日刊鹿島アントラーズニュース
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2018年4月15日日曜日
◆名良橋晃がジョルジーニョから継ぎ、 内田篤人に渡した「2」への思い(Sportiva)
遺伝子 ~鹿島アントラーズ 絶対勝利の哲学~(8)
名良橋晃 後編
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◆土居聖真「ボールを持つのが 怖くなるほど、鹿島はミスに厳しかった」(Sportiva)
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◆スタジアム近所の子供が守護神に。 曽ヶ端準とアントラーズの幸せな歩み(Sportiva)
◆曽ヶ端準「ヘタでも、チームを 勝たせられる選手なら使うでしょ?」(Sportiva)
◆移籍組の名良橋晃は「相手PKに ガックリしただけで雷を落とされた」(Sportiva)
4月3日にACLグループリーグ突破を決めたものの、リーグ戦では苦しい戦いが続いている鹿島アントラーズ。4月7日には試合終了間際にゴールを許して、湘南ベルマーレに敗れた。そして4月11日のFC東京戦では先制点を決め、”試合の入り方”の悪さを改善できたかに見えたが、オウンゴールで同点に追いつかれると、後半には前半に負傷した山本修斗から代わった西大伍の左サイドを破られる形で逆転弾を決められる。その後もボールの失い方が悪く、カウンター攻撃でピンチも迎えたが、なんとか堪(こら)えた。しかし、ゴールを決めることもできずに、1-2で終了。2勝2分3敗の勝ち点8、13位に順位を落とした。
怒りが収まらないサポーターのことを想像するのは容易(たやす)く、試合後にゴール裏へ向かう選手たちの足は重そうに見えた。そんななか、真っ先にそこへ向かったのが西だった。試合後のミックスゾーン、記者の質問に応えることなく、足早に歩く選手たちのなかで、足を止めたのが西と土居聖真だった。
「みんな頑張っていました。今日は全部、僕の責任です」
西はそう試合を振り返る。そして、中2日で迎える次の試合までに大事なことを訊くと「あんまりこう、気持ちとか、そういう部分というのは、言ってこなかったんですけど。今はそういう部分が大事かなと思っています」と答えた。
内田篤人、遠藤康、安西幸輝、町田浩樹、レオシルバ、ペトロジュニオール、安部裕葵、そして、山本と数多くの戦線離脱者を抱えている。内田はチーム練習に合流したが、FC東京戦でベンチ入りした昌子源も復帰したばかりだ。
5月20日まで約1カ月間で10試合を戦わなければならない。文字通りの総力戦となるだろう。
「89分間よくても、ひとつのプレーで台無しになってしまう。でも、前を向いていくしかない。この現実から目をそらしてはいけない。今、全員がもがいている」
土居がチーム状況について話した。
結果を出せない苦しみのなかで、誰もが「気持ち」について語る。球際の強さ、カバーリング、フリーランニング……闘志を示し続けることの重要性を理解しているにも関わらず、それを表現できていない。疲労もあるだろうし、精神力だけでは打開できない壁なのかもしれない。
しかし今、鹿島が抱えているジレンマは、「やれるはずのことができない」というものだろう。やろうとしていること、できることを信じているから、「気持ち」という部分が課題となって残る。「気持ち」で、勝利を奪ってきた実績があるからこそ、そう思うのだ。精神力は鹿島の強みという自信が彼らを支えてきた。その歴史は重い。
「全員の得点だし、全員の失点」
湘南戦後の鈴木優磨の言葉が胸に響く。
* * *
西大伍、金崎夢生、山本修斗、三竿雄斗……。鹿島に移籍加入した選手たちが代表入りを果たす姿に名良橋晃は、目を細める。かつての自分の姿を彼らに重ねているのだ。高卒や大卒ルーキーなどの生え抜き選手の活躍が目立つ鹿島において、1997年にベルマーレ平塚から加入した名良橋は、移籍獲得の先駆けといえる存在だった。彼もまた、日本代表復帰を移籍理由に挙げていた。
――今年、東京ヴェルディから移籍加入した安西幸輝選手が鹿島を選んだ理由を「3人のサイドバックの日本代表がいるチーム。ここで活躍できれば代表に一番近いと思った」と話していました。
「そうですか。実際そうなんですよね。僕が鹿島入りを熱望したのも、鹿島でレギュラーになれば、代表復帰できると思ったから。今も僕と同じような気持ちで鹿島へやってくる選手がいるというのは、OBとしてもうれしいですね。
サイドバックに限らず、長年、数多くの代表を輩出している鹿島ですが、海外へ移籍する選手も少なくない。そういう意味では選手を育てるというサイクルが早くなっているので、生え抜きだけでなく、移籍加入で選手を補強しなければならない時代だと思います」
――そういう意味では、鹿島イズムというか、勝利へのこだわりという部分を選手の意識に植えつけていくという作業のスピードも求められるわけですね。
「ですね。選手個々の力をどうチームとしてまとめていくのか? 今どう戦うのかという意識を共有する必要があると思います」
――たとえば、名良橋さんが鹿島でプレーされていたとき、新井場徹さんが加入されました。チームに馴染めるよう、どのようなアドバイスをしましたか?
