日刊鹿島アントラーズニュース

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2015年7月1日水曜日

◆[若きサムライ インタビュー#1 ]DF昌子源「1対1では誰にも負けない」(ザ・ワールド)


http://www.theworldmagazine.jp/20150628/05feature/8814



一度はサッカーから離れたが、プロとなり、ついには日本代表となった。photo/Getty Images

ガンバのジュニアユースに入団し、宇佐美にはかなわないと思った

──サッカーをはじめたキッカケを教えてください。

昌子 家族がサッカーをやっていたので、自然と家のなかにボールがありました。記憶にはないですが、写真をみると2歳のころからボールを蹴っていたみたいです。幼稚園では園長先生がGKをやってくれていました。この園長先生は身体が大きくて、子ども用の小さなゴールの前に立つと隙間がなく、なかなかシュートが決まらないから点を取ったときは大きな喜びがありました。おかげで、高校の途中までFWをやっていました(笑)。

──お父さんが指導者で、サッカー協会(JFA)にも知り合いが多いそうですね?

昌子 S級ライセンスを持っていて、いまは姫路獨協大学で監督をやっています。その父からは、『お前の運動神経のよさは母譲りだ』と言われます。若いころの母は全国大会に出場するような選手で、50歳を超えたいまも現役でサッカーを続けています。姉もリフティングが上手い。昌子家はまわりから『スポーツ一家』と言われています。

──小学生のときは地元のFC FRESCA(FCフレスカ)でプレイし、中学時代はG大阪ジュニアユースに所属していましたね?

昌子 FCフレスカは近所にあり、兵庫県では強いクラブでした。ボクは4年生のときに6年生の試合に出ていました。県大会で得点王になったこともあります。トレセンに呼ばれる常連で、それなりに有名な選手でした。中学進学のときは、ガンバに同年代の有名選手が集まると聞いていました。関西でトップレベルの選手はガンバに行くのが当然だったので、迷うことなく決めました。

──G大阪ジュニアユースではどんな日々を過ごしていたのですか?

昌子 各県から同い年のスーパースターが集まっていました。FWだけでも宇佐美貴史、大森晃太郎など……。宇佐美のことは小学生のころから知っていましたが、他県まで知れ渡るほど有名ではなかった。それが、同じチームになってみたら飛び抜けて上手かった。一生かなわないと思いました。実際、宇佐美には勝てないし、試合にも出られなかった。小学生のときは自分が上手いと思っていたので、その状況に耐えられなかったのかな。サッカーがつまらなくて、嫌になってしまった。はじめての挫折です。2年生の途中から練習に行かなくなり、サッカーから距離を置きました。友だちと遊ぶのが楽しくて、一歩間違えていたらプロになっていなかったです。

──その状況からどうやって米子北高へ進学することになったのでしょうか?

昌子 あるとき、父が知り合いのコーチから『源はどうするんですか?』と声をかけられたそうです。鳥取県の米子北高でコーチをしている中村真吾さんで、直接電話をもらいました。しかし、誘ってくれた当初はまだサッカーが嫌いな時期で、行きたくなかった。それでも、進学するならここかなと感じて、練習見学に行きました。またサッカーをやるなら、今度は試合に出たい。試合に出られるのはどこかと考えたときに、米子北高が一番の選択肢でした。


鹿島加入2年目の2012年にはナビスコ杯優勝に貢献。同期には柴崎がいる。photo/Getty Images

米子北高でFWからCBへ転向しプロ入りの道が開けた

──米子北高ではサッカーを嫌になりませんでしたか?

昌子 親元を離れての寮生活で、最初はホームシックでよく母に電話していました。サッカーというよりも、新しい土地での生活、寮生活が嫌でしたね。あるとき母に『帰りたい』と告げたときは、『本当に我慢できなくなったら私が一緒に米子に住むから』と言ってくれました。これはうれしかったですね。結局、母は来なくてずっと寮生活でしたが……。でも、ボクはもともと人見知りではないので、誰も知らない状態からサッカー部に友だちができて、一般の生徒とも徐々に仲良くなっていきました。だんだん高校生活が楽しくなっていきましたね。

──高校入学時はFWですよね?

