日刊鹿島アントラーズニュース

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2022年2月11日金曜日

◆永木亮太、7年ぶりのベルマーレ復帰。王者アントラーズとレジェンド小笠原満男から得た大きな財産(Sportiva)






Jリーグ2022開幕特集
新天地に賭ける男たち(1)
永木亮太(湘南ベルマーレ)インタビュー@前編

 ライトグリーンのユニフォームに袖を通すのは、実に7年ぶりになる。6シーズンを過ごした鹿島アントラーズから、古巣である湘南ベルマーレへ。この挑戦に、永木亮太は胸を弾ませている。

「環境を変えるということは、同時に新しいチャレンジでもある。自分のなかでは楽しみという気持ちが今は一番大きい。

 ベルマーレはもともと在籍していたチームですけど、自分にとっては新しい監督、新しいサッカー、新しいシステムに挑むことになる。自分自身も以前、在籍していた時から年齢を重ね、立場も変わったなかで、新しい自分を見せられるのではないかと思っています。そのワクワク感が大きいですね」

 6年という年月に、時の流れを感じることもあれば、懐かしさを覚えることもあった。

「変わった部分としては、僕が以前も一緒にやっていた選手は2、3人しかいないこと。監督の(山口)智さんも含め、現場のスタッフも初めての人ばかりなので。変わらない部分としては、これはベルマーレの伝統でもありますけど、選手みんながひたむきで真面目なところですね」

「ただ......」と、永木は言葉を続ける。

「アントラーズから戻ってきて思うのは、いい意味でも悪い意味でも、真面目すぎる印象も感じています」

 それこそが、キャリアと経験を積んだ証(あかし)でもあるのだろう。

 かつて在籍していた時にはなかったというトレーニング施設の充実ぶりに驚いたと言うが、練習場のピッチに立てば懐かしさを覚えた。

「アウェーの試合でスタジアムには行きましたけど、練習場は本当に久しぶり。足を踏み入れた時には『ベルマーレに戻ってきたんだな』という感覚を一番覚えました。特別指定選手時代を含めれば2010年から6年間、本当にハードな練習を毎日、繰り返してきた場所。それだけに感慨深いものはありました」

 同じく6年間を過ごした鹿島では、2016年のJ1優勝を初め、同年の天皇杯、2018年にはAFCチャンピオンズリーグでトロフィーを掲げた。


【アントラーズで感じた一体感】


「欲をいえばもっと獲りたかったですけど、タイトルを3つ獲れたことで大きなものを得ました。プロサッカー選手の誰もが味わうことができるものではないので、選手としての自信につながりましたし、それによって周りが見る目も変わってくる。

 ベルマーレに復帰した今もそうですけど、タイトルを獲っているから、周りの選手が聞く耳を持ってくれると感じることも多い。選手として箔(はく)がつくというだけでなく、(タイトルを)獲っている選手と獲っていない選手とでは、言葉の重みも変わってくるように感じています」

 その味が知りたくて、2016年に鹿島へと移籍した。大会は異なるものの3つのタイトルを獲得したことで、共通して感じたものとは何だったのか。

「答えになるかどうかはわからないですが、感じたのはチームとしての一体感でした。特に2016年にJ1で優勝した時のチームには本当に結束力がありました。チームとしてはターンオーバーしながら戦っていましたが、誰が試合に出ても本当にいい試合ができていた。

 J1で優勝したあと、FIFAクラブワールドカップで準優勝して、天皇杯でも優勝するまでの期間は、特にチームとしてひとつになっていた。練習中から『このトレーニングを続けていれば、試合では負けない』という思いを選手一人ひとりが共通認識として持てていた。

 あらためて振り返ってみても、そういう時のチームは強い。一体感や結束力と口で言うのは簡単ですし、ありきたりな言葉に聞こえるかもしれませんが、その雰囲気を作り出すのは本当に難しいこと。タイトルを獲った時には、それをみんなが自然と作り出し、自信を持って試合に臨める空気になっていたように思います」

 その時、輪の中心にいたのが、同じボランチであり、鹿島のレジェンドでもある小笠原満男だった。永木は「プロになる前から大好きな選手で、アントラーズに入る決め手になったのも『満男さんと一緒にやりたい』という気持ちが大きかったからでした」と言う。


