く開放し、スタジアムがある幸せを共有したいということが目的だった。当日は選手と触れ合える場所があったり、ブースが設置されたり、ピッチやロッカールームの開放も行われるが、そこには単なるファン感謝イベントではなく、被災地のクラブとして込められた思いがある。

今年の開催は10月25日(日)。普段の感謝を込めて、選手たちはサポーターや地域の人たちに楽しんでもらえることを企画中だ。さらに「震災がきっかけで始まったので、被災地の手助けが少しでもできれば」と昔、アントラーズがキャンプでお世話になった『Jヴィレッジ』から日本代表の西シェフが出店するブースや小笠原が高校生活を送った岩手県大船渡市からの海産物を販売するブースも検討している。

そして小笠原は「防災意識を思い起こす1日にしたい」とも言う。先日も関東地方を襲った豪雨で鬼怒川の堤防が決壊し、被害が出た常総市にアントラーズの水海道校があった。「スクール生の家にも被害にあって、スクールも何週間か活動できなかった。震災の時のぼくらと似ている。その子たちにカシマスタジアムでサッカーさせてあげたい」。

「いつどこで自然災害が起こるかわからないので、二度と犠牲者が出ないように備える防災意識を持ってほしい。そのことを強く伝えたい」と小笠原は言う。現在、カシマスタジアムは防災拠点として、様々な整備を進めている。普段はスタジアムに人が集まり、楽しく過ごし、災害時には頼れる存在となる。そんなスタジアムがある幸せを小笠原は共有したいと思っている。

◆鹿島DF伊東 次節先発濃厚「Vのために全勝狙う」(スポニチ)


http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2015/10/22/kiji/K20151022011361920.html

 鹿島のU―22日本代表候補DF伊東が窮地を救う。

 24日の湘南戦はDF西、DF黄錫鎬が累積警告のため出場停止。ベテラン青木とともに、若き右サイドバックの先発が濃厚だ。伊東は「リーグも残り3試合。(第2ステージで優勝するためには)全部勝たなきゃいけない」と気合が入る。当然、レギュラー奪取のためにも重要な試合になるが、「アピールよりもチームが勝つことが大事」と、献身的なプレーを誓った。

2015年10月21日水曜日

◆内田篤人、年内復帰へ リハビリ施設でラグビー日本代表・山田章仁と交流(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/world/20151020-OHT1T50015.html


 サッカー日本代表で2度W杯に出場したDF内田篤人(27)=シャルケ04=が19日までに、スポーツ報知の独占インタビューに応じた。5月に結婚後、6月に右ひざの膝蓋腱(しつがいけん)を手術。ラグビー日本代表のウィング山田章仁(30)=パナソニック=と同じ施設でリハビリを行い、ラグビーW杯での活躍に刺激と勇気をもらったと告白。妻の支えも励みに、症例が少ない手術を乗り越えての「年内復帰」を掲げた。(取材、構成・内田 知宏)

 ―6月に手術し、リハビリ開始から5か月。現状は?

 内田「徐々にトレーニングの強度を上げている段階。40分間走や階段の上り下りなどをやっている。とにかく痛みが出たらいけないので、時間をかけて治さなければいけない。厄介なヤツです。この前(10月上旬)、一時帰国して精密検査を受けたら経過も問題ないと。右足のパワー(筋力測定)も良い数値が出た。焦りもないし、順調に来てます」

 ―全治4~6か月の診断だが、復帰目標は?

 「症例が少ないけがで、ドイツのスタッフも手探りでやっている感じ。特に自分の場合、人間で一番強いと言われる腱を、たくさん取ったので余計慎重になる。年内の復帰を目指そうと話していて、自分もそうなればいいと思って、やっています」

 ―これほど長期間、試合を離れるのは初めて。

 「けがをして変わったわけじゃないけど、年齢(27歳)とか考えると、もうそろそろ終わりが近いかなって。みんなに『サッカー(選手が)終わっちゃうよ』と言われるくらい大けがだったから。終わりって何かなって、考えるようになりましたね」

 ―心境に変化が?

