【花束/ブーケ】クラシックローズ「トゥールーズ・ロートレック」【千趣会イイハナ】
何で追いつけんのやろ——。あれから1年、ロストフ・ナ・ドヌで突きつけられた現実は、いまも乗り越えられてはいない。それどころか、あれほどの悔しさはこの先も晴れることがないとさえ思っている。しかし、さらなる成長を求めて欧州サッカー界に身を投じた27歳は紛れもなく前へと進んでいる。再び、あの場所に立つために。
W杯初出場とともに始まった日本代表DF昌子源の2018-19シーズンは激動の連続だった。常勝軍団の鹿島アントラーズを積年の悲願だったACL初制覇に導き、ビッグタイトルを置き土産にフランスのトゥールーズへと移籍。半年間で20試合の試合経験を積むなど、すでに絶対的な地位を築いている。そんな昌子はいま何を思うのか。その内心に迫った。
―冬にトゥールーズに行って、最初の2試合はスタンドから見て、そのあとは公式戦20試合フル出場という半年間でした。過去の欧州移籍でも例がないような順応ぶりだったと思います。
「僕も(他の人が)どれくらいか(出ていたか)はちょっと分からないですけど、自分自身としては怪我なくできたのが一番よかったかなと思いますし、監督やチームメートに一番言われたのは、最低でも1年くらいは居たかのように入ってくれたっていうのは、自分はうれしかったですね。途中から入った身なので、自分自身は意識はしていましたけど、チームメートがそう言ってくれたのはいいチーム、いい監督、自分もいい入りができたんじゃないかと思います」
―とりわけセンターバックが1年いたかのように振る舞うことはすごく難しいことだと思います。
「言葉がわからないからどうこうというのでは一生馴染めないなと思っていたので、言葉が分からないなりに。アフリカの人がすごいダンスするので『来いよ!』って言われて『いやいやいや』って言うんじゃなくて、『来いよ!』って言われたら『オッケーイ!』みたいな感じで行ったら『お前、いいねー』ってなったりとかましたね。僕も初日にダンス誘われてみんなでやったりしてましたからね。そんなんしてたら自然とすごいウェルカムな雰囲気を作ってもらえましたし、そういうのもあってすぐに『ゲン!』って名前を覚えてもらって、呼んでくれたりとか、そういうところがすごいよかったですね」
―ダンスってどんな感じなんですか?(笑)
「なんかね、普通にロッカーの真ん中で音楽を流していて、アフリカ系の選手が何人か踊っていて『一緒に踊ろうぜ』って言うから『いいよ!』って言って、なんかもう、そいつらが踊っている踊りをただ真似していただけですね。それしとったら『いいね!』みたいになって、『お前、スゲェぞ!』みたいな(笑)。普通はそう来れないというか、日本人にはシャイなイメージを持っていたみたいで、『お前結構イケるな!』って感じでしたね」
―鹿島でもチームメートだった植田直通選手がベルギーに出た時、ドラゴンボールの歌で盛り上げた場面が話題になっていましたよね。
「たとえばフランスでは移籍してメンバーに入ったら歌を歌うとかあるみたいで、僕も歌とか歌いましたけど、めっちゃ盛り上がってくれましたね、みんな。その前にダンスしていたってのも良かったですね。その歌が一発目って考えたら、たぶん俺でも無理やったなって思いますけど(笑)。なんかもう毎日踊ってるんですよね、彼らは本当に。たぶんダンスがウォーミングアップみたいになっているので。それに誘われて『いやいやいやいや』って言ってたらたぶん一生馴染めないなと思っていたし、僕自身、あんまり『ええー』って言うタイプじゃなくて、行こうと思ったら行くタイプだったのでそれが良かったかなと思います。ただ直通はあれですね、シャイなので、難しかったんじゃないかなと思います(笑)」
―思い切ってやったんでしょうね。
「そうですね、僕も歌を見ましたけど、恥ずかしそうにやってましたよね。見ているこっちが恥ずかしかったです(笑)」
―移籍する前から心構えはありましたか?
