日刊鹿島アントラーズニュース

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2015年4月12日日曜日

◆【THE REAL】ハリルジャパンとプラチナ世代の元気印、DF昌子源を成長させる“未知との遭遇”(CYCLE)


http://cyclestyle.net/article/2015/04/11/21865.html


昌子源と書いて「しょうじ・げん」と読む。日本サッカー界の「プラチナ世代」と呼ばれる1992年生まれの22歳。鹿島アントラーズに加入して4年目を迎えた昨シーズンは、最終ラインの統率役としてリーグ戦全34試合に先発。日本代表にも抜擢された伸び盛りのホープだ。

ポジティブで明るく、何事にも物怖じしないキャラクター。豊富な語彙と達者なトークでアントラーズのムードメーカーを務め、試合後の取材エリアでは常に大勢のメディアに囲まれる。「げんちゃん」の愛称でサポーターからも愛される元気印が、未知の領域に足を踏み入れたのは8日のことだった。

ホームに中国スーパーリーグの強豪、広州恒大を迎えたアジア・チャンピオンズリーグのグループリーグ第4節。その後半30分に昌子はピッチの上に仰向けに転がされ、冷たい雨が降ってくる夜空を見上げながら、二律背反する思いを脳裏に交錯させていた。

「本当にすごいゴールだった。ワールドクラスの動き出しについていけずに失点してしまったことは、確かに悔しい。やられた本人が言うのも変ですけど、すごくいい経験になったとも思った。こういう戦いをもっと、もっとやりたいと」
■「化け物と戦っているようなかんじ」に楽しさを見出す

左サイドへ抜け出した中国代表FWガオリンへロングパスが通り、追走してきた右サイドバックの西大伍を切り返しでかわした直後だった。それまで昌子がマークしていたFWエウケソンが突然、視界から消えた。

元ブラジル代表の肩書を持つ25歳のエウケソンは、時計と逆回りの弧を描きながら昌子の死角へ巧みに侵入。ガオリンが放ったクロスを昌子がクリアする体勢に入った瞬間に、右側からいきなり姿を現した。

虚を突かれ、体勢を崩した昌子をあざ笑うかのように、エウケソンが伸ばしてきた左足は確実にボールをとらえる。駆け引きで後手を踏み、完璧に決められた同点ゴール。昌子はただただ脱帽するしかなかった。

「正直言うと、僕が先にボールに触れると確信に近いものがあった。ボールを持っていないときは守備も何もしない選手だけど、サボっているように見えて僕たちの背後をずっと狙っている。エウケソン選手から見れば、僕は隙だらけだったんでしょうね。足を蹴られたし、踏みつけられたし、腕も引っ張られた。本当にいろいろな駆け引きを仕掛けてきた。化け物と戦っているような感じでしたけど、楽しさすら感じていた」

バヒド・ハリルホジッチ新監督のもとで招集された新生日本代表で、いい意味でのカルチャーショックを受けた。182cm、74kgのサイズを生かした空中戦でも強さを発揮する昌子だが、最大の武器は洞察力を生かしたカバーリング能力にあると自負していた。
■ピッチの上では「人格を変える」

昨シーズンのアントラーズでは186cm、77kgと昌子を上回るサイズと、小学生時代にテコンドーで全国3位になったフィジカルの強さを誇る高卒2年目の植田直通とセンターバックコンビを結成。植田が相手をまず潰しにいき、昌子がフォローする役割分担でリーグ3位に食い込んだチームを下支えした。

しかし、ハリルホジッチ監督は国内組の守備、特に球際での攻防を一刀両断に斬り捨てた。海外組と国内組に分けられて、大分市内での合宿中に実施されたグループ面談。昌子は指揮官から放たれた厳しい言葉を、「君たちならもっと成長できる」というメッセージとして受け止めた。

「相手をリスペクトしすぎていると言われました。優しく当たりにいって、逆に相手にひじ打ちを食らっていると。試合中は常に強気でプレーして、激しくいきすぎたら試合後に謝ればいいとも。ピッチの上に立てば、それこそ人格を変えてプレーしていくしかないと思いました」
■センターバックとしての可能性

米子北高校1年生のときに、昌子はフォワードからセンターバックに転向している。中学時代に所属したガンバ大阪のジュニアユースの同期には「怪童」の異名をほしいままにし、現在はトップチームでエースを担う宇佐美貴史が君臨していた。

宇佐美の底知れぬ才能を目の当たりにし、さらにユースへの昇格がかなわかったこともあって、中学3年の途中で昌子はサッカーをやめている。バスケットボールへの道を志向した時期もあったが、サッカーの指導者を務める父の知人がコーチを務めていた米子北高校の練習に参加したことで情熱を取り戻す。

親元を離れた異郷の地でセンターバックとしての可能性を見出され、U‐19日本代表候補に名前を連ね、卒業時には名門アントラーズから声がかかった。運命の糸に導かれるかのように、今シーズンからは歴代のディフェンスリーダーが背負ってきた『3』番を託されるまでに成長した。

昌子の前に『3』番をつけていたワールドカップ・南アフリカ大会代表の岩政大樹(現ファジアーノ岡山)は、2013年シーズンいっぱいで契約更新を見送られた。これからは昌子に任せる――。フロント主導の世代交代を受け入れ、アントラーズを去った岩政から贈られた言葉はいまも昌子を支えている。

「お前の潜在能力は高い。自信を持ってプレーすれば、鹿島を背負えるセンターバックになれる」
■笑顔の裏にある覚悟、次の一歩

22歳にしてキャプテンを務める同期のMF柴崎岳とともに、新生アントラーズを象徴する存在となった今シーズン。先発フル出場を果たし、待望の日本代表デビューを果たした3月31日のウズベキスタン代表戦で感じた「もっと自分の能力を出せた」という思いは、広州恒大戦を経てますます強くなった。

「それまで抑えていても、あのワンプレーでゴールを決められているようでは未熟。エウケソン選手の動きについていけない自分は、まだまだ世界では通用しないと痛感させられた。今日のようなプレーをしていたら、代表に選ばれ続けるのも難しい。試合に勝ったことで、結果論としては『いい勉強になった』と言えるけど、同じ形では一生やられないようにしないと」

ウズベキスタン代表戦では、途中出場した「プラチナ世代」の柴崎と宇佐美がそれぞれゴールを決めた。同じく1992年生まれの日本代表FW武藤嘉紀(FC東京)が、プレミアリーグの名門チェルシーから正式オファーを受けたというニュースもメディアを騒がせた。

「1992年組とは言われているけど、僕は一歩も二歩も置いていかれている。ちょっとでも差を詰められるように頑張っていかないと」

エウケソンにゴールを許した数秒後に、昌子は自らを鼓舞するように笑顔まじりで立ち上がった。いわゆる“未知との遭遇”に、これからも打ちのめされることがあるだろう。それでも、ショックを真正面から受け止め、さらに上のステージを目指すエネルギーに変えるたくましさが昌子の体には脈打っている。

《藤江直人》

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