日刊鹿島アントラーズニュース

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2016年9月14日水曜日

◆プロ入り直前で血栓症の診断受けた山本脩斗。「うまくフィットできた」。鹿島への適応と飛躍【The Turning Point】(フットボールチャンネル)


http://www.footballchannel.jp/2016/09/13/post174296/

サッカー選手の旬の時期は人ぞれぞれ。若くして豊かな才能を満開にする花があれば、辛抱強く力を蓄え、やがて咲かせる大輪の花もある。後者は、いかにしてプロの厳しい生存競争をくぐり抜け、脚光を浴びるに至ったのか。のちの躍進につながるターニングポイントに興味があった。第1回は鹿島アントラーズの山本脩斗選手にご登場願った。盛岡商業、早稲田大、ジュビロ磐田と経て、2014年の鹿島移籍を期に大きく飛躍。不動の左サイドバックとして、常勝軍団の一翼を担っている。【後編】(取材・文:海江田哲朗)

鹿島アントラーズでプレーする山本脩斗

――山本選手にインタビューさせてもらえることになり、下調べと簡単に周辺取材をやってきたんですよ。たとえば、東京ヴェルディの冨樫剛一監督はスカウトを担当していた頃、盛商の山本選手を興味深く見ていたそうです。評価が高かったのは、基礎技術の高さと、人間性、まじめな気質でした。病気を経験してご自身を見つめ直す部分があったにせよ、もともとメンタル面はしっかりしていたのでは?

「性格的にその傾向はあるかもしれませんが、高校時代は理不尽な走りのトレーニングなどがあるじゃないですか。それを経験して精神的に強くなった部分はあるでしょうね。僕だけではなく、ほとんどの選手がそうだと思いますけど」

――情熱の人、斎藤重信監督(現総監督)の教えを受けて。

「斎藤先生ほど選手のために尽力される方はいないのでは。たしかにトレーニングは厳しかったです。その分、気持ちが伝わってくるものがありました。大船渡高時代の(小笠原)満男さんは斎藤先生の下宿所で生活し、選手に毎日の食事を用意し、お弁当まで持たせてもらっていたそうです。それも満男さんひとりではなく、4人だったかな。そんなの情熱がないとできませんよ」

――指導者とのめぐり合わせについてはどう感じますか?

「その点、僕はとても恵まれたと思います。小5のときに入った、上田サッカースポーツ少年団は楽しんでプレーすることができ、サッカーをより好きになれた。以降、現在に至るまで指導者の方々がさまざまな要素を分け与えてくれたおかげで、成長できたと感じます」

――タイミングや運にも左右され、自分ではコントロールし切れない部分。

「はい。おそらく自分に合っていたんでしょうね。人によっては、違うタイプの指導者のほうがいい場合もあるかもしれない。そこは選手によると思います」

育成年代で最も印象的だったのは家長昭博

――山本選手の世代、85年生まれの一番星は?

「高校時代、評価が抜けていたのは、兵藤慎剛(横浜F・マリノス)と平山相太(FC東京)かな。ただ、いまの代表で主軸となっている選手はおらず、有名どころでは青山敏弘(サンフレッチェ広島)、丹羽大輝(ガンバ大阪)あたり。ひとつ下の世代が強烈なんですよ。本田圭佑(ACミラン)、長友佑都(インテル・ミラノ)、岡崎慎司(レスター・シティ)」

――たしかに強烈だ。育成年代で、最もインパクトを受けた選手は?

「家長昭博(大宮アルディージャ)。彼はすごかった。国体で対戦し、僕が高2であちらが高1。目の前をドリブルでサーッと」

――プレーの幅を身につけたいまより、天然色が濃い感じ。

「だと思います。もうキュンキュンでしたからね。まったく手がつけられなかった」

――西にガンバの家長あり、と早くから名を轟かせていた選手です。彼我の差を見せつけられ、もっと早く高いレベルに到達したかったと思うことは?

「それも含めて自分の力です。パッと花を咲かせるタイプの選手ではなかった」

――鹿島アントラーズで迎えた3年目のシーズン、活躍が目立ってます。逆サイドから入ってフィニッシュに絡むプレーは、ほとんど山本選手の代名詞のよう。飛び込むタイミングの良さに加え、ヘディングの競り合いも強い。

「右サイドでしっかりタメをつくってくれるから、僕が躊躇なく上がれる。ほかの選手が僕の特長を理解してくれるおかげです。こうなったら最後はここに来そうだというのが少しずつつかめてきた。そのパターンばかりではないですけどね」

――周りを生かし、生かされ。

「僕は完全に生かされている側です」

大きかった小笠原の存在。鹿島にはすんなり溶け込めた

鹿島アントラーズの小笠原満男。山本と同じく東北出身

――鹿島における生存競争の激しさはリーグ屈指と思われますが、2014年の移籍初年度から32試合に出場し、レギュラーの地位を確固たるものにしました。これは適応力の高さによるもの?

