◆◆想定外の人体解剖学 / 坂井建雄/著 / エイ出版社
先日行われたキリンチャレンジカップ、日本代表vs.ボリビア代表の一戦。
会場となったノエビアスタジアム神戸のミックスゾーンでの出来事だった。筆者はこの試合には出場しなかった昌子源を呼び止め、話を聞いた。
「とりあえず僕は森保ジャパン初選出なので、まずは監督の考え方や求めていること、そしてチームを知ることを意識しました。今回で森保さんの戦術は凄くよく分かりましたし、森保さんと話す機会も多かった。何を求められているのかも自分の中でははっきりと分かったつもりです。
森保さんは『選手同士でコミュニケーションを取れ』というタイプ。自分はW杯も経験させてもらっている立場なので、しっかりとリーダーシップをとっていければと思っていました。
それに(安西)幸輝もそうですし、(畠中)槙之輔、(橋本)拳人とか、下の年代は(代表活動が)初めての選手が多かった。先輩たちがたくさん声をかけてくれたように、自分がサポートすることを意識しました。立場は変わったなと感じましたね」
逞しくなった昌子、よみがえる9年前の姿。
鹿島アントラーズでDFリーダーとなり、ロシアW杯をCBの主軸として経験。ACL初優勝後にフランス1部リーグのトゥールーズに移籍を果たし、海外組として堂々たるプレーを見せる昌子の言葉には重みがあった。何より、そこには日本代表の主軸としての自信と自覚があった。
逞しい言葉を聞いているうちに、筆者の心に懐かしい風景が蘇ってきた――。
それは今からちょうど9年前の2010年3月のこと。布啓一郎(現・ザスパクサツ群馬監督)監督率いるU-19日本代表は、その年の秋に中国で開催されるAFC U-19選手権に向けて、神戸で強化合宿を行なっていた。このU-19日本代表候補に、前年のインターハイで米子北を準優勝に導いた昌子が初めて選ばれたのだった。
自身も驚きのU-19代表選出。
彼のキャリアにとって初の日本代表選出。
「最初、監督からU-19日本代表に選ばれたという話を聞いた時は、『嘘でしょ!?』と思いました。正直、場違いなんじゃないかなと……」
インターハイでの活躍により、知る人ぞ知る存在になっていたが、宇佐美貴史や杉本健勇、柴崎岳などのプラチナ世代と呼ばれる豪華なメンバーの中において、代表歴が皆無の昌子は無名の存在だった。そんな彼が抜擢されたことで、周りはおろか、本人自身が1番驚いていたのだった。
そして、いざ合宿が近づくと、筆者の電話が鳴った。昌子からだった。
「やっぱり俺なんかが合宿に行って大丈夫なんでしょうか? みんな絶対に自分より上手いと思うし、間違いなく俺が1番下手くそだと思う。本当に対等に出来るのでしょうか……」
昌子が持っていなかったもの。
心配そうな声で語る昌子に「絶対にやれる。実力で選ばれたのだから自信を持った方がいい」と励ましの言葉をかけた。
これは決して慰めではなく、昌子のCBとしてのポテンシャルは非常に高かった。対人の強さ、空中戦の強さ、強烈かつ正確なロングフィード。さらに彼が今後「絶対に伸びる」と確信できた理由は、パーソナリティーにあった。
「俺は一生懸命やるしかないんです。周りから見たら落ちこぼれの部類に入っているかもしれない。だからこそ、人と同じことをやっていてはダメなんです」
無名なら徹底して自分を磨くしかない。自分の現在地をはっきりと認識し、常に自分に厳しくサッカーに打ち込める。成長するためのメンタリティを持っていた。だが、如何せんそのベースとなる“自信”が足りていなかった。
今も忘れない苦い思い出。
筆者は「堂々と自分が持っているプレーをすれば良い」と送り出したが、この合宿において、彼はまったく自分を出せないまま終わってしまった。
合宿最終日にあったヴィッセル神戸との練習試合。その会場は、まだホームズスタジアム神戸という名称だったころのノエビアスタジアム神戸であった。当時を振り返ってみる。
4-4-2のCBとして出場した昌子だったが、立ち上がりから縮こまったプレーをしているように見えた。時折見せる空中戦やフィジカルコンタクトではプロ相手に張り合ってみせたものの、当時所属していたFW大久保嘉人の動きを捕まえられず、何度も振り切られるシーンが続いた。そのあとも細かいミスが目立ち、失点にも絡んだ。試合は0-1の敗戦。はっきり言うと、散々な出来だった。
