日刊鹿島アントラーズニュース

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2017年9月24日日曜日

◆明かされた“金崎事件”の真相。解任の理由はACL敗退以外にも【石井正忠×岩政大樹#3】(サッカーダイジェスト)


「私が気にしないで普通にしておけば、ロッカーのなかで解決できた話でした」


 鹿島OB対談の第3回は、2016年8月に起きた"金崎事件"の真相や、2017年の監督解任の"理由"に話が及んだ。

岩政 金崎選手の事件についても、だいぶ時間が経ったので、そろそろ触れてもいいかなと思うんですが?
 
石井 全然、大丈夫ですよ。
 
岩政 私は見ていて「よく石井さんは、あそこでキレ返さないな」と思ったんです。
 
石井 いや、あの時は反応してしまったんですよ。
 
岩政 え? あれでも、ですか?
 
石井 夢生が何か言っているけど、私が気にしないで普通にしておけば、ロッカーのなかで解決できた話でした。世間的にも「夢生が監督に怒りを表している」というだけで終わったと思います。夢生の気持ちは、私も選手だったので理解できます。私は態度に表しませんけどね(笑)。岩政さんも分かるでしょ?
 
岩政 そうですね(笑)。気持ち自体はみんな持っていますから。
 
石井 あれをストレートにあの場で表してしまうか、秘めておくかどうか。もちろん、あの後に夢生と話をして「気持ちは分かるが、ああいう態度は良くない。それを出す場所とタイミングを考えなければいけないよ」と伝えました。
 
岩政 そう思ったんですね。見ている側としては、石井さんが反応しているようには見えませんでした。
 ただ、金崎選手の事件があったからというわけではないんですが、なんとなく外から見ていると、2016年の途中で、チームの歯車がちょっとズレ始めているようには感じていました。
 
石井 私は選手が何かを発した時に、まずは受け入れて「やってみよう」という方針でした。もし、やってみてダメだった時に、選手自身が気付けば問題ないというスタンスです。ですが、選手の間でも私に対していろんな意見があったので、それが選手のなかでまとまらなかった時に、私がもっとハッキリの方向性を示せばよかったと反省しています。
 
岩政 選手の意見が割れているのに、そのどちらも尊重してしまう場面があったと?
 
石井 そうですね。そこは自分の経験不足が出たと、正直に認めなくてはいけない部分です。
 
岩政 それを踏まえて2017年に締め直そうとしたわけですが、具体的には何を変えましたか?

クラブには、振れ幅を「修正できていない」と判断されたと思う。



石井 自分の考えをはっきり示す場面を増やしました。今年は選手構成が大幅に変わり、その課題もありました。言い訳になりますが、準備期間も少なかったので、少し難しかったですね。

岩政 でも、結果は出ていましたよね。鹿島のリズムに新しい選手を合わせながら、上手くチームをコントロールしているなと思って見ていました。

石井 私も悪くないなと思っていました。しかし、今年はACLを獲らなければいけない年。2016年のクラブワールドカップは開催国として出場しましたが、今年はアジアの代表として出るという大きな目標がありました。それが果たせなかったので、クラブを去らなければいけないのは、納得はしていませんが、理解はできます。
 加えて、先ほど言ったチームの振れ幅の問題ですね。「修正できていない」と判断されたと思うので、受け入れるしかないと。

岩政 実際にここで終わりだと解任を伝えられるのは、呼ばれるまでまったく何もないんですか?

石井 ちょっと雰囲気は感じていましたが、その日までは具体的に何もなかったですね。

岩政 石井さんは、選手としてゼロ円提示を受けた経験がありますか?

石井 アビスパで引退した時にあります。あれはショックでした。本当に翌年の年俸がゼロと書かれた紙を見た時は……。

岩政 それとはまた違う感覚でした?

石井 違いました。

岩政 「監督になった瞬間にクビになる運命だ」といった格言がありますが、そうした感覚で仕事をされていたんですか?

石井 そうですね。セレーゾからバトンを受け継いだ時に、覚悟はできていました。

岩政 実際に監督をやられてどうですか? 楽しさと苦しさの両方があると思います。私はセレーゾに「監督は辞めておいたほうがいい」と話をされていました。

石井 楽しいことのほうが多かったですね。タイトルを獲れたのは、やっぱり大きい。だからこそ、今後も監督を続けたいという想いが沸いてきます。

<<第4回『鹿島はなぜ”常勝”でいられるのか?』は22日17時公開予定>>

【プロフィール】
石井正忠(いしい・まさただ)/1967年2月1日、千葉県出身。91年に住友金属(現・鹿島)に移籍加入し、97年まで在籍。98年に福岡に移籍し、そのまま現役を引退した。99年からは指導者として鹿島に復帰。以降はコーチ、監督とステップアップし、17年5月末に解任という形でクラブを去った。鹿島在籍期間は、現役時代を含めてのべ26年。まさに常勝軍団を知り尽くした男だ。

岩政大樹(いわまさ・だいき)/1982年1月30日、山口県出身。J1通算290試合・35得点。J2通算82試合・10得点。日本代表8試合・0得点/鹿島で不動のCBとして活躍し、2007年からJ1リーグ3連覇を達成。日本代表にも選出され、2010年の南アフリカW杯メンバーに選出された。2014年にはタイのBECテロ・サーサナに新天地を求め、翌2015年にはJ2岡山入り。岡山では2016年のプレーオフ決勝に導いた。今季から在籍する東京ユナイテッドFCでは、選手兼コーチを務める。


明かされた“金崎事件”の真相。解任の理由はACL敗退以外にも【石井正忠×岩政大樹#3】

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