日刊鹿島アントラーズニュース

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2017年1月7日土曜日

◆笑わない男・小笠原満男が笑った日。 現チームの礎を作ったあのタイトル。(Number)


シーズン終盤に鹿島が得た経験は、他のJクラブが体験したことのないものだった。それはどんな財産になるのだろうか。

 2017年、天皇杯決勝戦。鹿島アントラーズが延長前半4分の勝ち越し弾を守り、クラブ5度目となる天皇杯優勝を遂げた。これで、鹿島が手にしたタイトルの数は19個となった。

 初のタイトル獲得に期待が集まった川崎フロンターレだったが、2016年11月23日のJリーグチャンピオンシップに続き、鹿島にそれを阻まれた。

 チャンピオンシップ敗退から1カ月後の12月24日、天皇杯準々決勝でFC東京をやぶり、「良いときのフロンターレが戻ってきた」と大久保嘉人が絶賛するほど、川崎は調子をあげていた。負傷離脱だった小林悠や大島も復帰している。

 一方の鹿島は、チャンピオンシップ決勝戦で浦和を下し、Jリーグ王者に輝いた。その後はクラブワールドカップに出場。劣勢であっても苦しい時間をしのぎ、得点を奪い、試合を終わらせるという、鹿島スタイルが世界舞台でも通用することを示した。決勝戦ではレアル・マドリー相手に延長戦へ持ち込み、最後は2得点を許し4-2と敗れたものの、世界を驚かせる躍進を見せた。

小笠原の「キレるパフォーマンス」の効果は?

 休む間もなく、天皇杯準々決勝でサンフレッチェ広島、準決勝で横浜F・マリノスを抑えて、約1カ月間で3度目の決勝の舞台に立つ。

「川崎は本当にうまかったし、なかなか僕らがリズムに乗れないところもあった。それでもクラブワールドカップから、最後のところで守りきるといういい経験が積めていたので、焦りはなかった。いつか必ず点は入るし、全員で戦えていたから、不安にもならなかった。

 前半を0-0で行ければ絶対に勝てるという自信があるし、前半に1点取れたら、もっと優位になる」

 鹿島の赤崎秀平がそう試合を振り返るように、序盤、試合のペースを握っていたのは川崎だった。

 18分、川崎のファールでプレーが止まる。川崎の中村憲剛が、鹿島サイドにけり返したボールが、ファールで倒された小笠原に直撃。立ち上がった小笠原が中村に詰め寄り、両チームの選手がエキサイトした。

「怒っていたわけじゃなくて、パフォーマンスのひとつで。そういう細かいところにこだわって、 流れを引き寄せるじゃないけど、闘うんだぞって(示したかった)。早いリスタートだとか、そういう駆け引きはこのチームで学んできた」と話す小笠原。

昌子・植田「レアル戦のようなことは繰り返さない」

 カッと熱くなった振る舞いをしながらも、彼は冷静だった。その直後、レフリーのジャッジに川崎の選手たちが不満をぶつけている最中、小笠原はボールボーイにボールを要求し、素早いリスタートを試みた。そのプレーは認められなかったが、この決勝戦に懸けるキャプテンの想いがチームメイトに響いた瞬間だったはずだ。

「満男さんは決勝になると凄みが増すんですよ」と赤崎も話していた。

 そして一進一退の攻防のなかで、42分に山本脩斗が鹿島に先制点をもたらした。が、ハーフタイムを挟んだ54分、川崎の小林が同点弾を決め、さらに攻勢を強めた。しかし、曽ヶ端準を中心とした鹿島のDFラインは硬く、逆転することが出来なかった。

 1-1で迎えた延長戦。鹿島の昌子源と植田直通のCBコンビは「レアル戦のようなことは繰り返さない。俺たちが守れば勝てる」と確認し合っていた。94分に勝ち越し弾を決めた鹿島は、川崎の攻撃を跳ね返し続け、試合の終了の笛が鳴るまで戦った。

「満男さんやソガさんは、疲れていようと、どんな痛みがあっても練習に参加して、その態度や背中でいつも示してくれる。最後の最後でチームの差として、それが出たように思う」と赤崎。小笠原の一言がチームをひとつにまとめたとも語った。

小笠原が試合前の円陣でチームに話したこと。

 天皇杯決勝戦の舞台に立った赤崎は、チャンピオンシップでは3試合すべてベンチスタートだったが、クラブワールドカップでは初戦で途中出場からゴールを決め、その後2試合で先発した。

「円陣を組んだとき、満男さんは『11人だけじゃなくて、それ以外のメンバーやベンチ外のメンバーがしっかりやってくれるから、あそこまで行けたし、今回もここまで来れた』と言ってくれた。あの一言で、試合に絡んでないメンバーも救われた部分がある。(天皇杯決勝の)今日もチーム全員で戦えた。このいい雰囲気の中で、年末を乗り切れた部分はあるので、そういうところはこれからも引き継いでいかなくちゃいけない」