昌子 そうです。新入部員だけで島根県の立正大淞南高と練習試合をしたときは、ハットトリックもしました。相手から『アイツはやばいぞ』と言われていましたよ。部内で一番上手かったと思う。練習で先輩を抜いたりして、天狗になり、気取っていました。でも、それで自信を取り戻せました。高校にも宇佐美みたいなスーパーな選手がいたら、また心が折れていたかもしれません。同時に、米子北高はとにかく厳しかった。部訓として挨拶をしっかりする。謙虚に取り組むというのがあって、3年間で人として当たり前のことを学びました。大人になったのかな。ちゃんと挨拶をするようになり、女の子がいても格好つけることがなくなりました。親に反抗することもなくなりました。

──CBに転向した経緯を教えてください。

昌子 1年生で国体の鳥取県選抜に選ばれたときは、まだFWでした。ある日、国体選抜とガイナーレ鳥取(当時JFL)の練習試合があって、前後半でメンバーを入れ替えました。当時の国体選抜は米子北高の中村コーチが監督を務めていて、後半になってCBがケガをしたときに『いまだけCBで出てくれないか』と言われました。ボクは前半にFWとして出ていましたが、教え子で近くにいたので頼みやすかったのだと思います。いわば、突発的なアクシデントで出場することになった。このときガイナーレにはコン・ハメドというコートジボワールから来た身体能力の高い外国籍選手がいて、その選手とマッチアップして1対1の攻防で互角以上の戦いをしました。すると、次の日に中村コーチから『CBに向いてる。CBになれ』と言われました。すごく嫌でしたが、断われなかった。それからは、一度もFWをやらせてもらえなかったです。

──しかし、CBへの転向は正解だったのではないですか?

昌子 その後、CBをはじめて2か月で迎えたインターハイ(2009年近畿まほろば総体)で準優勝したのですが、そこに鹿島のスカウトの椎本邦一さんが来ていました。一回戦で茨城県の水戸商と対戦したときに、地元・茨城の選手を目当てに見に来ていたんです。それが、このときにボクが稀に見る絶好調で、さらにはCBをはじめてまだ2か月だということで関心を持っていただきました。同年の高円宮杯全日本ユースでも快進撃を続け、ベスト8まで勝ち進んだ。ボクにとっても米子北高にとっても、CBへの転向は大正解でした。

──鹿島へ入団するとき、プロになるときは迷いませんでしたか?

昌子 高校3年生でU-19代表にはじめて呼ばれたのですが、このころからプロになりたいという気持ちが少しずつ芽生えていました。ただ、父は仕事柄、プロの厳しさを知っていたので反対でした。母は大学進学を希望していたので、両親は話し合ったそうです。プロになっても、成功しない選手はたくさんいます。やる気をなくし、能力を落としてしまう選手もいます。最終的にはボクが決断することでしたが、食べていけなくなるとか、戦力外になるとかは考えていませんでした。無防備なまま厳しい世界に飛び込もうとしていたので、家族は心配してくれていました。『本当にわかっているのか』という確認です。それでもプロになりたかった。鹿島に行きたいという気持ちでした。何事においても、熱意を感じなければ父は許可を出さない人です。OKしてくれたということは、ボクの熱意が伝わったのだと思います。



フィジカルの強さには定評があり、競り合いには絶対の自信を持つ。photo/Getty Images

大岩剛の指導を受けて成長。プロ入り4年で日本代表に

──数年をかけて鹿島でレギュラーポジションをつかみ、日本代表にもなりましたね?

昌子 加入1年目から試合に出られるとは、まったく思っていませんでした。誘ってくれた椎本さんは、『3年目からが勝負だ』と言ってくれていました。まずはプロの世界に慣れて、力をつけろと。これまで多くの方にお世話になってきました。加入当時は奥野僚右コーチ、石井正忠コーチがいて、さらには大岩剛さんがコーチになって1年目で、マンツーマンで指導していただきました。3年をかけてクリアの仕方、ステップの踏み方、次のアクションまでの動きなどをみっちり教わりました。剛さんの経験をすべて叩き込んでもらった感じです。だからボクは、大岩2世だと思っています。実際、プレイスタイルが似ているとも言われます。剛さんはボクの師匠というか、鹿島のお父さんです。プロ人生のなかで、剛さんの存在はとても大きいです。

──日本代表に初招集されたのは、入団4年目の昨年でしたね?