試合後、学生服姿の昌子は落ち込んだ表情をしていた。宇佐美や酒井高徳などの主軸選手に記者が集まる中、誰にも呼び止められないまま、ミックスゾーンの出口付近に待っていた筆者の下まで歩いてきた。
「この経験を大事にします」
「今日の僕……正直、どうでした?」
筆者は正直に答えた。
「良くなかった。いつもの源ではなかった」
やっぱりかと言う表情を浮かべ、こう口を開いた。
「初めての代表なので、物凄く緊張しましたし、まったく自分を出せませんでした。普段なら対応できるとこに行けなかったり、思うように身体が動かなかった。悔しいというか、情けないです……」
しばらく彼と会話をした後、筆者は伝えた。
「最終的にはA代表に入ればいいんだよ」
すると、昌子は力強く返した。
「はい。この経験を大事にします」
最後は笑顔を見せて、扉の向こうにあるバスに乗り込んでいった。
チャレンジすることが1番大事。
9年後のボリビア戦の後、学生服姿の自信なげな表情だった少年が、今はロシアW杯戦士、そして日本代表の主軸として、代表ジャージを身に纏い、同じミックスゾーンで堂々たる受け答えをしている。
さらにこの試合に出場していた安西ら、後輩について話が及ぶと、彼はこう答えた。
「正直、最初はやや硬いなと思ったのですが、慣れるにつれて乾(貴士)くんへのパス、(中島)翔哉へのパスが多くなったと思う。細かいミスはあって当たり前やと思うし、やっぱりこういう舞台はチャレンジしないともったいない。後悔して欲しくないんです。『こうしておけばよかった』と思っても、もう1度呼んでもらえる保証もない場所なので。試合に出たらチャレンジをすることが1番大事。『次呼ばれるために、安パイなプレーをしよう』と考えるのはもったいないと思うんですよ」
この言葉を聞いた瞬間、9年前のことについて聞いてみたくなった。
「9年前、ここで話を聞いた時とは全然違うよね」
すると、昌子はと懐かしそうな表情を浮かべた。
「俺、あれから成長した?」
「U-19あったね。思い出した、思い出した、確かにここだったわ。あの時、自分のプレーにまったく納得できなかったし、そこから呼ばれなくなったことも覚えている。本当に苦い思い出ですよね。
なんか感慨深いですね。U-19ではあれが最初で最後やったわけで、それが神戸の地というのも、縁というか……。苦い経験として刻まれているし、安藤さんにいわれたことも覚えているもん。プレーが全然あかんかったこともよく覚えているし、嘉人さんにホンマに歯が立たんくて、ボロボロにやられたよね……。俺、あれから成長した?」
本心を伝えた。
「自分が言うのもおこがましいけど、物凄く、物凄く成長した」
笑顔を浮かべた昌子はこう続けた。
「代表というのは厳しい目はあるけど、どんどんチャレンジをして、ミスを恐れないでほしい。実際に、U-19の時の俺は、ビビって縮こまってしまっていた……。そういうことを考えると、今日は試合に出て、このスタジアムで『あの時とは違うぞ!』というところを見せつけたかった……。
今日ここにいた2万数千人の人が知らなくても、1人が分かってくれていて、その人に向けて『あ、成長したな』と思わせるということは、人間として難しいことやと思うんですよね。それが確認できただけでも、今日は凄く大きな価値はあると思う」
反骨心があったからこそ。
ノエビアスタジアム神戸でのプレーは見ることはできなかったが、9年前と同じ場所での言動、立ち振る舞いだけで、彼の過ごしてきた時間と、あのときの経験の価値は十分に分かった。
正直、筆者が予想していた姿より、人間的にも、プロサッカー選手としても遥かに上を進んでいる。苦い経験が人を変化させ、逞しく成長させる。その確信を得た瞬間でもあった。
最後に昌子はこんな言葉を残して、ミックスゾーンを後にした。
「俺のサッカー人生を振り返ると、そんなことばっかなんだよね。U-19もそうだし、オリンピック代表だって1回呼ばれただけ。A代表でもアギーレさんの時はずっと呼ばれていたけど、ハリルさんに呼ばれるまでに間が空いた。“キャップ1”まで3年くらい掛かった……。すべて反骨心でやってきた。だからこそ、それはこれからも変わらないと思う」