日刊鹿島アントラーズニュース

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2016年2月4日木曜日

◆本山雅志の挑戦「地元ギラヴァンツですべての力を出し切る」(Sportiva)


http://sportiva.shueisha.co.jp/clm/jfootball/2016/02/03/post_1063/

川崎明星●文・撮影 text&photo by Kawasaki Hikaru

「いやいやいや、俺にそんな力はないってばッ(爆笑)」

ギラヴァンツ北九州「43番」本山雅志vsコンサドーレ札幌「44番」小野伸二
2月14日『黄金世代、激突!』


 急きょ発表されたJリーグプレシーズンマッチ。小野伸二と早く試合がしたくて「本山がマッチメイクしたんじゃないか?」と、SNSなどでちょっとした話題になっている。その噂を聞いて、本山は大笑いして全否定した。

「確かに『(J2で)小野伸二と対戦できるのが楽しみ』とは言ったけど、ギラヴァンツで練習を始めて、1カ月も経っていないですからね。もちろん、チームや地元・北九州のためなら、ピッチ以外でも全力でがんばりますけど、でも今は、まずチームメイト、スタッフ全員の名前を覚えて、ちゃんと試合に出られるようにサッカーをすることからでしょ」



鹿島アントラーズからギラヴァンツ北九州に移籍した本山雅志 昨年11月26日、鹿島アントラーズから本山の退団が発表された。それから1カ月後、移籍先として報じられたのは、彼の故郷・北九州のギラヴァンツだった。早期の決断に、もしやアントラーズとギラヴァンツとの間で早々に話が決まっていた”出来レース”ではないか、という疑いもあった。が、本山は「アントラーズと来季の話をして、退団を発表してから移籍先を探し始めた」と、改めて説明した。

「さまざまな考え方があって、例えば中田浩二(現アントラーズ、クラブ・リレーションズ・オフィサー)はまだ十分サッカーができるのに引退したけど……そのとき、自分はどうしたいのかいろいろと考えてみて……。自分はやっぱり試合に出て、お金をもらってサッカーをするという仕事がしたいんだ、とシンプルな思いに行きついたんですね。

 じん帯や半月板などの大きな手術をしたような人なら、身体的につらくなって、そろそろ引退を考える年齢(36歳)になるかもしれないですけど……、僕の場合は幸せなことに大きなケガもなくて、逆に(2008年に)じん臓の手術をしてから体の調子がいい(笑)。2015年シーズンは、出場時間が少なかったけど、コンディションは本当によかったんです。今の自分のコンディションなら、新しい挑戦ができると考えました」
 退団発表後、最初に正式なオファーをくれたのがギラヴァンツだった。さらに、柱谷幸一監督が具体的な話をするために鹿島まで来てくれた。それも「大きかった」と言って、本山が続ける。

「考えてみたら、ギラヴァンツの試合を一度も観戦したことがないし、どんな選手がいるのか、どんなサッカーをするのかも知らずに、ギラヴァンツへの移籍を決めてしまったんで、相当失礼ですよね。でも18年前、18歳の自分が進路を決めるときには、存在しなかった地元のプロチーム。そこでプレーすることができるなんて、本当に夢みたいだったから。しかも、J1昇格のため、新スタジアムを建設しているタイミングで必要としてもらえるなんて、幸せですよね」

 環境の変化に関しても、不自由は感じていない。
「とにかく、毎日初めてのことだらけだから、ひとつひとつが新鮮で、本当に面白い。例えば、地域との密着度というか、距離感がハンパなく近いことに驚いたりして。
(自主トレを含めて)年明けから体を動かし始めて、普通だったら(体力的には)そろそろ疲れてくる頃なのかもしれないけど、なんせ今は実家から通っていますからね。本城陸上競技場なら、実家から車で10分。コンディション作りのための環境という面では最強でしょ、実家は(笑)」

 36歳にして初めての“移籍”で最もきつかったのは、意外なことに、本来の自分は「人見知りだった」という事実を痛感したことだという。

 ひと学年下だが、幼稚園の頃から小学校、中学校、高校と、本山のそばにはずっと社交的な宮原裕司(現アビスパ福岡アカデミーコーチ)がいた。世代別の代表に選出されても、東福岡高の仲間たちが何人も一緒に招集された。そして、その代表チームのメンバー6人とともにアントラーズ入り……本山はこれまで、新たなチームでプレーすることになっても、自ら積極的にコミュニケーションをとる必要がなかったのだ。

「だから、同い年のオオシ(FW大島秀夫)がギラヴァンツにいてくれて、本当に助かりました。みんな、オオシと僕とのやりとりを見て、自分のキャラとか、いじり方をわかってもらえたと思うんです。もしオオシがいなかったら、みんなが年上の僕をどう呼んでいいのかってところから始まるから、(お互いの)距離を縮めるのにもっと時間がかかったんじゃないかな。

 あと、FW池元(友樹)以外にも、(ギラヴァンツには)実は4人も東福岡高出身の選手がいたんですよ。それで、東福岡の監督、コーチ、先生方、食堂のことまで話題が共通だから(笑)、昔から知り合いだったみたいにリラックスした話ができたんです。そうやって、少しずつみんなと打ち解けられてよかったです」

「初心に帰る」という意味を込めて、ギラヴァンツでは東福岡高時代の練習着の背番号だった「43番」を選んだ本山。相変わらず、言葉の端々からは謙虚さがにじみ出ている。
「ギラヴァンツは、各選手の技術が高くて、ボールを持った次のプレーまでイメージして走っているから、あとは何か“スタイル”がハマりさえすれば、2倍も3倍も強くなるチームだと感じて、ワクワクしています。例えば、東福岡高のサッカーと言えば“サイド攻撃”だよねって感じで、歴史が長いチームには代名詞になるような、得意なプレースタイルがありますよね。そういうのが築ければ……。もちろん、そこは監督が今作ってくれていると思うんで、自分はすべての力を出して、サッカーをするだけです」

 まだレギュラーの座を勝ち取ったわけではない。チームで活躍できる保証もない。ゆえに、本山が「J1昇格が目標」などと大きなことは口にすることはない。だが、彼は地元のギラヴァンツ北九州で、自らができることを余すことなく出し尽くす準備は整っている。

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