日刊鹿島アントラーズニュース

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2018年4月24日火曜日

◆【Jリーグ25周年の群像】内田篤人、自身もチームもコツコツ 再び「2番」背負い復権へ 「常に勝たなければいけないクラブ」(zakzak)





★鹿島DF・内田篤人(3) 

 「ずっと帰って来たいと思っていたから」

 内田篤人(30)は、万感の思いを第一声に込めた。今季へ向けて鹿島アントラーズが始動した1月9日。約7年半ぶりに復帰した男が古巣への深い愛を語った。

 「18歳から22歳までここでプレーさせてもらったし、アントラーズのエンブレムや旗を見ると、やらなきゃいけない、という気持ちになるよね」

 ブンデスリーガのシャルケへ移籍した2010年7月から、「体が動くうちに戻って来たい」と考えていた。鹿島もまた内田の象徴だった背番号「2」を空き番として、レジェンドの帰還を待ち続けた。1995年から強化の最高責任者を務める鈴木満常務取締役も、欧州がオフに入り、帰国した内田が鹿島を訪れる度に「そろそろどうだ」と声をかけてきた。

 昨オフは状況が異なった。内田が所属していた2部ウニオン・ベルリンへ出した正式な完全移籍のオファーを、鈴木常務は「向こうとこっちの状況がちょうどかみ合った」と振り返る。

 「(小笠原)満男が試合に出られる機会がだんだん減ってきた中で、伝統などいろいろなものを継承する役割を、満男の次の世代に担ってほしい。それも(内田)篤人を呼び戻した理由」

 残り2試合で1勝すればJ1連覇を達成できた昨季。いずれも引き分けた鹿島は、川崎フロンターレに優勝をさらわれた。長く鹿島をけん引してきた精神的支柱、MF小笠原満男は2試合ともベンチを温めた。

 「鹿島は常に勝たなければいけないクラブ。ネットで負けたことを知ると、一ファンとして『何をしているんだ』という気持ちになった」

 ドイツの地で古巣の動向を注視していた内田にとっても、昨季のV逸&無冠はショックだった。

 内田自身、昨夏に移ったベルリンで2試合の出場に甘んじていたこともあり、復帰を決意した。

 「鹿島には伝統があるけど、決して派手なクラブとは思っていない。もう一度見つめ直して、鹿島らしくコツコツとね」

 3月に30歳になり、選手ミーティングでは39歳の小笠原の次に発言する立場になった。復権を期す鹿島で、まずは目の前の仕事に集中する。(スポーツジャーナリスト・藤江直人)


【Jリーグ25周年の群像】内田篤人、自身もチームもコツコツ 再び「2番」背負い復権へ 「常に勝たなければいけないクラブ」



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