日刊鹿島アントラーズニュース

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2014年12月5日金曜日

◆さらば「13番」…仙台・柳沢が現役引退へ「限界が近づいてきた」(サンスポ)


http://www.sanspo.com/soccer/news/20141205/jle14120505030004-n1.html



 J1仙台の元日本代表FW柳沢敦(37)が4日、仙台市のユアテックスタジアム仙台で会見し、今季限りでの現役引退を発表した。一番の思い出には、2011年の仙台移籍1年目に発生した東日本大震災と、復興のシンボルとしてチーム一丸となった共闘態勢を挙げた。クラブからはフロント、スタッフとしての残留を要請されており、指導者を目指して第2のサッカー人生をスタートさせる。



 天国も地獄も見てきた柳沢が、穏やかな表情で現役引退を表明した。

 「自分の求めるパフォーマンスと、今できるパフォーマンスにギャップがあった。チームに与えられるもの、残していくものの限界が近づいてきたと感じた」

 シーズン終盤に決意。11月に渡辺監督へ伝えたところ、来季も必要な戦力として現役続行を促された。だがプロとしての決断を変えることなく、チームメートの誰にも相談せずに決めた。

 19年の選手生活の思い出を聞かれて真っ先に挙げたのは、仙台移籍1年目の2011年3月に発生した東日本大震災だ。鹿島時代に経験した4度のリーグ優勝や、2大会連続で出場したW杯(02年日韓、06年ドイツ)でもなかった。

 仙台市内の自宅で被災。柳沢は主将として市内の避難所に飲料水を寄付するなど支援活動を開始した。迎えたリーグ再開初戦(4月23日)の川崎戦で2-1の逆転勝ち。「みんながひとつのためにやろうとした姿に感動した。サッカー選手として、一番大事なものを見せられたゲームだった」。自分は出場していなかったが、心を揺さぶられた。



 「僕自身、波瀾(はらん)万丈。いいことも悪いことも、悔しいことも悲しいこともいっぱい経験してきた。常に支えてくれたサポーターに心の底から感謝しています」

 「勝負弱いFW」とたたかれたこともある。それでもJ1で積み上げた108得点は、日本選手に限れば史上6番目。この数字が秀でた点取り屋だったことを証明する。クラブ側からはフロント、スタッフでの残留を要請された。

 「ヤナーギサーワ!!」の応援歌で愛され続けた。所属クラブ、日本代表のほとんどで同じ背番号を着けた。柳沢は、6日の広島戦(Eスタ)で代名詞となった「13」に別れを告げる。 (山口泰弘)

★鹿島の仲間からお疲れさま

 ◆MF中田浩二 「自分が引退すると電話したら『俺もだよ』と言われた。(今年2月の)結婚式にも来てくれたし、お世話になったいい先輩だった」

 ◆MF小笠原満男 「本当は引き留めたいです。ずっと一緒にやってきた仲間だし、まだまだできるのに残念」

 ◆MF本山雅志 「寂しいですね。前向きな人で、うまくいっていない時も声をかけてくれた。(中田に続く発表で)自分も考えさせられる出来事ではある」

柳沢 敦(やなぎさわ・あつし)

 1977(昭和52)年5月27日生まれ、37歳。富山・小杉町(現射水市)出身。96年に富山第一高から鹿島に入団。同年8月28日の市原(当時)戦でリーグ戦初出場、同31日のG大阪戦で初得点。イタリア・セリエAのサンプドリア、J1京都などを経て2011年から仙台に在籍。J1通算370試合108得点。代表通算58試合17得点。1メートル77、75キロ。家族は妻でモデルの小畑由香里(35)と1男1女。

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