【ふるさと納税】KK-2 アントラーズバームクーヘンと金のメロンバームクーヘン
リバプール(イングランド)を2018−19シーズンUEFAチャンピオンズリーグ(CL)制覇へと導いたユルゲン・クロップ監督、マンチェスター・シティをイングランド・プレミアリーグ2連覇へと導いたジョゼップ・グアルディオラ監督を筆頭に「世界的名将」と呼ばれる指導者は世界に数多くいる。
04−05シーズン以来のCLタイトルを獲得したリバプールに象徴される通り、ラファエル・ベニテス、クロップという優秀な指導者がいる時のチームの実績は頭抜けている。「サッカーの戦績は監督の力によるところが大きい」と日本屈指の戦術家で知られる松本山雅の反町康治監督も語っていたが、どういう人物がトップに立つかどうかでクラブの命運は大きく左右されると言っても過言ではない。
Jリーグを見ても、93年のJ発足から一度も2部落ちしていない鹿島アントラーズと横浜F・マリノスは「ダメ監督」と断罪されるような指揮官はほぼいない。とりわけ、鹿島は代々の監督たちがある程度の結果を残している。近年も、2015年途中にトニーニョ・セレーゾを解任せざるを得ない苦境に陥ったが、後任となった石井正忠が巻き返しを図ってタイトルを獲得。その石井も2017年途中にクビを切られる状況となったが、後を引き継いだ大岩剛監督もチームをアジア王者へと導いている。今季に関しては小笠原満男という長年精神的支柱だった選手が引退し、大幅な若返りを図らなければならない状況ながら、アジアチャンピオンズリーグ(ACL)では8強入り。「勝つべきところでは勝つ」という伝統は依然として健在のようだ。
そんな常勝軍団とは対照的に、いわゆる「ダメ監督」の登場によってチームが大きく崩れたケースは少なくない。最たる例が2012年に就任し、公式戦5連敗と最悪のスタートを切った時点で更迭されたガンバ大阪のジョゼ・カルロス・セホーン監督だろう。
そもそも同氏就任に関しては、最初から「いわくつき」と言われる状況だった。
当時ガンバの強化部長を務めていた山本浩靖が元日本代表FWの呂比須ワグナーを招へいし、10年間指揮を執った西野朗監督の後釜に据えようとしたが、呂比須が日本サッカー協会公認S級ライセンスに当たる資格を取得していないことが判明。有資格者のセホーン監督が「名目上の監督」を肩代わりする形でガンバにやってきたのだ。この事実はセホーン自身が日本メディア向けのインタビューで明らかにしている。つまり、事実上の「ダメ監督」は呂比須の方だったのかもしれない。
いびつな関係性が現場にも大きな影響を及ぼした。同年のガンバは今野泰幸をFC東京から獲得し、倉田秋や丹羽大輝らをレンタル先から復帰させるなど戦力的には決して悪くなかった。だが、チームとして1つの方向性を見出せず、バラバラ感が否めなかった。解任劇の後、レジェンドの松波正信監督が事態収拾に向かったが、今度は経験不足を露呈。結果的にクラブ史上初のJ2降格の憂き目に遭った。
その翌2013年に就任した長谷川健太監督が14年にJリーグ、ナビスコカップ(現ルヴァンカップ)、天皇杯の三冠を1年で達成したのを見ても分かる通り、当時のガンバの戦力はJ1トップクラスだった。遠藤保仁や今野ら豪華タレントを抱えながら2部落ちしたのは、セホーン・呂比須体制のボタンの掛け違いが発端と言わざるを得ない。監督選びというのは慎重さが強く求められるのだ。
同じような失敗例として多くのサポーターの脳裏に焼き付いているのが、2016年開幕から名古屋グランパスを率いて8月下旬に休養した小倉隆史監督だ。名古屋黎明期のスターとして注目され、アーセン・ベンゲル監督体制の95年に37試合出場14ゴールという結果を残した大物生え抜きFWは、他クラブで監督経験を積むことなく、いきなり古巣の監督兼GMという大役を担った。「この人事はさすがにリスクが大きすぎる」という声もあちこちから聞かれたが、メインスポンサーの「大物生え抜き監督がほしい」という要望にクラブ側が応えた形だったと言われる。
