【あのブラジル人元Jリーガーは今?】マルキーニョス(元横浜FM、鹿島ほか):前編――3連覇初年度の浦和戦が最も記憶に残る試合
日本で計15年間プレーしたブラジル人FWマルキーニョスは、パワーとスピードがあり、技術的なクオリティーも高く、どんな距離、どんな角度からでも、ゴールを決めて数々のタイトルに貢献した。J1通算152ゴールは、Jリーグ外国籍選手の最多得点記録となっており、特に4シーズン所属した鹿島アントラーズでは2007年からのJ1リーグ3連覇の原動力の1人となり、08年にはリーグMVPと得点王のダブル受賞を果たしている。
「あの3連覇から10年以上になるけど、忘れるわけはない。みんなで一つになって戦った日々は、今でも素晴らしい記憶として、心に刻まれている」
鹿島では、清水エスパルスから加入した07年当初から適応し、リーダーの1人として戦った。
「3連覇の1年目、チームは序盤に苦しんで、開幕5試合で(3分2敗と)勝つことができなかったんだよね。覚えているのは、その時期、サポーターがチームと話をしたくて、僕らの乗っているチームバスにまで、乗り込もうとしたことがあったんだ。もちろん、あの時は動揺したよ。それで、オズワルド・オリヴェイラ監督がミーティングを開いて、僕ら選手を落ち着かせようとしたんだ。『冷静になろう、集中し続けよう。我々はこれから勝ち始める』とね。その時からだ。チームの結束が強まり、歯車が噛み合い始めて、結果に結びつくようになった」
その07年、最終節直前の第33節・浦和レッズ戦は、Jリーグ時代で最も記憶に残る試合だという。
「首位だった浦和との直接対決で、その試合を含めて、僕らは最後の2試合に勝たなければならなかった。浦和の最終節は横浜FC、僕らは清水エスパルス戦。対戦相手の当時の状況から、浦和のタイトルの可能性が高いと思われていたんだ。それでも僕らはまず、目の前の試合に勝つ、それだけを考えていた。アウェーだったから、スタジアムには5~6万人の浦和サポーターがいてね。試合前、オズワルドも『あのサポーターの声援が、我々を脅かしてくるぞ』と、僕らに気持ちの面で準備をさせた。それで、1-0で勝つことができたんだ」
日本ではオリヴェイラ監督、岡田武史監督、オシム監督ら名将の下でプレー
続く08年、鹿島はシーズンを通して安定した戦いを維持し、マルキーニョス自身もJ1得点王&MVPという個人タイトルを獲得した。
「あの年は自分たちがやっていることに最初から自信を持って、全力で取り組めた。僕の個人賞も、チーム全体が落ち着いて戦えたことによるもの。選手や監督、技術スタッフやクラブスタッフのみんなで生み出した安定感だ。みんなが個々に努力し、同時に協力し合う。そういうつながりのなかで、結果は出るべくして出た。僕も、アシストもすれば、守備もサポートした。プロとしての友情の輪ができて、鹿島のように家族同然になった時、僕らは誰もが、みんなで成長したいと望むようになるものなんだ」
3連覇最終イヤーの09年は、17試合無敗(12勝5分)の記録を打ち立てるなどトップを独走したが、その後、まさかの5連敗も経験した。
「シーズン終盤(第24~28節)に負け始めたんだけど、それは他のチームが僕らをよく研究するようになったから。でも、鹿島がそういう存在になった、という証拠だから、それも素晴らしいこと。しかも、それでも僕らは3度目のタイトルを獲得したんだからね」
マルキーニョスは鹿島のオリヴェイラ監督はもちろん、数々の名将の下でプレーしてきた。03年の横浜F・マリノス時代は、岡田武史氏(現FC今治会長)が指揮を執っていた。
「オカダサンは、すごく尊敬する監督なんだ。能力がとても高く、人としても、心の広い素晴らしい人。僕は彼の下で成長したし、彼と一緒に進歩した。彼とともに優勝した。あの2003年のJ1優勝は、僕にとっての初タイトルだったから、僕の人生にも、僕の心にも刻まれる監督になったんだ」
翌04年のジェフユナイテッド千葉では、イビチャ・オシム氏の下でプレーした。
「彼は厳格で、怒りっぽく見えるけど、愛情の深い人。すごく対話をする監督でもある。試合が終わった時、すぐにそこで起こったミスについて話し、翌日には、もう一度その確認をしながら練習させるんだ。『君はこういうミスをしたけど、こんなふうに修正することができる』とね。彼から多くを学んだよ」
当時、マルキーニョスが練習に遅刻したことがあった。しかも、オシム氏がその罰としてランニングを命じたにもかかわらず、彼は走らずに帰ってしまった。監督の怒りを買うのではと、周囲はハラハラしたものの、当のオシム氏が「大丈夫。次の試合でも、彼は良いプレーをするはずだから」と許したことで、さらに話題となった。
「ははは。お互いに信頼し合っていたんだ。彼は多少神経質なところがあったけど、僕に走れと言ったのは怒ったからではなく、時間を守るということを教育するため。でも、僕は問題を起こすような人間ではなかったし、遅刻もあの時だけ。だから、ちゃんと彼に謝って、彼も受け入れてくれて、すべて上手くいった(笑)」
「ここに僕という日本サッカーのサポーターがいることを、覚えていてほしい」
最後に、マルキーニョスはサポーターへのメッセージも語ってくれた。
「みんなのことがすごく恋しいよ。僕の名前を呼び、歌ってくれたあの声が、今も心に響いている。たくさんの思い出の瞬間を作ってくれた。例えば、鹿島で一番心に刻まれているのは、僕が入団した時だ。サポーターが僕を呼んで、僕のために作った歌を聞かせてくれたんだ。そんなことは初めての経験だった。
『マルキ~ニョス、マルキ~ニョス、オオオオッオー』
あんなふうに、これからもずっと、チームと選手たちを支え続けてほしい。上手くいかない時があっても、決してあきらめないように。鹿島は強いんだから。いつでもポジティブさと忍耐を持っていて欲しい。
他のクラブでも、歌を作ってくれたんだよ。清水では『ヴァモ、ヴァモ、ヴァーモス、ヴァーモス』だった。
そういうすべてを、これからも決して忘れることはないし、日本中のサポーターに感謝するばかりだ。できるだけ早く、みんなと再会できることを願っているし、そのために日本へ行く計画を立てているんだよ。だから、ここに僕という日本サッカーのサポーターがいることを、覚えていてほしい。アリガトウゴザイマス!」
◆“J最強助っ人”マルキーニョス、15年を捧げた日本への思い 「決して忘れることはない」(FOOTBALLZONE)