日刊鹿島アントラーズニュース

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2016年7月10日日曜日

◆【鹿島】チームのために自己犠牲 鳥栖移籍の青木がサポーターから愛された理由(報知)


http://www.hochi.co.jp/soccer/national/20160708-OHT1T50200.html







 J1第1ステージ(S)を制した鹿島のDF青木剛(33)が6月末で、16年間を過ごしたクラブを退団し鳥栖へ完全移籍した。自らの性格、プレーを「地味」と語る男が、なぜタレントが集まるトップクラブで長年プレーし、サポーターの支持を得られたのか。たぐいまれな不動心と犠牲心を持ち、多くのタイトル獲得に貢献してきた男の生きざまに迫る。

 青木という選手を象徴する言葉がある。「出る、出ないは監督が決めることなので、試合に向けて自分はいつ出番が来てもいいように準備する」。鹿島の主力ボランチとして試合に出場していた時期も、若手にポジションを奪われ出番が減った近年も、答えは同じだった。

 もともと気弱な性格だった。中学校のマラソン大会。持ちタイムは学年1位だったにもかかわらず、緊張から当日になると腹痛に見舞われ、3年間で一度も優勝できなかった。プロ入り後も大事な試合で勝敗に関わるミスをしてしまい「ミスしたら交代させられることばかり考えていた」。02年のアジア大会決勝ではPKを献上し、U―21日本代表は敗戦。試合後、初めて涙を流した。

 変わったのは夫人の何気ない行動からだ。07年、流行していた自己啓発本を勧められると、数え切れないほどの本に目を通した。気に入った著者のサイン会や講演会にも足を運んだ。本から学んだ「体を動かすのは心」を意識することで、緊張にのみ込まれない術を身につけた。09年にJ初のリーグ3連覇を達成した時、雨の降る埼玉スタジアムで青木の頬には今までと違う涙が流れていた。

 鹿島では15回の契約交渉に臨み、クラブからの提示金額を保留することは一度もなかった。契約担当者には直接言わなかったが「年俸をあまり増やして欲しくない。クラブの負担になったら嫌だから」という理由だった。選手寿命の短いサッカー選手の判断としては間違っており、稼げる時にできるだけ稼がなければならない。ただ、1人の幸せより多くの幸せを望むのが青木という男だ。

 新天地に決まった鳥栖には、長年愛用する疲労回復促進器具やパワープレートが設置されていない、と人づてに聞いた。自宅用に1台買えば用が足りるところ、青木はチームメートが練習場で使えるよう2台の購入を決めた。1台100万円以上もする高価な買い物だ。最終的には鳥栖の竹原稔社長が青木の心意気に打たれ、クラブで購入することが決まった。

 鹿島OBのDF内田篤人(28)=シャルケ04=は「青木さんみたいな人がいるチームは強いよね」と明かす。「不動心」と「犠牲心」は若手の手本となり、チームを引き締めるからだ。6月25日、第1S優勝を決めた福岡戦で青木は後半ロスタイムからピッチに立った。功労者にサポーターから万雷の拍手が降り注いだ。「最後まで鹿島でプレーしたい」という夢はかなわなかったが、新天地でも多くのものをチームにもたらすだろう。

 ◆青木 剛(あおき・たけし)1982年9月28日、群馬・高崎市生まれ。33歳。7歳から高崎FC中川でサッカーを始める。2001年に前橋育英高から鹿島入り。本職はボランチだがセンターバック、サイドバックもこなす。日本代表2試合出場。J1通算376試合出場8得点。183センチ、75キロ。右利き。血液型O。

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