日刊鹿島アントラーズニュース
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2016年9月7日水曜日
◆中田浩二「チャレンジは成功してこそ意味がある」(R25)
http://r25.jp/entertainment/00052628/
9月1日(木)からスタートしたサッカー「ロシアW杯アジア地区最終予選」。第1戦でまさかの敗北を喫した日本代表は6日(水)にアウェイでタイとの一戦に臨む(テレビ朝日系列で地上波生中継)。厳しい戦いが予想されるが、元日本代表で、現在は鹿島アントラーズCRO(クラブ・リレーションズ・オフィサー)を務めている中田浩二さんは「高い壁にこそ挑む価値がある」とエールをおくる(前編記事はこちらから)。
日本のW杯初勝利を呼び寄せたゴールの“真実”。
中田さんが日本代表に定着したころ、ナカタと言えば当時イタリア・セリエAで活躍していた中田英寿さんを思い浮かべる人が大多数だった。いわば、“じゃない方のナカタ”としてネタにされることも、しばしば。しかし、それに対しても中田さんは持ち前の「こだわりのなさ」を発揮して、いい具合にいなすのだった。
「そもそも、なんで、俺だけユニフォームのネームに『K.NAKATA』って“K”が入っているんだろうって。ヒデさん(=中田英寿)はシンプルに『NAKATA』なんですよ(笑)。冗談はともかく、苗字のおかげで自分のことも知ってもらえたし、ナイジェリアのワールドユースでも『ナカタ、ナカタ』って応援してもらえたし、なんか“役得”だったかなって。のちに代表でヒデさんと一緒にプレーすることになった時も、ヒデさん本人から同じようにイジってもらえましたから、つかみとしてはOKだったんじゃないかなと」
2人のナカタがともに名を連ねた日本代表は、2002年に日韓で共催されたワールドカップに出場。日本中の期待を背負って果敢にグループリーグを戦い、見事に2勝1分けで決勝トーナメントに進出するという快挙を成し遂げた。その一戦一戦はワンシーンごとに、中田さんの記憶に刻まれている。
「自分にとって遠くて憧れだった日本代表に入ってプレーすることもそうですし、まさか自分がワールドカップでプレーするというのは…まさしく夢のようでしたね。しかも日本で開催された大会ですから、1試合ごと鮮烈に覚えていますよ。ロシア戦でゴールにつながるクロスを入れたこともそうですけど、初戦のベルギー戦でFIFAアンセムを聴きながら入場してきた時の緊張と興奮は、今も生々しい感覚で残っていますね。ちなみに、ロシア戦のイナ(=稲本潤一)のゴールシーンって、ダイジェストだと僕のクロスから流れるんですけど、蹴るところはカットされちゃっていて、それが個人的には残念で(笑)。まあ…今だから白状しますけど、そのゴールの場面で蹴ったクロス、実はヤナさん(=柳沢敦)を狙ったわけじゃないんですよ。あの密集した中をピンポイントでヤナさんにグラウンダーのクロスが通ったというのは、偶然なんです。それをヤナさんが絶妙なタッチで落として、イナがいいタイミングで受けてゴールを決めてくれたという…。でも、自分の中では一生忘れられないワンシーンですね」
自国開催だった2002年は予選を免除されていたので、中田さんがワールドカップのアジア最終予選に挑んだのは、2006年のドイツ大会のみ。日本代表はアジアカップを連覇するなど屈指の強豪となっていたが、それでも簡単に突破できるほど予選は楽じゃなかった。
「アジア予選は、アウェイが厳しいんです。1~2週間しっかり準備して本番に臨めるわけでもないし、ピッチコンディションも日本とは全然違いますから。日本だとすごくいい環境でサッカーができるんですけど、アウェイは必ずしもそうじゃない。その中で慣れなくちゃいけない気温や湿度、いろいろなものが積み重なっているので、楽な試合は1試合だってないですよ。僕が参加したドイツ大会の最終予選はチーム数こそ4チームと少なくて、しかも2位までが本戦に出場できるというレギュレーションでしたけど、それでも楽ではなかったですね。そう考えると、今回はすごく厳しい戦いを強いられると思います。オーストラリアがいて、イラクがいて、UAEも強いし、タイも侮れない。ホームだと強いんですよね。湿度や暑さも日本とは質が違っているので、その辺りも敵になってくるんです。何が起こるかわからないのがアジアの最終予選ですけど、何が起こっても選手たちにはたくましく対処してもらって、壁を乗り越えてほしいですね」
