誰しもが人生の岐路で選択をする。もちろんプロサッカー選手もだ。鹿島アントラーズDF小池裕太。「サッカーがさせてもらえなかった」。大学卒業後に加入したシント=トロイデンでどん底を知り、追い詰められた中で扉を叩いたのは鹿島だった。【文・写真:飯尾篤史】
未来のことは、誰にも分からない。しかし、自分の能力ひとつで未知のステージの扉を開くことができるのは、勝負の世界でプロとして生きる者の特権だろう。
鹿島アントラーズの小池裕太も、そのひとりだ。
1年前は異国の地でサッカー人生のどん底にいたが、今は日本で最も多くのタイトルを獲得してきた常勝クラブ、鹿島アントラーズの一員として優勝争いの真っ只中にいる。
「たしかに1年前、今の自分は想像できなかったですね」
ただし、自分の能力ひとつで扉をこじ開けた、というのとは、少し違う。
「鹿島が手を差し伸べてくれた。自分の中では、そういう感覚がある。だから、活躍して恩を返したいと思っているんです」
■サッカー選手として終わるんじゃないか
流通経済大4年だった小池が海を渡ったのは、2018年8月のことである。加入したのはベルギーリーグ1部のシント=トロイデン――日本企業がオーナーとなり、日本人選手の海外挑戦に積極的にチャンスを与えているクラブである。
この時点でシント=トロイデンには、冨安健洋、関根貴大、遠藤航と3人の日本人選手が在籍していた。左サイドバックの小池は、将来、日本代表に選出され、世界で活躍するサイドバックになり得る選手、ということで白羽の矢が立ったのだった。
「もともと、将来は海外でやりたいなって思っていたんですけど、Jリーグで活躍できたら行きたいな、というくらい。でも、いろんな人の話を聞くと、向こうでは21歳は若くない。海外ではそのくらいの選手がバンバン出て活躍しているというので、チャレンジしてみようって。急な話でしたけど、すぐに決めました」
アピールの機会はすぐに巡ってきた。加入直後に行なわれたルーヴェンとの練習試合でさっそく起用されるのだ。しかし、この試合で小池は負傷してしまう。
これが、運命の分かれ道だった。
小池がケガから復帰した頃には、すでにスタメンが固定されていた。おまけにチームは冨安や遠藤、フランクフルトから加入した鎌田大地の活躍によって上位争いを繰り広げていた。
ほんの数か月前まで大学生だったルーキーに、付け入る隙はなかった。
「ノーチャンスでしたね。練習もスタメン中心のメニューばかりで、サブ組のための練習がほぼなかった。今思えば、海外移籍の準備も心構えも甘かったので、そうした環境も、言葉の問題も、すべてをストレスに感じてしまって……」
そんな小池を支えてくれたのが、同じ立場にある関根だった。関根もまた加入直後に左足の肉離れを起こし、復帰すると今度は別の箇所を傷め、ベンチ外が続いていた。
「タカくんには本当にお世話になりましたね。タカくんも辛い立場だったのに、僕の話を聞いてくれたり、家に招いてくれたりして。でも、やっぱり苦しくて……。そのうち、本当にここにいて成長できるのか、って思ってしまった。このままだと俺、サッカー選手として終わっちゃうんじゃないかって」
■鹿島が拾ってくれた
年が明け、リーグ戦は佳境を迎える一方で、小池に出番が訪れそうな気配はない。追い詰められた小池は、自身をイチから見つめ直す必要性を強く感じていた。出直すために日本復帰を視野に入れ、仲介人を通じてコンタクトを取った先は、鹿島だった。
鹿島には大学2年時に特別指定選手として練習に参加し、公式戦で起用された。それだけではない。卒業後の加入も打診されてもいる。
だが、小池はそのオファーを断り、海外チャレンジを選んでいた。
「そういう事情があったから、どうなんだろうとは思ったんですけど、自分の現状を正直に伝えたんです。そうしたら、鹿島が受け入れてくれた。拾ってくれたと言っていいと思います」
こうして19年3月、期限付き移籍ではあるものの、小池は鹿島の一員になったのである。
とはいえ、ほぼ半年間、まともにサッカーをしていない選手に出番が回ってくるほど、Jリーグは甘くない。ましてや、トレーニングの質が高く、ポジション争いも激しい鹿島である。加入して1か月が立ち、2か月が過ぎても、出番は回って来なかった。
