日刊鹿島アントラーズニュース

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2017年6月28日水曜日

◆中村充孝だけを90分間見つめてみた。 新生鹿島を象徴する元やんちゃ坊主。(Number)


中村充孝だけを90分間見つめてみた。新生鹿島を象徴する元やんちゃ坊主。<Number Web> photograph by Kashima Antlers

 あなただけ見つめてる。

 大黒摩季のヒット曲のように「出会った日から、今でもずっと」とはいかないが、6月25日のJ1リーグ第16節アルビレックス新潟戦の90分間、徹底的に鹿島アントラーズの中村充孝の動きを観察することにした。なぜなら彼が、“大岩チルドレン”と呼ぶべき存在だから。

 今季、石井正忠前監督時代のリーグ戦12試合で、先発したのはわずか3試合。それが大岩剛監督に指揮官が代わると、すぐさま初陣の第14節サンフレッチェ広島戦でスタメン起用され、1ゴール1アシスト。続く第15節北海道コンサドーレ札幌戦でも2アシストを記録し、連勝の立役者となった。

 石井正忠監督から大岩剛監督への指揮官交代によって、鹿島のサッカーはどう変わったのか。これを知るために、背番号13の動きを見続けることは、一番の近道だろう。

明らかに石井体制の時とは異なる動き方。

 キックオフ時、中村のポジションは4-4-2システムの左サイドハーフ。これは石井監督時代から変わらない。ところが試合が始まると、彼の動きは明らかに石井体制時とは変わっていた。

 右サイドに、真ん中に、最前線に。ボールが動くたびに、次々とポジションを変え、右サイドハーフのレアンドロや2トップのペドロ・ジュニオール&土居聖真と、テンポよくパスを交換する。

 中村だけじゃない。ペドロ・ジュニオールや土居がサイドに移ることもあれば、レアンドロが最前線に飛び込むことも頻繁にある。実際、75分には後方に下がったペドロ・ジュニオールのパスを、相手最終ラインの背後に走り込んだレアンドロが流し込んで、試合を決定づける2点目が生まれた。

「一番近くの相手を捕まえる」というシンプルな約束。

 ただし攻撃の流動性は、守備の混乱と表裏一体。前線の4人が頻繁にポジションチェンジを繰り返せば、ボールを失ったときにマークのずれが生じやすい。しかし、大岩体制の鹿島では、予防策ができている。

 一番近くの相手を捕まえろ。

 新潟にボールが渡った瞬間、それぞれの選手が自分に最も近い相手選手にマークに付く。例えば、中村が中央に入った際にボールを失えば、相手のセンターバックやボランチにプレッシャーをかけ、土居がサイドに移っていれば、相手のサイドバックを追って自陣深くまで下がる。

 結果は、2-0で鹿島の勝利。大岩体制となって3連勝を飾った。しかし、この日の鹿島は簡単に勝ち点3を得たわけじゃない。前半は新潟のハイプレスに苦しみ、なかなかボールを前に動かせず。状況を打開するために、中村がボランチの小笠原満男に話しかける場面が、何度も見られた。

「満男さんと話していたのは、ビルドアップに関して。もちろん僕ら前線の選手の動きも足りなかったんですけど、今の鹿島のやり方は、三竿(健斗)がセンターバックの間に下がってビルドアップする。そこで、もう1人のボランチである満男さんまで下がってしまうと、なかなか前に運べない。だから、『満男さんのところで主導権を取ってください』と伝えていました」

評価ポイントを明快に示すのが大岩流。

 決して試合の流れをつかめない中でも、57分にCKからペドロ・ジュニオールが先制点を決め、相手の足が止まったところで追加点を奪った。

 流動的に動く攻撃陣と、高い位置から相手を捕まえる守備、苦しみながらもセットプレーでスコアを動かす試合巧者ぶり。なんとなく、現在の鹿島のサッカーは、リーグ3連覇を達成したオズワルド・オリヴェイラ監督の時代と似ている。そんな感想を、鈴木満取締役強化部長にぶつけたら、こう返ってきた。

「確かに似てるかもね。前任者の石井は、チームに問題があっても、どちらかといえば『選手が自分で気づくまで待つ』というスタンスだった。逆に剛は、はっきりと口にする。今日のハーフタイムでも、個々の選手に『こういうところがダメだ』とストレートに伝えていた。

 日頃から、『中盤は流動的に、自由にやっていい』とはっきり指示しているし、選手の良いところもよく見ている。例えば、レアンドロの攻→守の切り替えの速さも評価している。こういうところが良いから試合に使うんだと示すから、周りの選手も納得する。

 サッカーのクラブだけじゃなくて、一般の企業でもそうでしょ? 上司に見られているときだけ一生懸命やる社員が評価されれば、周りは冷めてしまう。でも、普段から一生懸命やっている社員が評価されれば、周りも納得できる」

「こいつならボールを預けても大丈夫」な選手に。

 中村も、日頃の練習からコツコツと評価を高めてきた1人だ。

「剛さんがコーチだった頃から、『パスを出したら動け。守備になったら走れ』って言われ続けてきたんです。真ん中に行ったり、右に行ったりして、スペースがなくてもブラジル人選手からパスが出てくるのは、これまでの2戦で信頼関係ができたから。やっぱり彼らにアシストできたのが大きいと思います。『こいつならボールを預けても大丈夫だ』と信頼してもらえるようになった。彼らはハングリーですから。

 俺が今目指しているのは、テレビ中継で常に画面に映っているような選手。ピッチのいたるところに顔を出したい。そのためにも、もっとゴール前に入っていかないとダメですね。でも、こういうプレーを目指してやっていると、どれだけ疲れていても、走れるんですよ」

元やんちゃ坊主は、チームを第一に考える天才になった。

 久しぶりに会った彼は、とても大人になっていた。初めて話したのは、京都サンガF.C.に所属していた2010年。当時、20歳の彼はこう語っていた。

「日本代表の選手にも、技術で劣るとは思ってないっすよ」

「周りに1mのスペースがあれば、なんでもできますよ。だから俺にパスを出してほしい」

 やんちゃで、ビッグマウスで、誰よりもボールの扱いが上手だった男は、家庭を持ち、鹿島でなかなか試合に出られない経験を経て、チームのことを第一に考えられる天才になりつつある。

「今シーズンが始まる前に、自分に足りないものをとにかく身につける1年にしようって決めたんです。今はね、チームが勝ったときに心の底から嬉しいんです。これまではチームが勝っても、自分が活躍していないと、嬉しいけど、なんか引っかかる感じだったんですけどね」

 大人になったねぇ。思わず口にすると、26歳になった“元やんちゃ坊主”は、照れ臭そうに笑った。

「いや、せっかく来てもらったのに、今日は点にも絡めんかったから。次は絶対やるから、また来てくださいね」

http://number.bunshun.jp/articles/-/828339

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