昌子 定着したわけではないので、もちろん満足はしていないです。常にここからが勝負だと思っています。ただ、自分自身がどうなっても受け止められます。鹿島でしっかりプレイしなければならないことに変わりはない。しばらく代表から遠ざかっても、何年かぶりに復帰というのはよくあるので、常に全力でプレイするのみです。それでも、鹿島に加入して5年目を迎えて、いまは下に何十人もいます。22歳は中堅です。ボクらが小笠原満男さんを代表選手だと意識したように、下の選手は代表選手としてボクを見ています。しっかりやっていなくても代表に選ばれるんだとは絶対に思われたくない。代表を経験したことで、サッカーに取り組む姿勢をより考えるようになりました。プロは厳しい世界ですが、自分次第でどうにでもなります。何らかのカベに当たったときに、逃げてしまうか、しっかりと乗り越えるか。這い上がった選手が、代表に選ばれるのだと思います。ボクは自分の能力を信じています。1対1の競り合いでは誰にも負けたことがありません。試合中にボディコンタクトがあったときに、バランスを崩して尻餅をついたことがない。常に『抜いてみろ』という気持ちでプレイすることを大事にしています。

インタビュー・文/飯塚 健司

theWORLD163号 6月23日配信の記事より転載

◆カズ参戦 中田浩&柳沢&新井場の合同引退試合(ニッカン)


http://www.nikkansports.com/soccer/news/1499720.html

 横浜FCのFWカズ(三浦知良、48)が「中田浩二・柳沢敦・新井場徹 合同引退試合」(7月5日、カシマ)に参戦することが決定した。

 前日4日はJ2札幌とのリーグ戦のハード日程も、交流がある3人のために急きょ駆けつけることになった。日本サッカー界を支えたOBや現役選手が集う中、カズの参加は大きな話題になりそうだ。

2015年6月30日火曜日

◆[プレミアリーグEAST]鹿島ユース、主力4人欠くも昨年王者とドローで首位キープ(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?166151-166151-fl



[6.27 高円宮杯プレミアリーグEAST第7節 柏U-18 1-1 鹿島ユース 柏]

 鹿島がしたたかさを見せつけた。高校年代最高峰のリーグ戦、高円宮杯U-18サッカーリーグ2015プレミアリーグEASTは27日に第7節第1日を行い、首位の鹿島アントラーズユース(茨城)は1-1で昨季の王者・柏レイソルU-18(千葉)と引き分け、首位をキープした。

 内容では柏が上回ったが、それだけに分け合った勝点1の価値は、鹿島の方が大きかった。鹿島は、得点ランク3位のFW垣田裕暉とSB宮本健太が累積警告で出場停止。守備の中心であるDF町田浩樹もU-18日本代表の中国遠征に参加、GK沖悠哉もU-16日本代表の大会に参戦して不在と主力4人を欠いたが、粘り強い守備と、1チャンスを物にする攻撃で敵地から勝点を持ち帰った。

 序盤はMF平戸太貴のロングパスからFW吉岡樹利也のキープ、右MF田中稔也のクロスとつないで、ゴール前にFW武田諒太が飛び込むなど積極性を見せたが、前半の途中からは柏がハッキリと主導権を握る展開となった。柏は23分にMF伊藤達哉が右サイドを突破してクロスを供給。42分には伊藤のキープから攻撃参加した右DF坂本涼斗につないで、クロスにFW白川恵士朗が飛び込む際どいシーンを作り出した。柏も熊川翔、古賀太陽の主力両SBを負傷で欠いたが、左から右に主戦場を移した伊藤と坂本の連係で、右から多くのチャンスを作り出した。しかし、公式記録に残された前半のシュート数はゼロ。主将の下澤悠太は「前半から何度かサイドを崩せていたけど、もっと回数を増やしたかったし、中盤からクロスに入る動きが少し遅れていた」と反省点を挙げた。

 得点がないまま迎えた後半には、攻めながらも得点できない展開でありがちなパターンに陥った。15分、鹿島は左CKのこぼれ球をDF戸田拓海がシュート。さらにこぼれたところを町田不在の間、ボランチからCBにポジションを移しているMF松浦航洋が右足でたたき込んで先制点を挙げた。ただし、柏も勢いを落とさなかった。4分後、柏は坂本が下澤とのパス交換で高い位置まで攻め上がって「コースしか見えなかったけど、出せば人が来てくれると思った」という低いマイナス方向のクロスを供給。すると、それまでは中盤でこぼれ球を待っていたというMF山崎海秀が「監督からも1つ前に出て狙えと言われていたし、あの場面は絶対にクロスが入ると思ったので(相手の)前に出た」と相手よりも先にボールへ近付いてフリーになった状態で飛び込み、左足のダイレクトシュートを流し込んで同点とした。その後も柏の猛攻が続き、30分にはFW浮田健誠のシュートが相手DFに当たりながらもポストをたたき、坂本が押し込みに行く場面もあったが、逆転のゴールは奪えなかった。

