http://www.huffingtonpost.jp/repucom-japan/koji-nakata-company-manager_b_7650432.html?utm_hp_ref=japan
13年前の2002年6月、日本は熱狂の中にいた。FIFAワールドカップ日韓大会で日本は初勝利をあげ、さらにベスト16に進出したのだった。
当時のフィリップ・トルシエ監督が採用した戦術は「フラットスリー」。そして、その左センターバックにはいつも中田浩二選手の姿があった。
中田選手は昨年、34歳で現役を引退。その後、プロのキャリアをスタートし、また最後となった鹿島アントラーズで「クラブ・リレーションズ・オフィサー」(C.R.O)に就任していた。
仕事内容は「スポンサー企業・団体や地元行政などのステークホルダーと連携を取る役割です。普段から、いろいろな人に関わって、アントラーズを知ってもらう、より良くしていくために活動をしています」と中田C.R.O。
「引退時には指導者も考えていて、現役時代に指導者のライセンスも取りに行きました」。そんな中田C.R.Oに、アントラーズは今のポジションを打診したのだった。
「一度現場を離れるのもおもしろいのかなと。選手をずっとやってきましたが、どうやって試合が成り立っているのか興味が出てきて、そこを学んでからもう一度自分の進路を考えようと思いました」。
毎日9時にはクラブのオフィスに出社して業務。現在は研修中だが、「選手時代は自分中心で、試合をするためにどれだけの人が動いているのか、どれだけ大変かを知らなかった」。
このことは中田C.R.Oに大きな影響を与え、「今後どうなるかは分からないですが、選手を支える側に回ることを目指してみる気持ちも強くなった」。
欧州では代表経験のある選手が、経営に携わっている例は多く、バイエルン・ミュンヘンの代表取締役はワールドカップに3回出場したOBのルンメニゲ氏、そして、欧州サッカー連盟の会長はフランス代表のエースだったプラティニ氏だ。
クラブの経営に関わることも視野に入れた中田C.R.Oは、5月14日からTwitter(@nakata_cro)を立ち上げた。今年2月からレピュコムも協力し、スタートした鹿島アントラーズの公式SNS(Twitter、Facebook)と同じく、サポーターとの関わりを強化することを目指し、中田C.R.O自らの発案で取り組みを開始したのだった。
「Twitterは難しいですが楽しい。反応がダイレクトですごいし、まだ慣れてないので、つぶやくのが怖い(笑)」とのこと。それでも「手応えはあります。サポーターとうまく関わって、声が聞けるよう、もっとチャレンジしたい」と意欲を見せている。
そのTwitterをうまく使いたいと考えているのが、7月5日(日)に行われ、自らも主役の一人である「ENCORE(アンコール) ~中田浩二、柳沢敦、新井場徹 合同引退試合」。
中田C.R.Oは立ち上げの会議から参加。「僕ら3人だけでなく、参加してくれた選手、サポーターが一体となって楽しめるように」。自身のTwitterでサポーターへ引退試合のアイデアを聞いている。
試合は稲本潤一、森島寛晃、小野伸二、戸田和幸選手ら、2002年ワールドカップを共に戦った代表メンバーが中田C.R.O自身も含め、12名参加する予定(6月20日現在)。
2002年のことを聞くと「日本代表は刺激しあえて、一体感があって、楽しかったし、いいグループだった。そういうメンバーと、もう一度、一緒にやれるのが楽しみ」。
選手という立場を昨年で終えた中田C.R.Oが「アンコール」で、束の間だけ選手に戻る。サッカー界で次の役割を模索する彼の目に、それはどのように映るのだろうか。
Photo:(C)Kashima Antlers