【小笠原は勝ち方を知っていた】


 そこまで思う小笠原とともにプレーしたことで、彼は何を感じ得たのだろうか。

「一緒にプレーしたのは3年間でしたけど、自分のなかでは大きな財産になりました。みんなが言うように、人一倍負けず嫌いで、何よりも安心感があった。満男さん自身はそれほど多くは語らないけど、背中で引っ張ってくれるし、プレーでも見せてくれる。

 それにやっぱり、勝ち方を知っていた。同じピッチに立つと、本当にそれが伝わってくるんです。そう思うくらい、すべてにおいて勝つことだけを考えてプレーしていた。

 結果的に満男さんが引退してから、アントラーズはタイトルを獲れていないという現実がありますよね。それだけ、人としても選手としても存在感があったということだと思います。そこは自分のなかで悔しさであり、もどかしさとして残っていますけど、今も自分が目指すところ。決してマネすることはできないですけど、自分もそういう存在になりたいと思っています」

 プレーで見せ、背中でチームを牽引する選手----。そこに、永木が湘南への復帰を決めた背景があるように感じた。

 リーグ戦で30試合以上に出場するシーズンもあったように、鹿島でもコンスタントに出場機会を得てきた。だが、昨季は途中出場も多く、わずか15試合の出場にとどまった。

「選手として試合に出たいと思うのは当たり前だと思いますけど、試合に起用するかしないかを決めるのは監督。選手はあくまで使われる立場だということは十分にわかっていますが、自分としてはフィジカル的にも技術的にも自信があったなかで、出場機会を得られなかった。

 出場時間自体も少なかったですし、自分自身が試合に出ないとリズムを掴めないタイプだったこともあって、自信があっただけにもがいたというか、悔しさはかなりありました」

 そうした永木の葛藤を感じ取っている人がいた。湘南のスポーツダイレクター(SD)である坂本紘司だった。鹿島でくすぶっている姿を見て、2021年の夏にも期限付き移籍の打診があったことを、永木が明かす。


【動けるうちに戻りたい】
「その時は、自分としては期限付き移籍ではなく、移籍するならばシーズンの最初からだと思ってお断りしたんです。それよりもアントラーズで試合に出たい、アントラーズでもう一度、頑張りたいという気持ちが強かったので。

 そこからシーズンが終わり、またベルマーレからオファーをもらった時には、自分の考え方も少し変わっていました。早いタイミングでオファーをいただいたこともあって考える時間もあったこと、ベルマーレが熱い思いを持って自分に声をかけてくれていたこともありました」

 シーズンが終わり、再会した坂本SDからかけてもらった言葉は、まさに自分自身が感じていることでもあった。

「坂本さんと面と向かって話した時に、自分のプレーを見て、まだまだお前はできると思っていると言ってくれたんです。同時にアントラーズで得た経験を、若い選手たちが多いベルマーレに伝えてほしいと。

 昨季のベルマーレは勝ちきれない試合が多く、そうした試合を勝ちに持っていけるプレーや声がけをしてほしいと言ってもらいました。自分自身も33歳になり、そうした役割を担う年齢になってきているとは思っていたので、クラブが求めることと自分の思いが合致したことが決め手になりました」

 出場機会を得られないなかでも失っていなかったのは、プレーに対する自信だった。

「動けるうちに戻りたい」

 プレーで見せ、背中で引っ張れるうちに湘南に戻りたい。だから、永木は決断した。

「動けない年齢になってからベルマーレに戻るのは、自分としては嫌だったんです。アントラーズに残るという選択肢もありましたが、動けるうちに戻りたいという気持ちが強かったので、ベルマーレでプレーすることを選びました」

 そこには冒頭で語ってくれたように、経験を積み、かつて在籍していた時とはひと回りもふた回りも大きくなっているという確固たる自信がみなぎっている。




【profile】
永木亮太(ながき・りょうた)
1988年6月4日生まれ、神奈川県横浜市出身。中学・高校の6年間は川崎フロンターレの下部組織に在籍。中央大学に進学したのち、2011年に湘南ベルマーレに正式入団した。1年目から主力として活躍し、2013年からキャプテンに就任。2016年に鹿島アントラーズに移籍し、同年には日本代表デビューも果たす。今シーズン7年ぶりに湘南に復帰。ポジション=MF。身長175cm、体重67kg。




◆永木亮太、7年ぶりのベルマーレ復帰。王者アントラーズとレジェンド小笠原満男から得た大きな財産(Sportiva)





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