いい意味でこだわりのない男のチャレンジは、まだまだ続く。
さて、中田さんは2014年限りで現役を引退し、現在はクラブ経営という立場から鹿島アントラーズにかかわっている。選手としてのキャリアを終えた後は、監督やコーチ、解説といった道へ進む人が多いなか、チャレンジ精神旺盛な性格からか、新たな道を選んだ。
「引退して現場(=監督や指導者)をやりたい人はたくさんいるんですけど、選手も事業や経営者的な観点でやっていくことが、日本のサッカーがこれから成長していくためには必要なことなのかなと考えていて。なので、ちょっと現場とは距離を置いて、経営や事業の面で、自分の培ってきたものを反映していけたらいいなと思っています。とは言え、まだまだ知らないことの方が多いので、とにかくたくさん勉強して、引退後の新たな選択肢をつくっていきたいですね。現在、岡田(武史)さんがFC今治のオーナーでいらっしゃいますけど、そういう人がもっともっと出てこなくちゃいけないですよね。コンサドーレ札幌の野々村(芳和)さんのように、選手からクラブの社長になった人もいますけど、基本的には親会社から来ている人の方が多いというのが現状なので、これからはワールドカップに出場した人がサッカークラブを経営する時代になっていかなきゃと思っています。選手はどんどん海外に行く、ワールドカップを経験した人が監督にもなっている、となると経営者もそうなっていくのが普通じゃないかなと。(ドイツのフランツ・)ベッケンバウアーや(フランスのミシェル・)プラティニみたいに、一流選手だった人が運営や経営に携わっているヨーロッパとの差はそこですよね。なので、日本のサッカーをもっと良くするために、新たなチャレンジをしているところですね、大げさに言うと(笑)」
サッカーに限らず、アスリートのセカンドキャリアは多くのスポーツで課題とされていること。そういった意味でも、中田さんの選択は注目を集めているのだ。
「Jリーガーにも様々な潜在的な能力があると思うんですよ。ただ、サッカーしかやってこなかった、勉強してこなかったからわからない、やりづらいという意識があると思うんですけど、やってみれば意外と…サッカー選手の方が試合を通じて修羅場をいくつも経験しているから、ある程度の猶予を与えてもらえれば、しっかりノウハウを習得していけると思うんですよね。勝負強さはみんな持っているし、人生経験も濃厚だと思うので、時間はかかるかもしれないですけど、可能性はあると思う。なので、僕のチャレンジは成功してこそ意味がある…と、自分にプレッシャーを掛けながら日々奮闘しています」
フィールドが違うところへ迷いなく飛び込んでいく姿は、それこそユーティリティープレイヤーだった現役時代と重なるところがある。積み重ねたキャリアのなせる業、と言っていいだろう。
「ポジションを変えられても、それをこなそうとすることで必ず学べることがあるんです。高校の時からずっとそういうカタチで成長してきたという実感があるので、今もいろいろなことに挑戦したいという気持ちが強いんでしょうね。これだけをやりたい、というのではなくて、様々なことに挑戦することで自分の幅が広がるし。それが良いのか悪いのかはわからないですけど、中途半端で終わりたくないんです」
その思考法は、30オトコにとっても役立つはず。たとえば、会社で異動を命じられて腐るのではなく、その先で何かが得られそうという発想に変換していけば、とらえ方も変わってくるだろうから──。
「正直、僕も現役の最後の方でサイドバックになった時は、『そんなに走りたくないなぁ』と思いましたよ(笑)。でも、チームのためにやらなきゃと思うし、いざやってみるといろいろなものが見えてくるので。だから、本当にマイナスなことってないと思うんですよね。でも、その人がネガティブに考えちゃったら、どんどんマイナスになっていく。そうじゃなくて、ほんの小さなところでもいいからいいところを見つければ、それがフックになって楽しくなっていく可能性も出てくるんじゃないか──そんなふうに考えているんです」
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