2020年東京五輪まであと3年。東京五輪男子サッカー競技への出場資格を持つ1997年生まれ以降の「東京五輪世代」において、代表未招集の注目選手たちをピックアップ
「慢心がありました。ゴシアカップで優勝して、帰ってきてからも周りからは『うまい、うまい』と言われて、その気になっていた」(前田)
洗練された技術があり、Jリーグ選抜のスタッフから「職人のようだ」と評されたボールさばきには元より定評があった。ただ、“うまい”だけの選手はどこにでもいる。その上にプラスアルファの要素を載せられなくては、道は開けない。
鹿島アントラーズユースを率いる熊谷浩二監督は前田を1年生から試合で起用した一方で、厳しい注文を与え続けた。指揮官に前田のことを尋ねると「力はある」「期待値はある」という言葉が返ってくる。「は」という表現に込められていたのは「が、しかし」というニュアンスだろう。「力はあるが、出し切れていない」「期待値はあるが、それに届いていない」というところだろうか。ときには途中出場からの途中交代といった厳しい試練も与えつつ、本人の気付きを待っていた。
Jユースカップ3回戦はユース加入後に前田がそうした葛藤の中で積み上げてきた一つの成果が見える試合となった。浦和ユースとの“ウォーターマッチ”になったこの試合、鹿島は前半42分に退場者を出すという何とも難しい流れだった。熊谷監督は途中から前田を4-4-1の1トップへ配置転換。ひたすら前からボールを追いながら、完全に孤立した状況から蹴り込まれるロングボールへ反応し続ける過酷なタスクを負わせた。こうした試合展開でそうした役目を担うべきFW金澤蓮が退場してしまったゆえの苦肉の策。そうも見えたのだが、ここから前田が存在感を見せていく。
ひたすらボールを追って競り合い、こぼれ球をまた追い直す。相手がロングキックを蹴り込む素振りを見せれば、少しでも距離を詰めて精度を削る。いざボールを持てば、何とか体を張りながら時間を作る。ユニフォームはグショグショになり、決して見栄えのいいプレーぶりではなかったかもしれないが、観る者を惹き付けるパフォーマンス。熊谷監督が求めていたのはまさにこれだと思えるプレーぶりだった。後半27分には相手のハンドを誘って決勝点となるPKを獲得。紛れもなく、勝利の立役者の一人となった。
「力はあるし、あれだけのプレーをできる選手なんです。でも、10人になってから見せてくれたプレーを11人のときからどうしてできないのか。普段から何故やれないのか。期待はしています。でも、まだまだですよ」(熊谷監督)
文字にしてしまうとシビアなだけの表現に思えるかもしれないが、指揮官の語り口は優しかった。開花を期待してきた選手が、その糸口をついに掴み出したように見えたからだろう。個人で仕掛ける能力もあれば、正確なキックも持っている。体の強さもある。ただ、鹿島の選手に求められるものは、そうした表面的な能力値“だけ”では決してない。「プレーで人に思いを伝えられる選手になれ」というのは指揮官が繰り返し強調してきたことだが、この日の前田はその萌芽が見え隠れした。
「変わるなら、今しかないんだと思っています」(前田)
インドで行われたU-17W杯はしっかり観ていたという。かつてスウェーデンで共に戦った選手たちの奮闘ぶりを観ながら「『あの場所でやりたい』と強く思いました」と日の丸への思いを新たにした。
少し出遅れてしまったのは否めないのかもしれない。ただ、遅いということもあるまい。“うまい”選手から“鹿島らしい”選手へ。この小さくも確実な変化が大きな進化への先触れであるなら、前田泰良が「あの場所」へたどり着く可能性は、十分に残されている。
執筆者紹介:川端暁彦
サッカー専門新聞『エル・ゴラッソ』元編集長。2004年の『エル・ゴラッソ』創刊以前から育成年代を中心とした取材活動を行ってきた。現在はフリーランスの編集者兼ライターとして活動し、各種媒体に寄稿。著書『Jの新人』(東邦出版)。
「東京五輪への推薦状」第49回:“うまい”選手から“鹿島らしい”選手へ。前田泰良は「あの場所」へたどり着くか