「適応力はそれほど高くないと思っています。だから、プロになってもすぐには芽が出なかった。徐々に、徐々に、ですね。ジュビロでの6年間があったので、まだまだ未熟な部分を自覚しつつもある程度は自信があった。それで、うまくフィットできた感じはあります。

 不思議と、最初の試合からやりにくさや違和感がなかったんですよ。周りの技術がある分、カバーしてくれたり、長所を生かしてもらえたんでしょう。初めての移籍で緊張していたんですが、思ったよりすんなりとチームに入っていけた」

――そこは、同じ東北人の小笠原選手の存在が大きいのかな。

「大きいですね。アントラーズとサインしてから、満男さんには『家、決まったか?』と気にかけてもらったり、『始動日の前にちょっと練習するから来ない?』と僕を誘い出し、ひと足早くクラブハウスの案内やスタッフさんを紹介してくれて。満男さんがいたから、同年代の(中田)浩二さん、モトさん(本山雅志/ギラヴァンツ北九州)、ソガさん(曽ヶ端準)からも気さくに接してもらい、ありがたかったです」

――新顔が入りやすい空気をつくったんだ。

「そういうさりげない優しさがある人です」

――先ほど話に出た東京ヴェルディの冨樫監督が、若手の安西幸輝や安在和樹などのサイドバックによく話していることがあるんです。「鹿島の両サイドバック、右の西大伍と左の山本脩斗は育成年代ではともに10番を付けた選手。ゲームメイクの感覚持っている選手がサイドをやることによって戦術に広がりが出るんだぞ」と。かつて中盤でプレーしていたメリットは感じますか?

「そうなんですか。でも、つくりの部分は僕より大伍のほうがずっと上。右サイドの大伍とヤス(遠藤康)の絶妙なコンビネーションは、ほかではなかなか見られないレベルだと思いますよ」

右利きの左サイドバックならではの難しさ

磐田から移籍後、鹿島では不動の左サイドバックに定着した

――遠藤選手もめちゃ巧いですもんね。

「巧い。あれほど上手にタメをつくり、周りを生かしてくれる選手はそうそういないはずです」

――それで必然的に右でつくり、左で仕留めるケースが多くなる。

「右でつくってくれる安心感があるから、思い切って上がれます。サイドバックの仕事は、まずは守備なんです。石井(正忠)監督の考えも、最初は守備から入れと。ゲームの流れを見ながら、リスク管理の仕方が重要になる。相手が前に何枚残しているのか把握し、それに対し、こちらはセンターバック、ボランチ、サイドバックで何枚残すのか。ぱっと決めて、このタイミングだとなったら一気に前線へ」

――タイミングを計っているとき、味方がボールを失う不安があると。

「高い位置を取りづらくなる。だから、大事なんですよ。右で確実につくってくれるという安心感が」

――左サイドバックは左利きの専門職のイメージが強くあります。右利きにもカットインして中央でプレーできるメリットがありますけど。

「つくりの部分を始め、改善しなければいけないことは多々あります。自分のような右利きの選手と左利きの選手では、相手が寄せてきたときの視野やプレーの角度がかなり変わってくるんです。

 左利きであれば、ボールを相手から遠ざけて縦に置き、前も見られるんですが、右で持つと途端に窮屈になりがち。細かいボールタッチが要求される場面では、どうしても右足で持つことになるので、そのあたりは状況判断を含めてもっとレベルを上げていきたい」

ピークは「もう少し先。まだまだです」

――2016シーズン1stステージは、川崎フロンターレをラストスパートでまくって優勝。なんだ、やっぱり最後は鹿島かよと見慣れた風景を遠くから眺めました。

「最後のほうは他力でもあったので、自分たちは勝つしかないとはっきりしていましたね。勝てば何かが起こるのではないかと。優勝の懸かったゲームは独特の雰囲気があり、競っている川崎にも少なからずあるんだろうなと想像しながら」

――それでちゃんと結果を出し、きれいに6連勝で締めくくってしまうのが鹿島。昔から鹿島と対戦した選手の口から「やりづらさ」をよく聞くんです。相手を気持ちよくプレーさせないために、チームに根づいていることとは?

「まずは綿密なスカウティングが挙げられると思います。ゲームで肝となる部分をしっかり抑え、チーム全体で相手にやらせないように仕向ける。加えて、勝っている状況、負けている状況、それぞれの試合運びを全員の共通理解として持つこと」

――スカウティングの情報を、適切にピッチに落とし込む。

「体現できるかどうかという問題もありますよね。せっかく落とし込んでも試合で出せなかったら意味がない。鹿島がそれを可能にする選手をそろえているということなのでは」

――2ndステージの手応えはいかがですか?

「失点が多く、なかなか結果を出せないゲームが続いています。1stでは失点の少なさが攻撃のリズムを生んでいたので、そこはチームとしてもう一度見直したいです」

――現在、山本選手は31歳。ぼちぼちベテラン扱いされる年頃に。

「自分ではベテランの域に入った感覚は一切ないんですが、フィールドでは上から2番目なんですよ。青木(剛/サガン鳥栖)さんがいなくなって、ついに僕が満男さんの次に」

――鹿島は若手の有望株が目白押しですもんねえ。

「めちゃくちゃ若い。23歳以下で十数人います」

――そうしているうちに貫禄が出てきたり。

「全然。見てわかりません?」

――地味にリーダーシップを発揮して。

「そういうのは大伍の得意分野」

――ベテラン扱いなんてゴメンだ。おれはおまえらより走れるぞと。

「そっちですね。ガンガン走れますから」

――プロ9年目、選手として脂がのり、ピークに差しかかっている実感は?

「もう少し先。あと2年くらいあとかな。まだまだです。これからです」

(取材・文:海江田哲朗)

【了】



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