日刊鹿島アントラーズニュース

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2023年11月1日水曜日

◆愛弟子・柳沢の深夜密会騒動に…暴君トルシエ監督が吐息交じりの本音告白(東スポWeb)



柳沢敦


【多事蹴論(77)】「独裁者」と呼ばれた日本代表監督がエースの不祥事に語った意外な本音とは――。2002年日韓W杯の開催を前に日本サッカー界が空前の盛り上がりを見せていた1999年6月、シドニー五輪アジア1次予選を戦っていたU―22日本代表のエースFW柳沢敦がネパールとの試合後にチームに無断で外出し、交際していたモデルでタレントの梨花と深夜の午前2時まで密会していたことを写真週刊誌が報じた。

 この事実が発覚すると、日本サッカー協会は対応に大わらわ。大仁邦弥技術委員長が柳沢に事情聴取し、本人も事実を認めたという。同委員長は「試合の当日は次の試合に向けて休養、体力の回復に努めるのが義務」と説明し、規律違反に該当すると断罪。「過去に記憶にはない」という異例の行動とあって大事な五輪予選期間中ながらも柳沢をU―22代表から追放することを発表した。

 柳沢は世間から激しいバッシングを受け、U―22代表を管轄する日本サッカー協会や所属する鹿島にもファンから怒りの声が殺到したという。また、鹿島関係者によると、柳沢の父・昭行氏も息子の行動に激怒。クラブに連絡を入れ、息子の不祥事を謝罪するとともに「息子をトレーニー(練習生)に降格してください。給料はいりません」と厳罰を求めたという。

 そんな柳沢は五輪予選を戦った後には、南米選手権を戦うA代表に合流する予定だったが、こちらもキャンセル。ただ五輪とA代表の兼任指揮官でU―22代表を山本昌邦コーチに任せていたフィリップ・トルシエ監督はまな弟子のスキャンダルに複雑な表情だった。滞在中のパラグアイで会見し「日本代表には規律がある。それを尊重しなかったのでチーム(U―22代表&A代表)から外した」とし「柳沢を(A代表に)呼んだら美形の多い国(パラグアイ)なので大変だった」と冗談を交えて説明した。

 ただ、会見中には何度も首を振りながらため息をつくなど、やるせなさを感じさせた。その会見後、本紙記者がトルシエ監督を直撃。今回の件をどう思っているのかを聞くと「柳沢は本当に無断外出したのか。本当にお酒を飲んでいたのか。しかも代表の服を着て…。私には信じられないんだ」とし「彼は真面目だし、悪い人に狙われたとか、悪いマスコミに狙われたとか、汚いことにハメられたのかもしれない。女性もマスコミが用意したんじゃないのか」と本音をぶちまけた。

 指揮官は規律違反した柳沢に対して憤慨するというよりも、エースがトラブルに巻き込まれた可能性を懸念していた。トルシエ監督は「日本のトップFW」と高評価し、02年W杯に向けて期待を寄せていたストライカーだけに、この件をキッカケに低迷しかねないことを不安視した面もあるだろうが、普段は選手たちを罵倒、酷評するなど「暴君」とまで呼ばれた指揮官が見せた意外な一面だった。 (敬称略)





◆愛弟子・柳沢の深夜密会騒動に…暴君トルシエ監督が吐息交じりの本音告白(東スポWeb)

【参考】2018/06/14


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