 新旧首位対決でもある注目の対戦カードだったが、柏は伊藤が「相手は首位で、僕らは7位。正直、試合前は引き分けでも良いかなと思った。昨年の王者と言われても、同じメンバーではないし、自分たちが王者という意識は誰も持っていないと思う。むしろ、鹿島の方が昨年から出ているメンバーが多いので、僕たちはチャレンジャーの気持ち」と話したように、今季わずか1勝と苦しんでおり、現実的な下位脱出が当面の目標。下平隆宏監督が「結果が重要。セットプレーでもカウンターでも点を取れるようになっていかないといけない」と話すように、内容面だけでなく勝負強さを身につけることが課題だ。手応えのあったサイド攻撃の活性化をさらに図りたいところだ。

 一方、昨年度のJユース杯を2年生中心で制した鹿島の強さは、トーナメント戦の一過性の勢いなどではなく、確実なものになりつつある。昨年の同じカードでは、試合終了間際に追いついたにも関わらず、アディショナルタイムに決勝点を許すという後味の悪い敗戦を喫しただけに、主将の千葉健太は「(主力の)メンバーを欠く中で、本当のチーム力が試されると監督から言われていた。得点直後に失点したことは反省点だけど、アウェーでも勝点を取って帰ることができたのは、良かった。最後に取られてしまった昨年から成長した部分だと思う」と手ごたえを話した。戦力が不足し、内容が伴わない試合でも敵地で勝点を奪った戦いぶりに、首位・鹿島のしたたかさが表れていた一戦だった。

[写真]後半15分、セットプレーのこぼれ球を押し込み、先制点を挙げた鹿島ユースDF松浦航洋

(取材・文 平野貴也)

◆6度目V狙う鹿島、F東京にJ1で7年間無敗もナビスコ杯では…(ゲキサカ)


http://web.gekisaka.jp/news/detail/?166180-166180-fl



 ナビスコ杯の決勝トーナメント組み合わせ抽選会が29日、都内で行われ、ACLに出場していたため決勝トーナメントから参戦する鹿島アントラーズは準々決勝でA組1位のFC東京と対戦することが決まった。

 歴代最多5度の優勝を誇り、3年ぶり6度目の頂点を狙う鹿島。一方、6年ぶり3度目の優勝を目指すF東京のDF吉本一謙は抽選会後、報道陣の取材に「鹿島さんには歴史と伝統がある。僕らもそういうチームになっていくために、倒さないといけない相手」と意気込みを語った。

 吉本は累積警告で出場停止だったが、今年5月10日のJ1第1ステージ第11節ではアウェーの鹿島が1-0で勝っている。リーグ戦では09年以降、鹿島の7勝4分と相性の良さが目立つが、ナビスコ杯に限ってはF東京が3連勝中。過去2シーズンともにグループリーグで対戦し、13年は4-2、昨年も3-1でF東京が勝利している。

 自ら抽選を引いた鹿島MF柴崎岳は「最近はうちのほうが分がいい」としながらも「1試合1試合、どうなるか分からないし、しっかり準備することが大事」と表情を引き締めていた。

(取材・文 西山紘平)

◆柴崎 ナビスコ決勝T初戦に自信「FC東京とは相性がいい」(スポニチ)


http://www.sponichi.co.jp/soccer/news/2015/06/30/kiji/K20150630010637730.html

ナビスコ杯決勝T抽選会

オープンドローで一番のくじをひく鹿島MF柴崎(代表撮影)

 FC東京と対戦することになった鹿島の日本代表MF柴崎は「FC東京とは相性がよく、いつもいいゲームをさせてもらっている。しっかりいい試合をしたい」と自信を見せた。

 FC東京のDF吉本も「相性は悪いが、そういうものを打ち破って、タイトルを獲りにいきたい」と意欲を見せた。

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