日刊鹿島アントラーズニュース
Ads by Google
2016年8月19日金曜日
◆増田誓志が感じた恐怖心。融合と反発の4年間で見た韓国サッカーの良し悪し【Kリーグの日本人】(フットボールチャンネル)
http://www.footballchannel.jp/2016/07/23/post165313/
アジアチャンピオンズリーグ(ACL)でKリーグとの対戦が増える中、Kリーグに興味を持つ日本のファンも少なからずいるのであろう。かつて日の丸を背負っていた高原直泰、戸田和幸、前園真聖などビックネームもKリーグを経験しているが、その絶対数は数少ない。今季スタート時点でKリーグに登録している日本人は4人。近くて遠い国とも言われる韓国でのプレーを決意した日本人たちは今、どのようなサッカー人生を送っているのか。(文:キム・ドンヒョン【城南】)
韓国サッカーを下支えしてきた現代
7月上旬、韓国南部は梅雨の影響に入っているとの天気予報だったが、全くその気配はない。晴天が続き、ドライブ日和が広げられた。木浦(モクポ)から南部海岸沿いの高速道路を走り、内陸まで気持ちよく突っ走った。目的地は蔚山(ウルサン)。
ソウルから木浦まで韓国半島を縦断するのであれば、木浦から蔚山は韓国南部を完全に横切るような形である。距離もおよそ400kmとあまり変わらない。本来の計画ならば蔚山の近くにある韓国の第2都市、釜山(プサン)に寄って釜山アイパークでプレーする渡邉大剛に会う予定だった。
しかし前日、なんと渡邉大剛選手がカマタマーレ讃岐へと電撃移籍。釜山の広報担当から夏場に移籍するかもしれないとその噂は聞いていたものの、思わぬ形の移籍で予定変更を余儀なくされた。
一日早く着いた蔚山は韓国の広域市の1つで人口120万人と韓国7位の大都市。韓国の大企業、現代(ヒュンダイ)が造船や自動車など重工業団地を大規模に造成し、韓国経済の基盤となっている。
面白いことに蔚山をホームタウンとする2つのスポーツクラブ (サッカー、バスケットボール)ともに現代が出資している(現代は韓国サッカーの発展に大いに貢献している。2000年以来、韓国サッカー協会の会長はすべて現代出身。プロサッカークラブは系列を含めば3つ、実業サッカークラブを含むと全4クラブを保有する)。
ここまで書くとわかる人もいるのだろう。この蔚山にはアジアの舞台でおなじみのビッククラブ、蔚山現代がある。そしてこのクラブには現在韓国でプレーする日本人選手の中でもっとも在籍歴が長い増田誓志が属している。
鹿島アントラーズでデビューし、モンテディオ山形にレンタル移籍した1年を除くとずっとワンクラブで活躍した彼は、その甘い顔や繊細なパスの裏腹に日本人離れしたタフなプレーでたくさんのファンを魅了した。そんな彼はもはや蔚山で在籍して4年目を迎え、確固たるレギュラーとして名を刻んでいる。
「だめになる」増田が感じた“怖さ”
「ここって茨城と似ていますね。重工業団地で、海沿いで。最初来たときから思っていました」
増田は蔚山のイメージについてこう言い出した。筆者も蔚山は初めてということもあったが、確かに茨城とはその雰囲気が似ていた。海が近くて、重工業団地。それに両方ともビッククラブを有することさえも。
高校卒業直後の2004年鹿島でデビューしてから、2010年出番を求めて山形に移籍した1年を除くと8年間という長い時間を鹿島で送った。ある意味、蔚山への移籍は彼にとって真の「初移籍」だったのである。なぜ彼は韓国を選んだのか。「怖さもあった」と思わぬ一言を口にした。
「アントラーズにいて、ここにずっといれば変わることがないのではないかと思った。そのとき、蔚山からオファーがあったというか、『来るのであればオファーする』というような感じで話が進んだ。
山形に行く時とはちょっと違って、移籍すれば試合に出られるという自信はあったけど……(少し考えて)変えたかったというか、変えなければもうだめになってしまうのではないかという怖さがあった」
意外な言葉だった。Jリーグ通算200試合出場をも達成しているボランチは一体何が怖かったのか。
「このままでは続けられなくというか、サッカー選手と言えなくなるという感覚。鹿島の最終年にあまりよくなかった。自分的にもチームに全く貢献できなくて、(監督から)言われることはできていたんだけど、自分らしさも出せずに自信を失っていた。
鹿島というクラブの環境はすごくいいのでいられることはできたと思う。でも『そこで終わってしまうのではないか、これじゃだめだな』とマイナスに考えていた。もし鹿島に残っていたら全く変わらなかったと思う」