小倉体制の名古屋はJ1開幕戦でジュビロ磐田に勝利し、続くサンフレッチェ広島戦を引き分けるところまでは順調だった。ところが、そこから黒星が先行。第1ステージは14位で折り返す。第2ステージでの巻き返しが求められたが、第1ステージから合わせて17戦未勝利という最悪の記録を作った。小倉監督兼GMへの不満も噴出し、クラブ側としても見過ごせず、休養という名の事実上の解任に踏み切った。その後、 ボスコ・ジュロヴスキー監督体制で出直し、母国・ブラジルに戻って引退状態だった田中マルクス闘莉王を呼び戻してテコ入れを図ったが、最終節で湘南ベルマーレに完敗し、こちらも史上初のJ2降格を突き付けられた。
小倉はその後、名古屋を去り、地元・三重の東海社会人サッカーリーグ所属のFC.ISE-SHIMAの理事長に就任。日本サッカー界の檜舞台から離れた格好となっている。たった1度の、8カ月間のJリーグチャレンジで監督キャリアを絶たれかねない状況に陥るというのは、本当に厳しい現実だ。選手時代にスターとして祭り上げられた人物が指揮官になった途端、凄まじい批判にさらされるケースも多い。それだけ浮き沈みの激しい職業なのだと痛感させられる。
近年の「ダメ監督」といえば、2011年に古巣・浦和レッズの指揮を執りながら、J2降格寸前のところまで追い込んだゼリコ・ペトロビッチ監督も挙げておきたい。J発足当初から下位常連だった浦和は1999年に1度、2部落ちを経験しているが、その後は育成やスカウト体制などを見直してチームを立て直し、2000年代後半にはJ屈指の強豪に君臨するようになった。闘莉王や長谷部誠らを擁し、2007年ACL制覇、FIFAクラブワールドカップ3位という大成功を収めるに至ったクラブを再び転落させかけた指導者ということで、浦和サポーターには苦々しい記憶として心に刻まれている
「サイドを幅広く使うアタックというオランダスタイルのサッカーを志向していたゼリコと、当時の戦力が全然マッチしなかったし、結局は原口元気のドリブル頼みという単調なサッカーになってしまいました。攻撃だけでなく守備も組織化されず、監督と選手の乖離も進んで収集がつかなくなりました」と当時を知るメディア関係者も言う。クラブ側は9月に柱谷幸一GM解任という大ナタを振るうが、抜本的解決に至らず、ナビスコカップ決勝を目前に控えた10月の大宮アルディージャとの埼玉ダービーに敗れたところで更迭を決断した。
後を引き継いだ堀孝史ユース監督の下、チームは浮上の兆しを見せ、最終節で15位を確定させてギリギリでJ1残留したものの、本当に2度目のJ2降格が現実になっていてもおかしくなかった。
この3つのパターンを見てみると「ダメ監督」の背景には、クラブ側の判断ミス、監督自身の経験不足、自らの戦術や選手起用に固執しすぎること、采配力のなさといった問題点が見えてくる。
冒頭のクロップやグアルディオラのように、自分の理想とする選手を補強できるだけの財力や資金力に恵まれたクラブで働いているのならともかく、Jの指揮官は身の丈に合った選手補強やチームマネージメントが必要不可欠だ。「バルサ流」を掲げ、フアン・マヌエル・リージョ監督を招へいしながら結果が出ないことで早々と指揮官交代に踏み切った今季のヴィッセル神戸のように潤沢なマネーをドブに捨てている例もあるが、大半のクラブはそこまでの大判振る舞いはできない。それだけに、反町監督も言うように、より監督力が強く求められるのだ。
財政面や戦力面、環境面の厳しさがあっても監督が優秀であれば、多少の困難は乗り切れる。やはり重要なのは、クラブのビジョンに合った指揮官を据えることだ。そこだけは肝に銘じておく必要があるだろう。