森保ジャパンの2020年初勝利は、武闘派を自任する25歳が出場12試合目で決めた、待望の日本代表初ゴールによってもたらされた。日本時間14日未明に決着を見た、コートジボワール代表との国際親善試合でヒーローを拝命したのは、0-0のまま迎えた試合終了直前に投入されたDF植田直通(セルクル・ブルージュ)だった。劇的かつ渾身のヘディングシュートに込められた矜恃(きょうじ)と、威風堂々としたオーラの内面に今も熱く脈打つ、生まれ故郷の熊本県へ抱き続ける深い愛情を追った。(ノンフィクションライター 藤江直人)
ヘディングへの強いこだわり
歴代の日本代表チームでは守り方などを確認する意味合いも込めて、原則として非公開練習が行われる試合前日に、セットプレーのメニューが取り入れられるケースが多い。
森保ジャパンも例外ではなく、今年最初の活動となったオランダ遠征でもカメルーン、コートジボワール両代表戦を翌日に控えた8日と12日に、それぞれセットプレー練習を取り入れていた。その度にキャプテンのDF吉田麻也(サンプドリア)の脳裏には、憂うつな思いが頭をもたげてきた。
招集された選手たちが敵味方に分かれて、コーナーキックや直接フリーキックをめぐって実戦さながらの攻防が繰り広げられる中で対峙する相手、つまり仮想の相手選手がいつもDF植田直通だからだ。
「セットプレーの練習で一番付きたくない選手というか。いつも僕がマッチアップさせられるんですけど、本当にマークするのが大変で手強い相手なので」
主力組で最もヘディングが強い選手が吉田ならば、リザーブ組では植田が空中戦の覇者として位置づけられている構図が伝わってくる。吉田は苦笑いしながら、こんな言葉も付け加えてくれた。
「直通は毎日、ヘディングの練習をしているんですよ」
通常は全体練習を終えると、個々が目的をもって取り組む個人練習に移る。限られた時間の中でひたすらヘディングを繰り返す植田の鬼気迫る姿は、日本代表でも、2018年夏から所属するセルクル・ブルージュ(ベルギー)でも、そしてプロの第一歩を踏み出した鹿島アントラーズでも変わらない。
「毎日のようにヘディングをしてきて、自分の本当に得意な部分でもあるし、ヘディングでチームを助けたいという思いをずっと抱いています」
熊本地震を経て強くなったサッカーへの思い
胸を張ってそう語る植田のサッカー人生とヘディングの関わりをさかのぼっていくと、1年生の時にフォワードから正式にセンターバックへ転向した熊本県の強豪、大津高校時代に行き着く。自身の身体に宿っていたストロングポイントを磨き続けた日々で培われた自信は、アントラーズの一員としてお披露目の舞台となった、2013年1月の入団会見で発した異例の抱負に反映されている。
「ワニは獲物を水中に引きずり込んで仕留める。自分も得意とする空中戦や一対一に持ち込んで、相手を仕留めたい」
自らを獰猛(どうもう)なワニに例えて、プロの世界を生き抜いてみせる…。小学生時代に日本一になり、世界大会で3位にもなったテコンドーが、激突の末に例え流血してもひるまない旺盛な闘争心を育んだ。顔面に刻まれている傷痕の数々は、武闘派センターバックの勲章でもある。
植田の左眉は、今現在も一部が傷で欠けている。大津高時代の体育祭のサッカー大会。突っ込んできた眼鏡姿の同級生を真正面から受け止め、衝撃で割れた眼鏡で切って血まみれになってしまった。それでも最後までプレーを続行したが、終了後には40針を縫わざるをえなくなっている。
身長185cm、体重82kgの威風堂々としたボディー。決して冗舌ではない性格とも相まって時には近寄りがたいオーラも放つが、内側には優しさを伴った熱き血潮も脈打たせている。隠された一面が初めて公の場で発現したのが、2016年4月16日のヒーローインタビューだった。
「植田選手にとって、今日は特別な思いでのプレーだったと思います。胸の内を聞かせてください」
敵地で3-0のスコアで快勝した湘南ベルマーレ戦後の光景。インタビュアーの女性からマイクを向けられた植田は沈黙を数十秒続けた後に、おもむろに右手で目頭を押さえた。とめどもなくあふれてくる涙を止めることができない。震えながらも何とか絞り出した声に、思いの丈を込めた。
「僕にはそれしかできないので…頑張ります…」
それとはサッカーを意味している。ベルマーレ戦の2日前に、生まれ育った故郷の熊本がマグニチュード6.5、最大震度7の「平成28年熊本地震」に見舞われた。ベルマーレ戦当日の16日未明にも後にこれが本震と判明する、さらに規模の大きな地震が発生していた。
幸いにも家族は無事だったが、時間の経過とともに甚大な被害が伝わってくる。ベルマーレ戦から一夜明けた17日。午前中の練習を終えた植田は、アントラーズのフロントへ熊本行きを直訴。依然として余震が続いていた中で、18日のオフを含めた1泊2日の強行日程を認めさせた。
被災地の力になりたいと思い立った植田の姿に、チームメイトたちも胸を打たれた。当時のキャプテンで、岩手県出身のJリーガーとして、東日本大震災の被災地への救援および慰問活動に率先して取り組んできた小笠原満男さんは、こんな言葉を植田にかけている。
「手伝えることがあれば何でもする。遠慮なく言ってくれ」