加入後すぐ活躍も監督交代で冷遇。本意ではなかった移籍
結果的に移籍は大成功だった。増田は加入直後からタフなプレーや独特のパスワーク、正確なキックなど、自分の持ち味を思う存分活かし、蔚山やKリーグのファンから支持を得た。蔚山の広報担当は「実力も、ファンへの態度ももはやチームで3本の指に入るほどの人気者になった」と誇らしげに耳打ちした。
「(最初に来た時の監督だったキム・ホゴン監督の戦術には)はめてもらえた感じが強かった。蔚山に来る前にビデオを2、3試合見ていたら、ボランチの仕事が結構拾い屋であったり、守備での運動量が大事な感じがしてまずそこかなと。あと、監督は『つなぐこと』も1つのテーマにしていたのでそこに注力した」
もちろん順風満帆だったわけではない。途中、当時指揮を執っていたジョ・ミングク監督とは意見の食い違いが生じ、大宮アルディージャへ突如レンタル移籍した。
「大宮に移籍したのは自分の意思ではなかった。当時の監督と合わず、試合に出られていなかった。そのときちょうど大宮が話をかけてくれたが、個人的には試合に出られなくてもここで勝負したい気持ちがあった。
そのうえ、時期的に急に決めなければならなくて一旦断ったが、監督から『呼んでくれるクラブがあるならそこで試合に出たほうが幸せなのではないか』と言われ、結構急だったけれども大宮に移籍することになった。
(結構プッシュされたのかな?)そういう感じだった。だから正直『また蔚山に帰ることはないだろう』と思っていたけど、戻ってきた(笑) 」
増田が離れた2014年、蔚山の成績はそれまでがまるでうそのように急降下した。そして増田の復帰とともに大きな変革が行われる。
増田の復帰。名将・ユン監督のもと復活
その変革とは15年の春にやってきた。14年8月まで鳥栖の指揮を執り、途中までリーグ1位という大進撃に導いたユン・ジョンファン氏が蔚山の新監督に就任したのだ。ユン監督率いる蔚山は、韓国代表の長身FWキム・シヌクがライバル全北現代に移籍しながらも、今季リーグ3位・FAカップベスト4進出(7月18日現在)という好成績を挙げている。増田もユン監督の指導に満足している。
「ユン・ジョンファン監督は自分が経験した今までの監督の中で最も選手との距離が近い。自分だけじゃなくてすべての選手にそうで、細かいことから気づいたことをすぐに伝えてくれる。
プレーの小さい癖や悪い癖も指導してくれる。戦術も今のメンバーの能力を考えると合っているし、非常にいい。完全なパスサッカーではなくて割り切るところは割り切っていて、ちょうどいいと思う」
ユン監督も増田を重宝している。増田は今季チームトップタイ(4人)の19試合に出場しており、欠場したのはたったの1試合。確固たるレギュラーの座をつかみ取っている。増田は「蔚山じゃなかったらここにいないと思う。日本人の考えを一番尊重してくれるクラブではないか」と語る。
実際、蔚山には家長昭博(大宮アルディージャ)が活躍したことや日本のクラブと選手の移籍が活発に行われたクラブということもあってかなり“日本”へのイメージがいいクラブである。元柏レイソルや横浜・Fマリノスで活躍したユ・サンチョルもデビューや引退は蔚山である。
充実するクラブハウス。高級ホテルのような環境
いくら受け入れのいい環境とはいえ、4年の時間はただのものではない。その間、体感したものも決して少なくない。特にKリーグとJリーグのプレースタイルは長い期間、経験を蓄積しないとわからない。4年目を迎えた増田は「前進する意識」を一番の違いと挙げた。
「前に行くことを重視しているのは韓国。攻めに関して『詰まっているな』と思われるところでもパスかドリブルで縦に行く意識がある。その分、ボールを失うところも多い。逆に日本だと取られないことを重視している。同じ状況であれば、Jリーグのチームはサイドチェンジしたり、ポゼションを高めたりする。そういうところにかなり違いがある」
プレースタイル以外でも驚いたことがある。
「韓国に来て一番いいのはこのクラブハウス。特にグラウンドのすぐ横に寮と食堂があるのはすごい。トレーニングが終わって自由時間の時、部屋で寝たりすることもできる。こういうシステムはすごくいい。鹿島でもこういうのはなかった。基本的に日本ではクラブハウスに泊まることがないから」
現在、蔚山が使っているクラブハウスは2002年日韓W杯の際にスペイン代表が使っていた施設。親会社の現代が建設しただけあって韓国では指折りの設備を誇る。実際、筆者が訪問していた際にも現代の年代別ユースチームを含む7チームが同時にクラブハウスで生活していたが、グラウンドはもちろん食堂もきちんと整理されており、広々としたロビーや施設は高級ホテルを彷彿とさせた。