「一応、何かしらはあるんかなと思っていたんですけど、僕もなにせ移籍が初めてだったので。国内と違って名前も顔も分からんところに行くので、何かしらはあるんだろうなと思っていました」
―ならば、現地に行って。
「即興で(笑)。自分のオリジナルダンスというよりは、そいつらがやっていることを真似したので。やることに意味があると思っていたので良かったなと思います」
―文化に合わせる形ですね。
「そうですね。彼らを自分に合わせるんじゃなくて、彼らの母国とか、彼らがやっているリーグなので、僕が合わせるのが一番だと思っていました。極力フランス語を覚えて話しかけようとも思っていましたし、向こうも(僕が)全く喋れないと知っているので、片言でも聞こうとしてくれましたし、そこは結構助かりましたね」
―米子北高から鹿島に加入するときに比べてハードルは高いと思うんですが、昔から馴染むのは得意なタイプですか?
「それは得意なタイプでしたね。ただ、なんて言うんですかね、僕がプロになる時には当時ずっとレギュラーとして支えていた方よりもサッカー面では全然ダメだと思っていたし、どうチームに交わろうかというのは難しかったんですけど、いまは国が違えどサッカーに自信があるから移籍を決断したわけで、最悪そこでダメでもサッカーで認めさせてやろうという強い気持ちがあったので、あまり心配はしていなかったですけど、でも馴染むこともできたに越したことはないという感じですね」
―そこは鹿島での自信が支えていたんですね。
「間違いないですね。鹿島でいろんなことを学んで、優勝も6回経験させてもらって、そういうのが自信になっていたと思います」
―過去のインタビューで読ませていただいたのですが、フランスでも「優勝6回」というのはとてつもないことなんですよね。
「言われましたね。『お前、優勝したことあんのか?』ってちょっと上から来られて『あるよー。8年で6回』って言ったら、目ん玉飛び出るくらいびっくりしてましたけどね(笑)。『エエエー!』みたいな。『なんでお前ここいんだよ!日本にいたらスーパーなんだろ?日本にいたらいいじゃねぇか!』って(笑)。一回も優勝したことのない選手の集まりというか、リーグ・アンでもやっぱり下のほうはそういうところだと思いますし、優勝経験がほとんどない方が多かったですね」
―言語面でのアプローチは昔から準備していたんですか?
「いや、全くですよ。ほとんどせず行きましたね。ただ、今になればサッカー用語はだいたい大丈夫なんですよ。試合中にかける言葉とか。レストランでもなんとかなるかなくらいなんですけど。ただちょっとした冗談とか。あとチームメートが急に喧嘩とかし出すんですけど、喧嘩の内容がわからないんで、止めようにも止められないし、そういう難しさはすごく感じますね」
―今まで日本人選手の『言語の壁』みたいなことが語られてきましたが、そうしたものがなかった秘訣はなんだったと思いますか?
「間違ったら恥ずかしいとか思わないというか、英語を覚えるにしてもいろんなYoutubeとか見ると思うんですよ。間違っているのを恥ずかしいと思って喋らなかったら…って話を聞いて、それは本当にそのとおりだと思いましたね。まあレストランで間違えて『はっ?』って言われて恥ずかしい思いをして初めてこう言うんだって学びがあると思うんで、たぶんレストランでも、ほんまに聞き取る側からしたら『コイツなんなん?』って言われるくらいのこと言ってるんで(笑)。ただレストランでいま間違ったものが来たら、『これ違うじゃないですか!』って言えないんですよ。フランス語で何と言っていいか分からんから。それ言えるようになったら大したもんやなって思いますね」
―そこまで来たら長谷部選手、長友選手クラスですね(笑)。
「そうですね。でもやっぱり、そういうのも現地の人じゃないですけど、それくらい行けるようになりたいし。まあ片言ですけどね、ほんと単語と単語をつないだ。でも片言でもやっぱり聞いてくれているので、自分が求めた注文が来たり、自分が求めたことが伝わって、それを実行してくれるとやっぱりうれしいですね」
―そう考えると『言語の壁』を越えるには「若い頃から言語を学んだほうがいい」という要素だけじゃないということですね。
「でも、してるに越したことは絶対にないと思います。まず英語ですよね。英語は絶対にしていて問題はないと思いますし、とくにいまは海外組というくくりがすごく多くなった中で、若い子は海外に絶対に行きたいと思っていると思うんですよ。そしたら英語は最低限やっているに越したことはない。もちろん行って喋れたら覚えるけど、絶対にやっているに越したことはないのは間違いないですね」
