日刊鹿島アントラーズニュース

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2021年4月28日水曜日

◆【アジアで会う】本山雅志さん サッカー選手(クランタン・ユナイテッドFC所属) 第343回 新天地でさらなる成長を求めて(マレーシア)(NNN ASIA)






もとやま・まさし 1979年生まれ、福岡県北九州市出身。東福岡高3年時に全国総体、全日本ユース、全国選手権と史上初の「高校3冠」を達成。98年鹿島アントラーズに入団し、背番号「10」を背負う。2000年シドニー五輪代表。16年にギラヴァンツ北九州へ移籍し、19年末までプレー。21年からマレーシア・プレミアリーグ2部のクランタン・ユナイテッドFCに移籍した。


長いキャリアの中でも初となる、海外チームへの移籍。クランタン・ユナイテッドのメインスポンサーであるマレーシアヤクルトから誘いを受けたのは、けがからの復帰を目指し、地元・北九州でコンディションを整えていた20年の秋だった。実家の鮮魚店を手伝いながら日々トレーニングに励んでいた時期で、「競りにも行きましたし、魚をさばくのもうまくなりましたよ」と笑う。Jリーグの複数クラブからの打診も受けたが、新天地・マレーシアでの活躍に賭けた。

「クランタン・ユナイテッドは若い子が多いチーム。試合を重ねるごとにだんだんと伸びてきているのが分かる」と目を細める。東山晃監督による基礎を重視した指導の下、世界の大舞台で活躍してきた本山選手の背中から学ぼうとする選手も多いようだ。合流からわずか3カ月ですっかり溶け込み、年の離れたマレーシア人のチームメートからは「モトチャン」と慕われている。


■コタバルの環境に満足


 クランタン・ユナイテッドが本拠とするクランタン州コタバルは、タイ国境に近いマレー半島最北端に位置し、人口の大多数をイスラム教徒(ムスリム)が占める。在住日本人はわずか三十数人という地方都市だが「サッカーに集中できる環境でよかった」と満足げだ。若いころから遠征で世界中を飛び回った経験のおかげで、初めての海外暮らしでもあまり不自由は感じない。地元の食にもなじみ、現地流に手食にもチャレンジしている。

数カ月にわたるホテル暮らしから解放されて新居に落ち着いたことで、身体のメンテナンスのため自炊をすることもある。南シナ海に面する海辺の街だけに「(魚をさばく)マイ包丁を持ってきたほうがよかったかな」とおどけてみせた。

一方で、苦労もある。クランタン・ユナイテッドが属するマレーシア・プレミアリーグ2部では、遠征時はバス移動が基本。チームに合流して3日目には早速、シンガポールと国境を接する最南端ジョホール州への遠征を経験した。マレー半島を縦断する長旅で、移動だけで片道12時間かかる。この時は運悪くバスが故障し、代替車両が来るまでさらに3時間待機させられるというトラブルにも見舞われた。

「移動が多く、練習時間を取りにくい点が悩み」と言うが、限られた時間でもしっかり成果が出るよう集中してトレーニングすることで、シーズン7試合目には、リーグ首位から勝利を奪うという番狂わせを演じた。代名詞である切れ味鋭いドリブルや絶妙なスルーパスに、対戦相手や地元のサッカーファンは「モトヤマは本当に41歳なのか?」と毎度驚かされている。


■飽くなき成長へのこだわり


41歳という年齢でも現役にこだわるのは、「常に成長したい」という意欲があるからだ。愛するサッカーを、やれるところまで極めてみたい。飽くなき探究心が、マレーシアと本山選手を引き合わせた。もっと若いころに来ればよかったという思いもある一方で、キャリアを重ねた今だからこそ、若手やチームの成長に手を差し伸べられる面もある。「全ては巡り合わせですね」。希代のドリブラーはそうほほ笑んだ。(マレーシア版編集・降籏愛子)




◆【アジアで会う】本山雅志さん サッカー選手(クランタン・ユナイテッドFC所属) 第343回 新天地でさらなる成長を求めて(マレーシア)(NNN ASIA)





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