日刊鹿島アントラーズニュース

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2019年10月30日水曜日

◆元鹿島・青木剛が感じた社会人リーグの現実「南葛SCではサッカーを続けられていることに対する感謝が大きかった」(サッカーダイジェスト)



青木剛 Takeshi.Aoki




「みんなサッカーが好きなんだな、というのがすごく伝わってきました」


 漫画『キャプテン翼』の原作者、高橋陽一氏が代表を務めるリアル“南葛SC”の2019年シーズンは、2つの大きなトピックスで幕を開けた。

 ひとつは元日本代表の福西崇史氏の新監督就任。そしてもうひとつが“常勝”鹿島アントラーズの主力としてJ1優勝4回、天皇杯優勝2回など、数多くのタイトル獲得に貢献した実績を持つ青木剛の加入だ。

 鹿島、鳥栖とJ1で400試合の出場記録を誇る大物の加入に、南葛SCサポーターの期待は否が応にも高まった。

 そんな青木が東京都社会人サッカーリーグ1部を1シーズン戦い抜いて感じたこととは――。Jリーグと社会人リーグ、プロとアマチュア……、2019年シーズンを豊富な経験と照らし合わせることで自分と、そして南葛SCの現在地が明確になる。3回特集の第1回では、彼個人の今シーズンについて振り返ってもらった。

――◆――◆――

 J1の鹿島アントラーズで15年半、サガン鳥栖で1年半、そしてJ2のロアッソ熊本で1年。18年間Jリーグでプレーしてきた者にとって、社会人リーグの東京都1部リーグでの1年は刺激に満ちた1年だった。

「自分でいうのもなんですが、僕はどちらかというと下の年代の選手からもいじられるキャラで(笑)。だからチームにはすんなり入れたと思いますし、刺激を受けることが多かったです。社会人チームはみんな仕事をしながら、練習場まで1時間以上かけて集合してサッカーをする。みんなサッカーが好きなんだな、というのがすごく伝わってきました。こういうサッカーへの取り組みもあるんだと思って」

 鹿島でも鳥栖でも熊本でも、練習場から5~10分ほどの近い場所に居を構え、サッカーに打ち込んできた青木も、南葛SCでは鹿嶋市内に開業したスパイクのインソール専門店「アシスタート」の仕事があるため、鹿嶋から葛飾まで1時間半ほど車で移動して練習場に通った。

「Jリーグの選手は――意識が高い選手は勉強などしていますが――サッカーがメインで他に仕事もしていないですし、空いた時間は身体のケアなどに費やしたりと自由な時間が多いんです。でも社会人リーグの選手は日中仕事をして夜練習して、夜中に寝て翌朝早く起きて仕事に行って、また夜練習する。本当にタフだな、と。練習に関して南葛は恵まれている方だと聞きますが、他のチームでは練習が週1回とか、試合日だけ来る選手もいると聞きます。そこまでしてサッカーをやるのは、仕事のリフレッシュなどもあるのかもしれませんが、やっぱりサッカーが好きなんだな、と」

 周囲からの期待も感じていた。しかし、それよりも強く感じていた他の気持ちがあったという。
「最初から基準が“Jリーグを何年も経験してきた選手”という見方をされるとは思っていましたし、分かっていました。ですから練習をしていても下手なプレーは見せられないですし、試合中も相手が僕からボールを奪った時に盛り上がったりといった反応もありました。たしかに今までやってきたものがある、といういい意味でのプライドはありますし、カテゴリが変わっても勝ちたいという気持ちに変化はありません。ただ、それよりも自分は前年の熊本でのシーズンが終わった時に辞めるか辞めないかってところまで悩んだので、南葛でサッカーを続けられていることに対する感謝の方が大きくて、周囲の目を気にするということはなかったんです」


「最初の頃は練習でも試合でも、一つひとつ感覚を思い出すようにかなり研ぎ澄ましながらやってたんです」





 2018年シーズンを終え、熊本はJ3に降格した。その責任を強く感じていた青木はサッカーを続けるかどうか迷っていた。その時、鹿島の1年先輩で、社会人リーグでプレーしていた岩政大樹から話を聞き、社会人サッカーに興味を抱いた。そして年が明け、『キャプテン翼CUPかつしか2019』のエキシビジョンマッチに参加。その後、偶然若手選手から詳しい話を聞いて南葛SCに興味を持つと、旧知の間柄でもある岩本義弘GMと話をして入団が決まった。

