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「身の丈に合う合わないではない」。サッカーJ1鹿島からスペイン1部リーグの強豪・バルセロナへ移籍する日本代表FWの安部裕葵(ひろき)は言い切った。無名だった広島の高校生が、20歳の若さで世界のトップクラブ入りしたのは、「常に成長する」というぶれない気持ちでチャンスをつかんできたからだ。
東京都出身の安部はJリーグの下部組織などには所属せず、広島県の瀬戸内高に進学した。自身が3年生になった年に広島でインターハイが開催されることが決まっていたため、地元開催の大会でプレーしてアピールすればプロに近づくと考えて選択した。2年時にレギュラーに定着し、思惑通り3年の時に初めてインターハイに出場。別の選手を見に来ていた鹿島のスカウトの目に留まり、同校初のJリーガーとなった。
同校サッカー部の田中健二郎監督(44)は「当時から状況判断力や技術は高かった。背筋を伸ばしてドリブルする姿勢が良かった」と振り返る。大人びていて学業の成績も良く、「プロになって海外に行きたい」とも話していた。必要なプランも逆算していたという。
田中さんは「冗談で『(名門の)鹿島から誘いがあればプロになってもいいぞ』と話していたら、本当にオファーが来た。『冗談が本当になりましたね』と笑っていたのを覚えている」と話す。バルセロナへの移籍に「まさかここまで来るとは」と感慨深げだ。
鹿島では1年目から公式戦17試合に出場。意識が変わったのは2年目だ。先発出場の機会が増える中、「小中高と、ただボールを追っていた」自らのプレーを見直し、ポジショニングや周りの選手のひき立て方などを研究するようになった。2018年はJリーグのベストヤングプレーヤー賞に輝き、鹿島のアジア・チャンピオンズリーグ初制覇に貢献。今季は、元ブラジル代表で鹿島テクニカルディレクターのジーコ氏らが背負った「背番号10」を付けた。
当面は3部相当のBチームでプレーする見込みだ。「レンタル移籍ですぐ他チームに出されるのでは」という臆測が流れていることは理解している。高卒で鹿島に入団した際も同じことを言われたからだ。だが、「『身の丈に合うように』なんて考えていたら高卒で鹿島に来ないし、プロにもなれていない。選択肢があるなら、僕は常に成長できる方を選ぶ。人生には成功や失敗の数ではなく、挑戦の回数が大事だ」と力を込める。
最近、中学時代に所属していたチームのマネジメント会社を運営する元日本代表の本田圭佑に会い、「頑張れよ」とエールを送られた。ジーコ氏からは「チャレンジしていかないとプレーの向上につながらない。海外に行くのは時代の流れだ」と背中を押された。
鹿島を2年半で去ることに悔いはない。「可能性は自分で作るもの。このチームに入っていなかったら普通の大学生にすぎなかったであろう僕が鹿島で成長したように、バルセロナでも成長したい」と決意を語った。【黒川優】