日刊鹿島アントラーズニュース

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2017年9月21日木曜日

◆【鹿島の深層|石井正忠×岩政大樹#2】舌を巻いたオリヴェイラの見極め。「優勝争いのポイント」を知っていた(サッカーダイジェスト)


オズワルドは、選手に本気度を伝え、モチベーションを高めるのが上手かった。


 鹿島OB対談の第2回は、J史上初の3連覇を達成した名将のチームマネジメントや、石井氏が監督を休養した2016年について踏み込んでいく。

岩政 将来的に監督もやってみたいなと思ったタイミングはいつでしたか?
 
石井 オズワルド(・オリヴェイラ)が来た2007年くらいから、「自分も監督としてやってみたい」と少しずつ思い始めました。
 
岩政 どういった姿を見て「監督をやりたい」と思ったのでしょう?
 
石井 オズワルドはコーチにも役割をしっかり与える監督だったので、私がチームに貢献できる部分が増えたんです。そこにやりがいを感じ、「こんな風に指揮を執ってみたいな」という気持ちが大きくなりました。
 
岩政 コーチにどこまで役割を任せるかは監督によって変わりますね。
 
石井 それまでの監督もいろんな仕事を与えてくれましたが、オズワルドの時は戦術面に関わる機会が一番多かったですね。
 
岩政 石井さんは多くの監督の下でコーチを務めてきました。監督が選手に見せる姿とコーチングスタッフに見せる姿は違うと思うのですが、そこで学んだこと、参考にされたエピソードはありますか?
 
石井 オズワルドは、監督の本気度を選手に伝えるのが上手だなと思いましたし、モチベーションを高めるのも上手かった。例えば、優勝争いのポイントになるゲームを見極めて、家族からの激励メッセージを用意したりする。後々考えると「ここがポイントだったな」と分かりますが、その試合を前もって予想しているのがすごかったですね。
 
岩政 確かに、そういうポイントの試合は、後になって振り返ると分かりますが、前もっては分かりませんよね。
 
石井 オズワルドからは、そういう面を学びました。(トニーニョ・)セレーゾから学んだのは、グラウンド上で監督が明るく振る舞う重要性です。セレーゾも負けた時はスタッフルームで落ち込むんですが、ピッチに出ると陽気にできる。そうすると選手も気持ちが切り替えやすくなるんです。
 
岩政 そうした様々な監督像を見ていて、自分はどういうタイプになろうと思いました?
 
石井 私は中学、高校とかなりスパルタで教育されてきました。指導者の顔色を見て自分を殺してプレーする時代だったので、指導者になったら選手が自主的に練習に取り組めるチームにしたいと思っていたんです。戦術面では、自分たちからボールを奪いに行く、アグレッシブなサッカーをしたいなと。鹿島は堅く守ってカウンターがベースでしたが、それをちょっと変えたいと思っていました。

監督に求められるのは、自主性と管理のバランス。



岩政 自主性を持たせるのは難しいですよね。私も指導を始めて直面している課題です。自主性の持たせ方は、日本サッカーとしても考える時期だと思うんですが、実際に石井さんが監督になった時は、どんな方法で取り組みました?

石井 練習の雰囲気があまり良くなかったので、そこを変えれば、選手が自分たちから「このチームを立て直していくんだ」という気持ちを持つようになると思っていました。方法としては、まずはあまり規制をせずに普通のゲームをやらせましたね。

岩政 なるほど。

石井 選手は監督交代に責任を感じて、より積極的に練習に取り組むようになったし、私もそれを後押しするような形を取りました。そのあたりが作用してナビスコカップ(現・ルヴァンカップ)を獲れたのではないかと思っています。

岩政 選手に任せる部分と管理する部分のバランスは、指導者として一番難しいと思います。反省点はありますか?

石井 あります。監督は、選手にある程度の自由度を持たせながらも、はみ出してはいけない枠を示さなくてはいけない。私はその枠の幅を広くし過ぎたかなと思っています。

岩政 セレーゾは枠にきっちりはめ込みましたが、石井さんは選手たちに自主性を持たせました。最初はその変更によってチームのバランスが整ったけど、徐々に自主性のほうに振れ過ぎてしまったということですよね。

石井 そうです。振れ幅のコントロールは難しいですね。

岩政 オリヴェイラの時も、同じような現象が起きましたね。1年前に指揮を執っていたパウロ(・アウトゥオリ)が相当厳しかったところに、オリヴェイラが自主性を持ち込んだ。選手たちに良い雰囲気が生まれて上手くいった部分がありました。そうした経験も参考になりましたか?

石井 なりました。オズワルドの時になぜ成功したかと言えば、前の年のパウロのきっちりした形が選手の身体に染みついていたから。そこに自主性を持ち込んだオズワルドのやり方がハマった。私の場合もセレーゾのきっちりした戦術のベースがあり、そこに自主性を加えたことで上手く行った部分がありました。
 ただ、16年はチームの振れ幅が自主性のほうに傾き過ぎました。17年できっちりした方向に戻そうとしたんですが、「上手くいかなかった」とクラブ判断されたのだと思います。

休養した2016年は「自分の経験不足が出たと思う」。



岩政 2016年に一度休養されましたが、あの頃はそのバランスで悩んでいたんですか?

石井 そうですね。自分の経験不足が出たと思います。あの時は自分だけでなにかしようとしていましたが、いろんな人に任せてもよかったのではないかと反省しています。

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』は21日17時公開予定>>

【プロフィール】
石井正忠(いしい・まさただ)/1967年2月1日、千葉県出身。91年に住友金属(現・鹿島)に移籍加入し、97年まで在籍。98年に福岡に移籍し、そのまま現役を引退した。99年からは指導者として鹿島に復帰。以降はコーチ、監督とステップアップし、17年5月末に解任という形でクラブを去った。鹿島在籍期間は、現役時代を含めてのべ26年。まさに常勝軍団を知り尽くした男だ。

岩政大樹(いわまさ・だいき)/1982年1月30日、山口県出身。J1通算290試合・35得点。J2通算82試合・10得点。日本代表8試合・0得点/鹿島で不動のCBとして活躍し、2007年からJ1リーグ3連覇を達成。日本代表にも選出され、2010年の南アフリカW杯メンバーに選出された。2014年にはタイのBECテロ・サーサナに新天地を求め、翌2015年にはJ2岡山入り。岡山では2016年のプレーオフ決勝に導いた。今季から在籍する東京ユナイテッドFCでは、選手兼コーチを務める。


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