日刊鹿島アントラーズニュース
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2016年7月20日水曜日
◆興梠の人生変えた「親以上の存在」恩師の電話(報知)
http://www.hochi.co.jp/soccer/japan/20160719-OHT1T50011.html
リオ五輪で48年ぶりのメダルを目指す男子サッカー日本代表。オーバーエージ枠(OA)で出場し、エースとして期待されるFW興梠慎三(29)=浦和=の宮崎・鵬翔高時代の転機に迫った。
14年前、恩師からの電話に出なければ、再びピッチに立つことはなかった。興梠の人生を変えたのは鵬翔高時代、松崎博美監督(65)との出会いだった。
小5の終わりにサッカーを始め、半年で九州選抜に選ばれた天才少年は毎日の厳しい練習に「1年で燃え尽きた」。中学では部活こそ入ったものの、ほとんど練習に顔を出さなかった。高校ではサッカーを辞めると決めていたが、一般入試に落ちた。進学先に悩んでいた時に「サッカーをするなら入れてやる」と小学校時代から才能に注目していた松崎監督に誘われた。
それでも、興梠の決意は固かった。「入学してすぐにサッカー部を辞めようと考えていた」。春先に退部を申し出たが、受け入れられず不登校になった。携帯電話が1日に何度も鳴った。1か月ほど続いたある日。「あまりにしつこいから」初めて電話に出た。「もう行きません」と宣言したが、松崎監督に「1回は顔を出せ。明日、練習試合がある。トップチームに入って、どこまでできるかやってみろ」と説得された。
1度限りのつもりで出場した練習試合。自宅や友人宅でブラブラ過ごしていた1か月間のブランクを感じさせず、2ゴールを決めた。「お前にはこんな才能があるんだぞ」。諦めずに誘ってくれた監督の言葉で、初めて真剣にサッカーと向き合うようになった。
興梠は「本当に一番の恩人。何を言われても受け入れる。親以上の存在」と語る。一度辞退したOAの打診を受けたのも、松崎監督に「そういうチャンスは断るな」と諭されたからだ。回り道をした天才にとって、リオは恩返しの舞台でもある。(林 直史)
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