状況としては、ベルギー時代と変わらない。
だが、小池の抱く感情は、まるで異なるものだった。
「ベルギーでまったくサッカーをやってなかったから、出られないのは当然だと思っていました。まずはしっかりコンディションを上げないといけない。鹿島の練習は本当にバチバチやり合うし、少しでも気の抜けたプレーをすれば、周りからガンガン言われる。こういう環境にいられることが幸せだって感じましたね」
大岩剛監督から声が掛かったのは、加入から3カ月が経った6月14日のセレッソ大阪戦だった。77分から途中出場すると、続くサンフレッチェ広島戦で初めてスタメン起用される。
「セレッソ戦でひとり抜いたシーンがあったんですけど、自分の身体のキレとかで、やれるな、っていう感触を掴めたんです。そうしたらサンフレッチェ戦でスタメンになって、ゴールに繋がるミドルシュートを打てた」
そして、出場3試合目となったジュビロ磐田戦で、スーパーゴールが生まれるのだ。
40分のことだった。タッチライン際を駆け上がった小池が相手選手をかわして左足を振り抜くと、ボールは緩やかな弧を描いてファーサイドネットに吸い込まれていく――。
「正直、狙ってなくて、クロスを上げたらああいう軌道になって。でも、練習のときから早いボールを入れるように言われていたし、身体がキレていたのは確かです。」
チーム内で自身の能力を証明すると、それまで以上にチームメイトからパスが回ってくるようになり、話しかけられるようになった。
「本当の意味でチームの一員になれたかな、受け入れてもらえたかなって感じました」
■息つく暇もなく戦い続けてきた
とりわけ、より実戦的なアドバイスを授けてくれるのが、サイドバックの大先輩である内田篤人だ。
「守備のポジショニングとか、攻撃時にボールを受ける位置とか、細かく教えてくれますね。あと、闘う姿勢についても。自分はどちらかと言うと、そういうのを秘めるタイプなんですけど、篤人さんが『損をするから、出したほうがいいぞ』って」
自身も闘志を内に秘めるタイプの内田が、ドイツでの経験を惜しみなく後輩に伝えてくれるのだ。
6月30日の広島戦で左サイドバックの定位置を掴んで以降、コンスタントに出場してきたが、優勝争いの佳境を迎えた今、ベンチを温める機会が増えてきた。その理由は、他でもない小池自身がよく理解している。
「疲れも出てきているんですけど、ちょっと迷いもあって、パフォーマンスがあまり良くないんです。大学までは、ポジショニングや戦術のことはあまり考えていなくて、自分の持っている能力だけでやっていた。スピードでどうにかなるなって。でも、プロでは通用しない。それで、いろんな人の意見を聞いて取り入れているんですけど、整理しきれず、自分らしさも失っている。もう一度、自分の良さを取り戻さないといけないと思っています」
ベルギー時代とは次元の違う壁を前にもがき、苦しむ小池にとって、エネルギーの源、モチベーションとなっているのが、鹿島の熱いサポーターの存在である。
「これまであんな大勢の前でプレーしたことがないので。負けたら厳しい意見も来ますけど、そもそも学生時代は厳しい意見をぶつけられることもなかったから、新鮮です。SNSを通して、そうした意見を目にすることがありますけど、いろいろと気付けるので逆に感謝してます。監督や先輩からのアドバイスも大事だけど、ファン・サポーターの方の目に自分のプレーがどう映っているのかを知るのも、自分にとっては重要です」
一時期の勢いを失ってはいるが、それも無理はない。昨年8月のベルギー移籍、今年3月の鹿島移籍と、息つく暇もないくらい走り、戦い続けてきたからだ。
現在のスランプも次のステージに到達するための壁――。
監督や先輩のアドバイスを取り入れながら、そのスピードと左足を磨き続けることを忘れなければ、新たな扉をこじ開ける日は、そう遠くはないはずだ。
◎DF 26 小池裕太(こいけ・ゆうた):1996年11月6日生まれ、23歳。170cm/64kg。栃木県出身。FCアネーロ宇都宮U-15-アルビレックス新潟ユース-流通経済大-シント=トロイデン-鹿島。J1通算14試合出場1得点。