日刊鹿島アントラーズニュース

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2019年3月14日木曜日

◆【東日本大震災から8年 忘れない、立ち止まらない】元J1鹿島・小笠原満男さん、被災小学校跡地にグラウンド整備 純粋に故郷を想い未来見つめる(zakzak)



小笠原満男 Mitsuo.Ogasawara


◆◆J1 & J2 & J3選手名鑑 2019 ハンディ版 / サッカーダイジェ...


 昨シーズン限りで現役を引退したサッカー元日本代表の小笠原満男さん(39)は、岩手県立大船渡高校から鹿島アントラーズ入りした“地元の星”だ。

 生まれは県央の盛岡市だが、沿岸の大船渡高に在籍していた監督を慕い、越境入学。同校を全国大会出場へと導いた。

 実をいうと、私は高校時代の同級生である。小笠原君(=不遜ながら、そう呼ばせていただく)から、「グラウンドを造りたいんだ」と相談されたのは、発災翌年の3月11日のことだった。

 大震災発生直後から岩手の気仙両市(大船渡・陸前高田)に通いつめ、個人として、また「東北人魂を持つJ選手の会」発起人としても数々の支援活動を展開していた小笠原君だったが、当初は「一体、何ができるのか」と悩んでいたことも知っている。

 だが、この相談を受けたときには、目標をはっきり見定めた人の目をしていた。

 学校グラウンドに仮設住宅が建設され、児童生徒は「校庭を知らない」状態が続いていた。小笠原君は地元でサッカー教室を開いたとき、子供たちから「練習したくてもする場所がない」と言われ、ショックを受けたという。

 「何から始めたらいいのか、誰にどう話せば土地を提供してもらえるのか、何も分からない。でも動き出さないと…! 成長に一番大事な時期なのに、このまま何年も校庭の復旧を待ってたら遅いんだ」

 彼は地元の同級生らと協力し、企業やファンに支援を募り、大船渡市の被災小学校跡地に立派な人工芝グラウンドを整備する立役者となった。

 次世代の育成、被災地に人を呼び込むこと、震災の教訓を伝えること。彼は遠い先まで見据えた支援を、今も仲間たちと考え続けてくれている。

 敬服するのは、今後起きる可能性がある大災害についてもしっかり調べ、頭に入れていることだ。関東圏のサッカー少年らを大勢岩手へ連れてきてくれるだけでなく、現地で「君らも被災者になりうる」と、分かりやすく伝える自分の言葉を持っているのだ。

 何年か前、「あなたの存在自体が、地域の人を励ましている」と伝えたとき、はにかみつつも「80歳までサッカーができるわけじゃないからね」と淡々としていた。

 「だから、このグラウンドから次のプロ選手に出てほしいんだよ。そうすれば、また地元の人にも元気になってもらえるでしょ」
 この人はどこまでも純粋に故郷を思い、先の先まで見ているのだなぁ…と、頭が下がった。

 気仙両市すべての学校グラウンドは、この3月までに復旧整備が終わり、児童生徒が4月から“自前”の校庭を使えるようになる。「次なるアスリートをこの地域から」という彼の思いが引き継がれる準備は、いよいよ整った。

 ■鈴木英里(すずき・えり) 1979年、岩手県生まれ。立教大卒。東京の出版社勤務ののち、2007年、大船渡市・陸前高田市・住田町を販売エリアとする地域紙「東海新報」社に入社。現在は記者として、被害の甚大だった陸前高田市を担当する。


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