「していません(笑)。イバちゃんは僕のアドバイスは必要なかったと思います。というか、質問されれば、アドバイスはするけれど、こちらから何かを言うようなことはなかったですね。誰もがライバルですから。そんなお節介は焼きません(笑)。それでも、試合中に叱責されたり、練習中のチームメイトたちの要求を理解しながら、チームに馴染むことができる。
実際、僕も本田(泰人)さんや秋田(豊)さんから、どんなに怒鳴られたか(笑)。『ナラ、今は上がるときじゃない!』とか。最初の1年はとにかく必死でしたからね。それが過ぎて気がつくと、馴染むことができる。結局、チームメイトに評価されなくては居場所を作れない。勝利に貢献することで初めて認めてもらえるんです」
――海外移籍といえば、内田篤人選手が帰国しました。
「最初の会見で『ジョルジーニョさんや名良橋晃さんがつけていた背番号を受け継いだ』というようなことを言ってくれたと聞いたときは、本当に嬉しかったですね(笑)。鼻高々でした」
――もともと背番号『2』は名良橋さんが、ジョルジーニョ選手から受け継いだものですね。
「はい。チームから『背番号2をつけてくれ』と言われたときは、驚きと喜びと同時に、怖さみたいなものがありました。その番号にふさわしい選手になれるのかと。そして、2007年に移籍するとき、僕からクラブへお願いしたんです。『この番号は篤人に渡したい』と。中途半端な選手にこの番号をつけてほしくはなかった。そう考えると、篤人がふさわしいと思ったんです。
翌年、篤人はドイツへ移籍しましたが、そこで揉まれ、さらに2番を担うべき選手として成長し、戻ってきてくれた。本当に頼もしいし、楽しみです」
――理想の背番号2とはどのような選手ですか?
「ジョルジーニョは、その言葉でチームを動かすのではなく、プレーでチームを動かし、その佇まいでチームをまとめていた。プレーで魅せる選手でした。だから僕もそうなりたいと思い、日々を戦ってきました。(小笠原)満男を見ていると、そんなジョルジーニョの影響を色濃く受けたんだと思います」
――ジーコさんではなく、ジョルジーニョさんだと。
「もちろん、ジョルジーニョはジーコの想いを引き継いだ選手でした。でも、満男たちの世代にとって、ジーコは総監督でもあったから遠さがあったと思うんです。ともにプレーしたのは1シーズンだけだったと思うけれど、ジョルジーニョのほうからより、強いインパクトを受けたんじゃないかと、僕は考えています。そして、その満男のあとを継いでくれると期待しているのが、現背番号2の男です」
――内田選手だと。
「ドイツへ行く前は、気持ちを見せることに恥ずかしさや照れを感じているようなところがありましたけど、ドイツでの厳しい生存競争のなかでは、そんなことを言ってられなかったはず。ワールドカップブラジル大会でもそうでしたが、気持ちがほとばしるプレーをする選手へと成長しました。コンディションのことが気がかりではありますが、そのプレーや振る舞いでチームを引っ張ってくれると思っています。
あと、この間のガンバ戦(3月3日、1-0で勝利)の終盤、安西くんがグッとオーバーラップをしかけたんですよ。それもうれしかったですね。攻撃的なサイドバックとしてプレーした自分のことを思い出した。『あぁ、受け継いでくれているな』と勝手に喜んでいました(笑)」
――名良橋さんにとって、鹿島アントラーズとは?
「本当に僕を成長させてくれたクラブです。篤人が加入したとき、僕はケガで離脱して、篤人が試合に出ることになった。これはすごいライバルが来たなと思ったし、悔しさもありましたが、また取り返せばいいと考えられた。そうすれば、さらに成長できるなって。30代半ばでもそんな気持ちになれるのは、鹿島の選手だったからだと思います。
キレイなサッカーじゃなくてもいい。ヘタはヘタなりに一生懸命ガムシャラに戦うことを僕は鹿島で学んだ。そこで身につけた闘争心は、そう簡単に消えることはないんです。
鹿島が本当に好きですね。今でも(東京から鹿嶋へ向かう東関道の)潮来(いたこ)インターが近づくだけで、胸がワクワクします。インターを降りると、広がるいつもの風景。その先に見えるカシマスタジアム。最高ですよね。実家に戻ってきたような懐かしさと愛情が溢れてきます。
クラブハウスに行けば、変わらないスタッフや職員の方々の顔があり、下部組織のユース監督には熊谷(くまがい)浩二がいて、トップチームにもかつてのチームメイトたちがいる。本当に実家ですね、僕にとっての」
名良橋晃がジョルジーニョから継ぎ、内田篤人に渡した「2」への思い
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