日刊鹿島アントラーズニュース

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2017年7月29日土曜日

◆鹿島全員で勝利を!姉さんスタッフ還暦退職に花添え(ニッカン)




 J1鹿島アントラーズMF小笠原満男(38)が「お母さんじゃ失礼、お姉さん」と慕うチームスタッフがいる。

 Jリーグ開幕前の93年1月からファンクラブやチケット担当としてチームを支え続けてきた道免(どうめん)弘子さん(60)。今月12日に還暦を迎え、今月末で退職する。28日、茨城・鹿嶋市内で甲府戦(29日、カシマ)に向けた練習が行われた。練習後、小笠原は「ああいう人も含めてのファミリーだし、俺らが頑張れる功労者。感謝しないと。最後まで働いてもらいます」と話し、試合当日はチケットブースで職務に就く“姉”に親しみを込めた。

 MF遠藤康(29)も「選手のわがままも聞いてくれる人だった。毎日、顔を見ると安心する存在。寂しいけれど、最後の試合で勝ち試合を見せて送り出したい」と勝利を誓った。選手が家族や友人をスタジアムに招待するチケットの手配も携わる。時には急なお願いもあるが、嫌な顔せずに対応してくれた。大岩剛監督(45)にとっても選手時代からお世話になった間柄。「鹿島の伝統を伝えてきてくれた1人。選手も感謝の気持ちを持てているから、Jリーグの中でもタイトル数を含めてビッグクラブになったと思う。そういう人たちを含めて、勝つんだという気持ちでやるのがアントラーズ」と思いを明かした。

 道免さんは「最初はサッカーのことは何も知らなくて…。ジーコさんのことも知らなかった」と笑う。ファンクラブ担当として、J開幕当初は入会希望者から電話を受け、宛名を書いて申し込み用紙を送付する日々が続いた。プラチナチケットを求めて、クラブハウス前に徹夜して並ぶファンにも驚いた。02年W杯日韓大会に備えてカシマスタジアムの収容人数が大幅に増えたことも思い出の1つ。「スタジアムが大きくなったことが一番の転機でした。あの時は完成まで国立開催でしたし、完成してからもチケットを販売することが大変でした。天皇杯も大変。準決勝、決勝は2日間くらいしか間がないので」と懐かしむ。

 試合当日はチケットブースで仕事をし、試合はブース内のモニターで観戦することがほとんどだった。アウェー戦などスタンドで観戦時には「前の席を蹴っちゃうほどなんです」と苦笑いするほど、今では一緒に戦う。熱くなる。国内19冠のすべてに立ち会い「毎回違う19回の優勝を味わってこられた。選手は入ってきた時から見ているので、子どもみたいな感覚。いろいろなことを見せてくれて幸せだなと感じました」と振り返った。

 一番の思い出の場面は、08年元日の天皇杯決勝。FW柳沢敦(現鹿島コーチ)の鹿島ラストマッチを挙げた。「国立でピッチを去る時に、スタンドがすごい雰囲気だった。スパイクをスタンドに投げたり。感動的だった」。鹿島から移籍した選手や、OBらも必ず道免さんのもとを訪ねるなど、実家の母のような存在だった。

 今後は自身の趣味に興じながら、鹿島を応援する。「旅行に行ったり、家庭菜園をやったり、フラワーアレンジメントをしたり。自分の人生を見つめ直したいと思います」。もちろん、カシマスタジアムのスタンドから選手らを見守るつもりだ。「90分間、座って見ていられるか分からない。ドキドキしちゃって。PK戦だけは、かわいそうで見ていられない。1度も見ていません」。もう1つ夢もある。「まだ孫はいないんですけれど、孫を連れて、一緒にサッカー観戦したいです」と願った。

 29日の甲府戦は「イベントブースの手伝いを最後までやるつもりです。最後も部屋のテレビ(モニター)で見ます。試合中もチケットの精算などもあるので」。鹿島ファミリー全員で、勝ち点3をつかみ取る。【鎌田直秀】

鹿島全員で勝利を!姉さんスタッフ還暦退職に花添え


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