 まさに運命に導かれるように決まった南葛SC入り。サッカーができる喜びを仲間と分かち合う新しい環境に感謝した。一方で、この1年は刺激的であったと同時に試行錯誤の連続でもあった。

「鹿島にいた最後の頃から鳥栖、熊本とCBだったので、南葛でもCBかと思っていたんです。でも、最初の段階でボランチとして考えられていることを知って。カテゴリが異なるとはいえ、ボランチは5年ぶりくらいのことで。感覚が残っていなかったので、じつは最初の頃は練習でも試合でも、一つひとつ感覚を思い出すようにかなり研ぎ澄ましながらやっていたんです」

 公式戦はリーグ戦開幕前の東京カップ2次戦・1回戦でデビュー。同じく元Jリーガーの安田晃大と組むダブルボランチは抜群の存在感を見る者に与えた。実際に1回戦の日立ビルシステム、準決勝の東京23FCと関東リーグ勢相手に勝利を収め、決勝の東京ユナイテッドにはPK戦で敗れるも、3戦無失点。その安定感には心強さを感じたが、じつは感覚を思い出しながらのプレーだったのだ。

「どっちに転んでもおかしくないようなギリギリの試合が続いていましたが、自分の中では正直手探りで。一方で、みんなで勝ち抜いてきてくれたなか、僕が途中から入ったことで出られなくなる選手もいる。だから結果で示さなきゃいけないとか、南葛のエンブレムを背負っている責任みたいなものも感じながらプレーしていました」


「準備の仕方は社会人の方がプロより難しいと思います」





 そしてリーグ戦開幕。ボランチとしての感覚を取り戻そうとする日々は続いた。それに加えて初めて分かることもあった。それまで慣れ親しんでいた天然芝と人工芝の違い、そして人工芝も種類によって違いがあることだ。

「イレギュラーはしないんですけど、同じ人工芝といっても会場によって感覚が全然変わってくるんです。南葛は2会場で練習していますが、その2つでも質が違うし、試合会場によってもいろんな種類がある。だからウォーミングアップの時からちゃんとアジャストしていかないと感覚がズレて思い通りのプレーができないな、と感じてました。人工芝の違いは面白い発見でしたね」

 だが、この人工芝の影響もあってか、夏場にケガで1か月半ほど戦線離脱をしてしまう。本人曰く「プロ入りしてからこれまで19年間で最も長かったケガ」だった。「みんなも同じ条件なので自分だけの問題ではないですが」と前置きしつつ、怪我の要因を次のように語った。

「理由は5つほどあって。まずは硬い人工芝で地面からの負荷がJリーグの時より強くなったこと。そして練習でも試合でも移動時間が長くなったこと。アウェーは当日移動で調整時間が以前ほど確保できなかったこと。さらにこれまでは週1回は入れていたマッサージを入れていなかったこと。あと平日に仕事をしていることも影響はあったと考えています」

 1日24時間をサッカーに費やせない生活リズムの中、いかに最善の準備をするか。
「考えてやっていたつもりでも、結果としてケガをしてしまったのはショックでした。そういう意味では、準備の仕方は社会人の方がプロより難しいと思います」

「やっていないと不安になるタイプ」と自覚していたが、夏以降、いま一度準備を見直した。心がけたのは“自分の身体との対話”だ。

 本当に疲れを感じる時は知り合いにマッサージを頼み、1週間の流れの中で負荷のかけ方を変える。試合後の週明けに取り入れていたダッシュを思い切って取りやめたり、自主トレ時の負荷を軽くしたりした。自主トレは自宅周辺の走り込みや庭での体幹や腹筋。特に走り込みは1周するとちょうど区切りのいい距離になる道路があったが、アスファルトを走ると負荷がかかるので汗をかく程度に強度を弱めたり、身体への衝撃が緩むタータンで舗装されている近場の陸上トラックまで移動して走り込むようにした。

「捉え方次第ですが“ここまで環境が変わっても戦えている”という気持ちも正直ありました。でも、ピッチ上でもピッチ外でもちょっとずつ試行錯誤しながらバランスを見ていった感じはありました」

 周囲から期待を浴びる一方で、じつは人知れず調整に心を砕いていた現実がそこにはあった。(文中敬称略)

※ 第2回に続く。次回は11月5日に公開予定です。

取材・文●伊藤 亮




◆元鹿島・青木剛が感じた社会人リーグの現実「南葛SCではサッカーを続けられていることに対する感謝が大きかった」(サッカーダイジェスト)





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