 「けがで終わるのかな。それとも、もういいやって、求められている(契約がある)のに終わるのかなって。これまでは全く考えていなかったし、現役の間は考えちゃいけないと思っていた。ただ、これ(腱)が切れたら終わっちゃう。手術を受ける前の半年は、練習していてもずっと怖かった」

 ―手術という重い決断を下し、長期にわたるリハビリ生活を始めた。支えになったことは?

 「日本でリハビリしている時に、施設でラグビー日本代表の山田選手と一緒だった。隣のベッドです。自分とは結婚した時期も同じくらい。海外生活を経験していること、そして、ポジションもサイドということで共通点が多かった(注)ので、自分から『何の競技ですか』って話しかけて、たくさんしゃべるようになった」

 ―予期せぬ交流ですね。

 「鎖骨のけがと言っていましたが、一緒にリハビリしていた選手が、ああやってW杯(3日・サモア戦)でトライを決めて、活躍する。それを見て、自分も復帰へのイメージが湧いたし、刺激をいただきました」

 ―山田はトライを決めた後、相手選手のタックルを受け、脳しんとうで退場。それも見ていた?

 「すぐにメールで『パイセン(先輩)、生きてますか』って送った。返事はなかったので本当に心配でしたが、大丈夫だったみたいですね」

 ―サッカーの日本代表はW杯2次予選を首位で折り返した。

 「連絡は来ますね、みんなから。シャルケ04のチームメートもそうですけど、試合に出られなくなってから『やっぱり、ウッシー(ドイツでの愛称)がいないとダメだ』とか、『ウッシーはやっぱり効いていた(チームにとって効果的)』と言われることが急に増えた。そういうメールも(復帰への)力になる。シャルケ04で結果を残して、また代表に呼ばれたらうれしい」

 ―今年5月、同い年の一般女性と結婚。ドイツでの新婚生活は?

 「今までは1人が楽で、好きなタイプだった。オフの日は、一日中リビングのソファから動かなかった。でも、実際に生活してみて、結婚生活っていいもんだなぁと感じています。料理も上手で、いつもおいしいご飯を作ってくれる。結構、休んでしまったので(家族のためにも)そろそろ働かないと」

 ―代表や所属クラブのファンも待っている。

 「今、思うことはひとつ。けがする前よりも大きくなってピッチに戻りたい。体の大きさがどうこうよりも、こいつ、やってくれそうだなって雰囲気になって戻っていきたい。頼られる選手といいますか、けがという山を越えた内田はどんな姿になっているんだろう、という期待に応えられるような形で復帰したい」

 ―手応えは?

 「もうドイツに来て6年目。自分の状態さえ戻れば、ポジション争いで負けない、という自信はある。今はとにかく、焦らずに復帰への階段を一歩一歩、上っていきたいです」

 ◆今回の内田のけがと手術 14年2月9日のハノーバー96戦で右ひざ裏、膝蓋腱を損傷。手術は受けず、保存療法で治療し、ブラジルW杯(昨年6月)には間に合わせた。ただ、その後も痛みは消えず、14―15年リーグ開幕前に離脱。その後復帰するも、今年4月から再び戦列を離れた。シーズンオフとなった6月8日、右ひざ膝蓋腱の損傷と診断され、都内の病院で手術を受けた。シャルケ04の医療チームは保存療法を勧めたが、内田自身は日本人医師と相談し、手術に踏み切ることを決めた。

 ◆内田 篤人(うちだ・あつと)1988年3月27日、静岡・函南町生まれ。27歳。06年に清水東高から鹿島入り。U―20日本代表、08年北京五輪代表。19歳でA代表に初選出されると、W杯は10年南アフリカ大会、14年ブラジル大会で選出。10年7月からドイツ1部・シャルケ04移籍。15年5月、一般人女性と結婚。ポジションは右サイドバック。国際Aマッチ74試合2得点。ドイツ1部104試合1得点。176センチ、62キロ。血液型O。

 【注】山田はラグビーW杯に出場。サモア戦でトライを決めた。ポジションは、ライン際でプレーすることの多いウィングなど。今年2月からスーパーラグビーのフォースに所属していた際は、オーストラリアで生活。3月、モデルのローラさんと結婚。

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