―やっぱり学ぶことは大事だってことですね。
「絶対に大事だと思います。もちろんどこに行くかで、スペイン語とかフランス語とか変わってくるとは思うんですが、英語は共通で伝わるし、僕自身思いますからね。英語を完璧にマスターしてから行っていたら良かったなと思います。だから、いまプロに入った18歳、19歳の子はやっておいて問題はないと思います。あと自分は海外に行かないという人がいても、日本でもACLは英語なので。レフェリーとは。ACLで僕もキャプテンとか何回もやらせてもらっているので英語でコミュニケーション取りますし、実際に相手チームもキャプテンクラスになると英語は喋れますし、相手チームとの駆け引きも結局は英語です。日本代表に選ばれればレフェリーは必ず英語の方なので、そう考えると日本にいても使うことは必ず出てくるし、キャプテンやるやらないにしろ、英語圏の人とコミュニケーションが取れるだけですごく信頼度は高くなりますし、みんなもやっておいてほしいですね」
―英語という点では、アジア杯決勝直前の記者会見で吉田麻也選手が英語でスピーチをしていて、現地の記者から拍手喝采になったことがありました。
「あの人はあれですね、もうネイティブに近いと聞いたことがあります。あの人はすごいです。麻也くんに限らずですけど、英語喋れる人に『どうやったら喋れるんですか?』って聞いても、絶対に返ってくる言葉は一緒なんですよ。『いっぱい喋って…』とかになるんで、それができないから聞いてるんですって聞きたいんですけど(笑)。本当に自分に見合ったやり方でやるのが一番なんじゃないかなって思います。まあ独学もそうですし、いまってインターネットでも向こうの人と喋れることあるじゃないですか。僕はいまはずっと英語よりフランス語ですけど、フランス語を耳から慣れるだけでも全然違うし、そういう環境を日本でも作れると思うのでしていってほしいなと思います」
―言語の話からは離れるんですが、身体つきが大きくなったような印象を受けました。そのあたりも努力をしているんですか?
「日本に帰ってきてからみんなに言われますね。でも自分自身はあんまり気付かないです。もちろん日本にいる時よりはウエイトもやっていますし、いまは79kgくらいなので。80kg近くあるので、そういう面では少し大きくなったかなと思います」
―もう少し増やしたいという思いはありますか?
「いや、でもそんなに……。走りが重く、遅くなっても嫌ですし、ある程度走れる速筋を増やしていきたいし、あまり増やしすぎるのは良くないなと思います」
―フランスで一定の活躍を収めたいま、また聞いてみたいと思っていたのですが、まだベルギー戦の夢は見ますか?ロシアW杯の後は何度も見ていたと聞きました。
「そのときは結構見ていましたが、いまは全く見ないですね。ただ、振り返ろうと思ったことはないですね。90分間見ようかなと思ったこともないです。ニュース番組とかでその当時はすごい流れていて、嫌でも見ていましたけど、いまあらためてあのシーンを見ようかとも思わないです。あの試合については見ようと思ったことはないので。ただ何かの拍子に流れていたとしても、そういうときは別に見ますけど、今さら見たところでっていう。また自らその悔しさを味わう必要はないだろうし、という思いはあります」
―乗り越えた、というより、過去の話になったという印象ですかね。
「そうですね。乗り越えたかというとちょっと難しいですが、過去の話ですし。ただ、悔しさっていうのは忘れることはないだろうし。あの試合の悔しさは…特に最後の3失点目では僕の目の前で決められたんで、ましてや何で追いつけなかったんだろうという自分の責任とかも考えると、たぶん乗り越えることはないんじゃないかなと思っているので、あの経験があったからって言えるように、これからのサッカー人生は突き進みたいと思っています」
―悔しさを乗り越える、悔しさを晴らすと簡単に言いますが、実際その立場になると難しいですよね。
「いやー、晴れないですよ。あの経験はちょっと…。今までと別次元というか。もちろん寸前で優勝を逃したこともあるし、いろんな悔しさを味わってきましたけど、ちょっと別の次元の悔しさというか。ちょっとあれは違いますね。あれはなかなか払拭はできないんじゃないかと思います」
―それはやはりW杯という空気感がそうさせるのですか?