もちろんすべてのチームが高級施設を完備しているわけではない。和田倫季が在籍する光州FCはホームグラウンドと練習場が車で1時間も離れている。増田も「和田ともちょっと話したけど、もしあそこでプレーとなったら行かないかもしれない。和田はまだ若いからいい経験になるはず」と笑った。
大雑把な韓国。正確な練習スケジュールが出ない
それにしても韓国を訪れる日本人選手は絶対的に少ないのはなぜだろうか。日本でプレーする韓国人選手の数が50人にも及ぶことを考えると、比べ物にならない。増田は「鹿島時代のチームメートと話はしているけれども韓国に来るという選手はなかった」とほのめかした。その理由を聞くと少し間を置き、こう答えた。
「よくわからないが、韓国は(日本のチームに比べて)規律的にもう少し複雑だと思う。軍隊的な文化というか。トレーニングの量とかの問題ではなく。総量はむしろ鹿島のほうが多かった。
例えば、監督やフロントの指示にきっちりと合わせるなど厳格な面がある。また、韓国に来てトレーニングの正確なスケジュールが出ないことに驚いた。大雑把にわかるけれども……ユン監督が赴任した当初はスケジュールが決まっていて『ついに変わるのか』と思っていたが、コーチと選手たちが『不便だから変えてほしい』と申し出て、元に戻ってしまった(笑)。
日本はそういう意味では(急な練習が入る)韓国よりフリーだし、こういうことを我慢してまで(韓国には)来ないと思う。日本でも、ほかの国でも自由なところはもっとあるから。
逆に韓国人選手が日本にたくさん行くのも規律面でもっと自由になるからじゃないかな。(自分には合っていると思う?)いや、変えてほしいところはいっぱいある(笑)。でもそう簡単に変わらないこともわかっている」
「蔚山を優勝させたい」。タイトルへの熱い気持ち
増田は今や蔚山で重役を担っている。蔚山も今年がユン監督の最後の年でもあり、タイトル争奪をかけている。増田は「契約は今年まで。日本からオファーがあればもちろん考える。その時の気持ちとか、状況とかも考える」と言いながらもタイトル獲得の意気込みも同時に語った。
「鹿島には負けていても勝ち越せるというか、とにかく勝者のメンタリティーがあった。日本の中でも特殊なチームだと思う。蔚山と鹿島の一番の差は、“ここぞ”というところの勝負強さ。
蔚山は最初に来た年もそうだったが、優勝間際でこけてしまうことが多々あった。(ロビーに飾ってあるトロフィーを指さしながら)あそこにあるトロフィーは少し前のもので、ここ数年優勝できていないのもその証だと思う。だから今年は優勝したい。いや、優勝させたい」
彼がこう語るもう1つの理由はA代表だ。2012年、アイスランド戦に出場してから代表からは離れているが、まだ代表への夢を捨てているわけではない。ある意味、増田のようなタフな選手が現在の日本代表に最も当てはまる選手かもしれない。ヴァイッド・ハリルホジッチ監督は日本代表の闘争心について熱弁したこともあった。増田も率直に代表への思いを語った。
「正直、代表を考えていないわけではない。代表にいる選手のレベルはもちろん高く、そこに入れるかどうかはもちろんわからないし、自分の能力がまだまだ足りていないことも知っている。
しかし今の代表監督はより闘争心のある選手を求めているのかなと。だからそういうところから見ると(代表先発に)『少し近づいたのかな』とも思う。だからこそもっと蔚山で頑張って、結果を残したい。蔚山を優勝させたい」
彼は最後まで何度も「蔚山を優勝させたい」と口癖のようにいった。結果へのこだわり、そして意気込みは彼がどれだけこのチームに溶け込んでいるのかを証明している。サッカーではどんなことでも起こりうる。
韓国に来て4年目を迎えたボランチ、そしてチームは順調にその気持ちをピッチで発揮している。彼の意地にどういう結末が待っているだろうか。日本のファンのみなさんも注目してほしい。
(文:キム・ドンヒョン【城南】)
【了】
Ads by Google
日刊鹿島
過去の記事
- ► 2024 (1043)
- ► 2023 (1261)
- ► 2022 (1152)
- ► 2021 (1136)
- ► 2020 (1404)
- ► 2019 (2168)
- ► 2018 (2557)
- ► 2017 (2892)
- ▼ 2016 (2193)
- ► 2015 (1859)
- ► 2014 (2464)