日刊鹿島アントラーズニュース

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2024年3月28日木曜日

◆鹿島FWチャブリッチ、代表招集辞退の真相「すごく悩んだ」「決めたのは自分」6月欧州選手権は不参加へ(報知)



アレクサンダル・チャヴリッチ


 今季鹿島に加入したFWチャブリッチが、スロバキア代表の親善試合2試合(3月24、27日)への参加を見送る決断を下した。なぜ欧州選手権前最後の活動であり、自身のA代表デビューが見込まれた試合に参加せず、鹿島に残ったのか。決断の背景に迫った。

*  *  *

 チャブリッチは、代表招集を拒否したとしてスロバキアで一部から批判を浴びている。「賛否両論ある中、日本で自分を応援してくれているサポーターにだけでも、何があったのか知ってほしかった」。そんな思いから、決断に至るまでの経緯を事細かに教えてくれた。

 U―19セルビア代表の経験はあるが、A代表には縁がなかった。そんな中、スロバキアで7年半プレーしたことで、同国の市民権取得のチャンスを得た。それはつまり、A代表の権利をつかんだことを意味する。

 「国を代表して戦うことに強い思いを持っていました。協会は書類や手続きなどあらゆることに尽くしてくれた。本当に感謝しています」

 協会側とのやり取りは1年半前からスタート。24年6月の欧州選手権(EURO)から逆算し、手続きが始まった。昨年12月には協会会長と面談。「3月までに準備は整う。3月の活動から参加し、大会を迎えよう」と話はまとまった。

 そんな中、チャブリッチは今年1月に鹿島移籍を決めた。新たな挑戦だった。チーム始動から約3週間遅れての合流となったが、開幕4戦2得点と上々のスタートを切った。

 しかし、自身のプレーに納得できない日々が続いた。キャンプなしでシーズンに入った影響は大きかった。

 「フィジカルが完全ではなくて。3月に招集されれば(離脱期間が)10日前後とはいえ、コンディションがいい方向に転ぶとはどうしても思えなかった」

 鹿島移籍は大きな決断だった。だからこそ、その決断を正解にしなければならない。彼の中での正解とは、ゴール数などの数字ではなく「何かを勝ち取るために日本に来た。かつて強かったチームをもう一度強くする」という気概を結果で示すことだった。

 「すごく悩んだし心苦しかったが、順応できていない状態で招集に応じることは違うと思った。最善の選択は、ここに残って練習することではないかと。鹿島が拒否したわけではない。決めたのは自分です」。協会に対し、3月の活動を辞退したい意向を伝えた。

 賛同は得られなかった。スロバキア協会は本メンバー発表前の段階で、招集予定リストを発表した。そこにチャブリッチの名前があった。「最後の最後で決断を変えるかもしれないという考えがあったからだと思う。本当は発表される前に決断し、断りを入れていました」

 本来、クラブや選手本人は代表招集を断ることができない。ただし、水面下で連絡を取り、招集レターを送らないように伝えることはできる。事実、スロバキア協会から鹿島にレターは届いていない。しかしスロバキア国内には、招集を拒否したとして伝わった。「状況を理解してくれる方もいたが、期待されていた分、落胆の声もあったし過激なものもあった。どちらかを選べば、もう片方に関係する人々を落胆させてしまう。心苦しかったです」

 欧州選手権に出場するためには、3月の代表活動への参加が条件だったという。事実上、大舞台への扉は閉ざされたことになる。

 「そのことがわかった上で決断しました。欧州選手権前に、1度は参加するのがフェアだという話を以前から(協会側と)していた。欧州選手権に出られる可能性はほぼなくなりました。決めた以上、鹿島でのプレーに集中します。期間中は連戦ですからね」

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 この中断期間、フィジカル強化に着手したという。「今以上に足が速くなるの?」と尋ねると「まだまだ本来の自分の姿に追いついていない。もっと速くなるかもね」と笑顔が返ってきた。

 代表かチームか、という単純な二者択一ではなかった。プロサッカー選手としてのキャリアを考え、悩み抜いた末に日本に残った。鹿島初の欧州人FWが下した決断に、称賛とリスペクト、そしてエールを―。(取材・構成 岡島 智哉)





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