 天皇杯を受け取った小笠原は写真撮影のとき、そばにいた石井監督を呼び寄せ、カップを渡した。集合写真の中央で、後ろの選手たちに配慮したのか、少し遠慮気味な姿勢で石井監督がカップを掲げる。なんとも微笑ましい光景が、激闘の1カ月間を締めくくった。

ほとんど笑顔を見せずに「嬉しいですね」。

 取材エリアに現れた小笠原はほとんど笑みを見せることがなかった。

「シーズン最後にタイトルをとれたのは、嬉しいですね。まあこれを続けていくことが、もっともっと大事になってくると思う。ただこの経験というものは絶対に財産になるから、これを途切らせないように、さらに強いチームになっていきたい。

 内容をみれば、今日もやられてもおかしくない、ピンチがあった。もっと高いレベルになると決められてしまうわけで。そういうところは、しっかりと見ていかないと勝ってはいけない。失点しなかったからよかったじゃなくて。もっと強いチームになっていかなくちゃいけないから」

ACLも含めた週2試合を「当たり前」にする。

 鹿島は年末からの約1カ月で、10試合を消化した。試合を重ねるごとに盤石な安定感を見せつけたかに見えるが、小笠原は満足してはいなかった。それでも3回の決勝戦で2つのタイトルを獲得。鹿島の“強さ”を改めて印象づけた。

「それがこのチームだし、日程的なもの、いろんなものを含めた中でも勝ち切ったというのは絶対にいい経験になる。自分もタイトルをとって成長してきたけど、今いる選手ももっともっと成長して、そういう伝統を繋いでいければいい。

 大事なのは本当にこれからだから。来シーズン勝てなかったら、意味がない。勝って勝ち続ける。今年はACLがあるし、1ステージ制。だから取り返しがつかない。安定した力が必要になる。

 ACLがあれば、週2試合というのが続く。それが過密日程じゃなく、当たり前の日程だと考えるようにしていきたい。そのなかで勝っていかなくちゃいけないし、戦っていかなくちゃいけないから。そういうときの勝ち方というのを覚えていかなくちゃいけない。タフにならなくちゃ、勝ちぬけない」

 2つのタイトルを手にし、世界大会準優勝。しかし、小笠原からは満足感も達成感も漂ってこない。

小笠原が満面の笑みを見せたタイトルは……。

「1年を通じて安定した戦いをして、勝ち点を積み重ねたのは浦和レッズです。敬意を表したい」

 12月20日に行われたJリーグアウォーズで小笠原はそうスピーチしている。

 ファーストステージで優勝したものの、セカンドステージでは失速。その悔しさは彼の心のなかに深く刻まれているのだろう。だからこそ、「もっと強く」と願うのだ。

 そして彼自身も、90分間フル出場する試合が少なくなった。そんな自分にも、小笠原は奮起を促す。

「自分としても最後までピッチに立てるように、もっともっと勝利に貢献出来るようにそこを目指していきたい」

 彼が満面の笑みでタイトル獲得を喜んだのは、2015年のナビスコカップのときだった。

 世代交代が進み、新しい鹿島アントラーズにとって「タイトル獲得」の重要性を痛感していたのが小笠原自身だった。だからこそ、ガンバ大阪を下したその決勝戦後は、わずかな安堵感を漂わせているように見えた。

「ここから始められる」という手ごたえがあったのかもしれない。そして、「ナビスコカップを獲ったことがひとつの自信になった」と昌子も話している。

勝利を逃がした時の苦さを、鹿島は決して忘れない。

 鹿島の凄みは、Jリーグ発足から20年あまり、常に勝ち続けていることだ。もちろん、タイトルから遠ざかる時期もあったし、成績が低迷することもある。しかし、再び、その座に返り咲く。若く頼りなさそうに見えた選手が、気がつけば主軸として戦う鹿島の“戦力”になっている。

 ジーコがもたらした哲学を、クラブは大切に守ってきた。そして、クラブの長い歴史を橋渡ししているのが、小笠原満男や曽ヶ端準の1998年加入組の選手だろう。もちろん、コーチとして加入した柳沢敦や羽田憲司など、レジェンドたちの存在も大きい。

 そして、彼らは継続の難しさも身をもって知っている。小笠原が何度も「これからが大事」と繰り返した意味がそこにあるような気がする。

 一度味わった勝利の美酒が、再びそれを求めるモチベーションになる。そういうサイクルのなかで、鹿島の伝統は築かれてきた。

 なぜ勝てるのか? それは、美酒と同じように、勝利を逃したときの苦さを知っているからだ。そして彼らはそれを忘れない。

 わずかな違いが勝者と敗者を分ける。

 だからこそ、細部にまで至るこだわりは試合だけにとどまらず、練習から始まっている。

 それらを当然のように繰り返し、積み重ねているから、鹿島アントラーズは進化を続けるのだ。

http://number.bunshun.jp/articles/-/827210

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