「それは間違いないと思います。僕も初めて経験させてもらいましたが、本当に国と国が意地でぶつかり合う大会で、ましてやベルギーをあそこまで追い詰めたと言われ方をしますけど、うちが2-0になってからの相手の圧みたいなものは前半とは比べものにならなかったですし、まああの14秒間は本気の一撃やったと思うので、あれを止められるように日本全体がならないといけないと思います。ずる賢いこととか、ポーランド戦もわかりやすいと思いますけど、日本が…とかいろんなことを言われますが、勝つためなら何でもやるくらいじゃないと勝てないなと思いました」
―そういう「勝つ」ということに関してでは、日本の中で鹿島アントラーズを上回るクラブはないと思います。
「鹿島は勝利に対する執念というのは、サッカー選手ならみんなそのメンタリティーは学んでほしいなと思うくらい執着していると思います。僕も他のクラブを経験していないので何とも言えない部分はありますが。あそこまで勝負強いとか、常勝軍団と言われるチームはないと思います。何年経っても常勝軍団と言われているので。タイトルが取れない時でも常勝軍団がついた後に何かが入るので、それを思わせるってそう簡単なことじゃないと思いますし、鹿島の凄みはそこなんじゃないかなと思います」
―今年から鹿島の取材をさせていただく機会が多くなったのですが、競り合った末の勝利を「1-0で勝つのが鹿島」と自信を持って言えるクラブは他になかなかないと感じました。
「鹿島は生え抜きがすごい多いイメージがありますし、強かったときは生え抜きがすごく多かったですけど、今年は生え抜きと半々くらいじゃないかな。ですけど、違うチームから来た選手が鹿島らしさを言えるのが鹿島の良さだと思いますし、違うチームで育った人が鹿島で生え抜きに『鹿島のDNA』とか『鹿島の血』とか言いますけど、違うチームの血が混じってもすぐに鹿島の血に塗り替えるのが鹿島の凄みだと思います。まあ、僕的には今の現段階の鹿島は鹿島の血に染まっていると思えないので、これからの鹿島に期待したいと思っています」
―昌子選手は現在、さきほど言われていたような「優勝したことのない選手が多いチーム」に所属しているわけですが、より鹿島の凄みを実感する機会が多いのではないでしょうか。
「そうですね。みんな優勝したいから鹿島に来ると思いますし、何で鹿島が優勝できるか、何で鹿島が優勝争いにいるシーズンを送れるかというと、僕とかも説明できないんですよね。だから鹿島にきて鹿島でプレーするのが理解するにはもってこいだと思うし、鹿島に移籍しようとする選手、移籍してきた選手はそれにプライドを持ってほしいし、生え抜きの選手も鹿島にいる重みを感じてほしいと思っています」
―また日本代表に目を向けると、W杯予選のスタートから代表活動に参加するのは初めてだと思います。意気込みを聞かせてください。
「前回の最終予選から参加して、最後W杯が決まった試合にも出してもらいましたけど、日本がアジアで勝って当たり前という雰囲気はもうなくなってきているなと感じています。実際、アジア杯ではカタールに負けて準優勝でしたし、それ以外にもサウジアラビアだったり、FIFAランキングで言うとイランがトップにいると思います。そういった国がある中で、簡単ではないのは間違いないですし、また過酷なアウェーもあります。一戦一戦を大事に、どれだけW杯に出ることが大事かは僕自身も経験させてもらったので、一戦一戦を無駄にせず、日本を代表して戦ってきたいと思います」
(インタビュー・文 竹内達也)
◆昌子源が振り返る激動の1年「あの経験があったから、って言えるように」(ゲキサカ)