日刊鹿島アントラーズニュース

Ads by Google

2022年11月24日木曜日

◆上田綺世は「キャプテン翼」みたいな点取り屋だった…恩師らが語る挑戦と挫折の成長物語(読売新聞)






 サッカー・FIFAワールドカップ(W杯)カタール大会で、日本代表のFW上田綺世あやせ選手(24)が初の大舞台に挑む。水戸市出身。挑戦と挫折を繰り返しながら日本代表まで駆け上がった「点取り屋」の成長を、恩師らの記憶からたどった。


負けん気強い「生粋のFW」


 「綺世にボールを渡して、後はお願いって。『キャプテン翼』みたいでした」。水戸市の吉田ヶ丘サッカースポーツ少年団(SSS)時代の恩師・坂本豊司とよしさん(68)は、自陣でパスをもらうと1人でスルスルと相手を抜き去りゴールを奪ってきた上田選手の姿を、人気漫画の天才サッカー少年に重ね合わせた。

 サッカーをしていた父親の影響で、幼い頃からボールを蹴っていた上田選手が吉田ヶ丘SSSに入団したのは小学3年の頃。普段は物静かな少年もサッカーの時だけは違った。休憩時間や練習後も1人で黙々とシュートを打ち続ける熱意に、坂本さんは「点を取ることだけが楽しいという生粋のFWだ」と感じた。

 小学6年の時のある試合で見せた姿は今も忘れない。上田選手はゴールを決めたが、点の取り合いの末に敗戦。エースとしての責任を痛感して歯を食いしばる負けん気の強さに、坂本さんは「この子は良い選手になる」と直感したという。


ユース昇格果たせず、初めての挫折


 そんな上田選手の初めての挫折は中学生の時だった。学校のサッカー部ではなく、J1鹿島アントラーズの下部組織の一つ「ノルテジュニアユース」(日立市)に所属していた上田選手。しかし、県外からも有力選手が集まるエリート集団の中で、高校生年代を対象としたユースへの昇格は果たせなかった。

 今でこそ1メートル82の長身を生かした打点の高いヘディングも持ち味だが、当時は1メートル70程度で線も細かった。水戸市立第四中学時代の担任だった圷要人あくつとしひとさん(41)も「ダントツうまいという感じではなかった」と振り返る。

 ただ、圷さんはその人柄に注目していた。よく覚えているのは、仲の良い同級生が病気で入院した時、上田選手が見舞いに足しげく通っていたことだ。退院後も同級生に寄り添う気遣いをみせていた。また、ジュニアユースの練習が休みの日には、圷さんが顧問を務めていた第四中サッカー部に顔を出し、積極的にボール拾いもしてくれた。

 豪快なシュートや得点パターンの多さで注目される上田選手。一方、前線で攻撃の起点をつくる「ポストプレー」や相手DFを引きつけて味方を生かす「おとり」の動きといった献身性も持ち味で、圷さんは「この人柄があってこそ培われたものだ。こうした子が成長するし、チャンスも巡ってくる」と納得している。

 そして、圷さんは今、上田選手を思い浮かべながら生徒たちに向き合い、こう語りかけるという。「ほら綺世を見てごらんって」


線細かった高校時代…でも光っていた得点感覚


 第101回全国高校サッカー選手権県大会決勝を数時間後に控えた11月13日朝、鹿島学園(鹿嶋市)サッカー部の鈴木雅人監督(47)のスマートフォンが鳴った。電話の主は、高校時代に指導した上田綺世選手。所属クラブがあるベルギーからだった。「先生、これから(W杯の開催地)カタールに旅立ちますが、(県大会の)優勝を願っています」。上田選手の激励に、鈴木監督は「こちらも全国大会に出て勝ち進む。お互い頑張ろう」と応じた。

 J1鹿島アントラーズの下部組織「ユース」(高校生年代)への昇格を果たせなかった上田選手を鹿島学園に勧誘したのは鈴木監督だ。「身長も低く、線も細かった」。中学3年の上田選手を初めて見た時はそう思ったが、「ストライカーに不可欠な得点感覚は、他の選手にはない光るものを持っていた」という。

 上田選手がサッカー部に入部すると、鈴木監督は「点取り屋」としての非凡な才能に磨きをかけるため、前線からの守備には多少目をつむった。全員攻撃・全員守備が求められる現代サッカーでFWの守備参加も例外ではない中、思い切った方針だった。

「右足、左足、頭とどこでも得点できるようになりなさい」「動き出しにこだわって自分の得点パターンの形をつくりなさい」。鈴木監督は繰り返しそう説き、ひたすら点を取ることだけに専念させた。


才能開花…Jリーグから世界へはばたく


 鈴木監督の薫陶を受けた上田選手はFWとして徐々に頭角を現した。3年時には鹿島学園の10番を背負って第95回全国高校サッカー選手権に出場し、2得点を挙げた。鈴木監督は「大学でさらに伸びてくれれば」と、高校時代の後輩が監督を務める法政大への進学を勧めた。

 才能は一気に開花した。磨き続けた多彩な得点パターンが評価され、大学3年時には日本代表に選出。鹿島アントラーズからの誘いを受け、夢だったプロ入りも果たした。4年目の今季は、ベルギー1部のセルクル・ブルージュに移籍する7月までに、鹿島でリーグ戦18試合に出場し、10得点をたたき出す活躍を見せた。

 鈴木監督は「理想のストライカーに変貌へんぼうを遂げた。教えてきた身として誇り高い気持ち」と目を細める。

 「W杯は選手にとって偉大な大会。そこで結果を残すのが夢」。今月1日、W杯日本代表メンバーに初選出された直後、上田選手は所属クラブのインタビューで力強く語った。鈴木監督との13日朝の電話では最後にこう告げたという。「カタールで点取ってきます」

 地道に階段を上がり、「理想のストライカー」に成長した教え子が世界の舞台で躍動する姿を、鈴木監督ははっきりと想像できる。「綺世らしく一瞬のチャンスをものにして、チームを勝利に導いてほしい」。恩師はそう願っている。(寺倉岳)




◆上田綺世は「キャプテン翼」みたいな点取り屋だった…恩師らが語る挑戦と挫折の成長物語(読売新聞)





Ads by Google

日刊鹿島

過去の記事