小笠原さん、選手会長だったDF西大伍(現ヴィッセル神戸)、高卒で加入して2年目だったFW鈴木優磨(現シントトロイデン)ら総勢6人で空路福岡入り。数台のレンタカーで陸路を使って熊本へ向かい、車に詰め込んだ飲料水や支援物資を届けて回り、可能な限り触れあいの場を持った。
オフ明けの19日には午前、午後の2部練習が組まれていた中で、一行は18日の福岡発成田空港行きの最終便まで活動を展開した。ホームに柏レイソルを迎えた24日のリーグ戦は残念ながら敗れてしまったが、植田と西は先発フル出場。小笠原さんも先発し、鈴木も後半途中からピッチに立った。
そして、レイソルに喫した黒星が最後になる形で、アントラーズは逆転でファーストステージを制している。通常はキャプテンが音頭を取り優勝トロフィーを天へ掲げるセレモニーで、主役を務めた植田は、照れ笑いを浮かべながら小笠原さんとの間で交わされた秘話を明かしている。
「優勝を決めた直後から『熊本の方々がたくさん見ているから、お前がトロフィーを掲げろ』と言われていました。本当に満男さんに感謝したい」
さらに故郷で豪雨災害
新型コロナウイルスによる復興の遅れ
闘いのステージをアマチュアからプロへ、年代別の日本代表から頂点のフル代表へ、日本からベルギーの地へ移しても、愛してやまない熊本を思い続ける姿は変わらない。その故郷を中心に九州で今年7月3日から月末にかけて、「令和2年7月豪雨」が発生した。
気象庁が「100年に一度レベルのまれな降水量」と警戒を呼びかけていた中で、県南部を流れる最大河川の球磨川は氾濫および決壊を起こした。尊い命が奪われ、甚大な被害が引き起こされただけではない。今年に入ってから続く新型コロナウイルス禍で、復興の遅れを余儀なくされるなど、二重の苦しみに耐えながら前を向こうとする故郷の人々の姿に、植田もベルギーの地から心を痛めていた。
「新型コロナウイルスによって日本中の方々、世界中の方々が苦しんでいる中で、僕の生まれ故郷である熊本でも大雨でかなりの数の方々が、苦しい思いをされていることは知っていました。その前には熊本で大きな地震もあり、僕の家族や知り合いも被災した中で、そういうことが起こったから、というわけではないんですけど…」
コートジボワール戦後に対応したオンライン取材で植田が紡いだ言葉には、競技面以外の意義が込められていた。それは自分たちの一挙手一投足を介して、日本へ勇気と笑顔、そして元気を届けることだった。植田が続ける。
「…僕は本当に日本もそうですけど、熊本を背負って戦っていると思っています。自分のプレーで熊本の方々、そして日本の方々を元気づけられればと思って日々プレーしているので、そういった方々の思いを背負い、勇気や希望をこれからも与えていけるようなプレーをしていきたい」
選ばれた数人の選手が臨むオンライン取材に植田が応じたのは、あらためて説明するまでもないだろう。
ひそかに狙っていた大仕事
両チームともに無得点のまま、9日のカメルーン戦に続くスコアレスドローの気配が漂ってきた後半アディショナルタイム。植田からの縦パスを受けたMF遠藤航(シュツットガルト)が相手選手に倒され、敵陣の中央やや右サイドの位置で直接フリーキックを獲得した。
アディショナルタイムに突入する直前に、劣勢に立たされつつあった守備を安定させる目的で植田が途中出場。今遠征で初めて同じピッチに立っている状況をあらためて確認した時、吉田は前日のセットプレー練習で募らせた憂うつな思いが局面を打開してくれると確信した。
「タフな試合で残り時間も少なくなった中で、アフリカのチームにありがちなのは集中力を欠いてボールウオッチャーになり、ファーサイドが空く傾向があること。直通のストロングポイントはヘディングですし、正直、僕よりも直通の方が可能性はあると思ったので、僕がニアサイドでおとりになってトミ(冨安健洋)と直通をファーに行かせるようにして、(柴崎)岳にもファーに蹴ってくれと伝えました」
短い時間でのやり取りで、ゴール前の密集地帯におけるポジショニングを決めた。MF柴崎岳(レガネス)が直接フリーキックを蹴る刹那に吉田がニアサイドへ走って相手を引きつけ、マークが曖昧になった遠いサイドをDF冨安健洋(ボローニャ)、さらに大外を植田が突いていく。
果たして、アントラーズ時代のチームメイトである柴崎が蹴ったボールは、正確無比に植田が走り込むファーサイドへ落ちてくる。マーク役の背後に一度出て気配を消し去り、次の瞬間、死角から目の前に現れて十八番のヘディングを見舞った植田の代表初ゴールとともに、均衡は劇的に破られた。
「あの時間帯に投入されたことは、後ろでしっかりと失点をなくすという意味でしたけど、一つでもチャンスがあればセットプレーで1点を、というのは自分自身でも狙っていました」
通算12試合目の国際Aマッチで託された任務をしっかりと遂行した。その上でひそかに狙っていた大仕事を具現化させた25歳は、32歳の大先輩・吉田と21歳の後輩・冨安の後塵を拝している現状を認めた上で、ネバーギブアップとばかりに、そして故郷へ届けとばかりに「もっと、もっと成長していけると思っている」と明言。自信を手土産に、ベルギーの地で待つ戦いへ帰って行った。