日刊鹿島アントラーズニュース

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2015年1月15日木曜日

◆【ジーコの想い】公私混同嫌った“頑固モノ” 最悪なのは「チームを私物化すること」(ZAKZAK)


http://www.zakzak.co.jp/sports/soccer/news/20150114/soc1501141550001-n1.htm



 ジーコは「監督として最悪なのはチームを私物化することだよ」とよく話していた。サッカーの監督には多くの権限が与えられ、負けるとすぐ解任という話になる。「クラブのためを思って」というセリフをよく使うのもまた監督。だが、権限は時に公私混同を誘発して、その見分けがつかなくなるのも事実である。

 選手として成功したジーコが引退した後、鹿島にはジーコの多数の「友人」が、選手、監督として売り込みをかけてきた。旧知の代理人もそうだった。直談判した光景を何度も目にしている。

 鹿島がブラジル遠征をしたとき、名門フラメンゴに在籍していた旧友のフィジカル・コーチが意気揚々とやってきて、「ジーコ、俺がアントラーズで(コーチを)やってやってもいいぜ」と売り込みをかけてきた。

 ジーコは「わかった。じゃあ、まずピッチに行ってウチのフィジカル・コーチ(当時里内猛氏)の仕事ぶりを見てほしい。彼よりレベルが上だと思ったら改めて言ってこい。その時は考えてやる」と話した。

 すぐにピッチに様子を見に出たこのコーチは、この後2度とジーコの前に姿を現さなかった。

 鹿島に来た監督で成功したのは、2000年に就任し、Jリーグ3冠王監督になったセレーゾと、07年から黄金時代を築いたオリヴェイラだ。いずれも当時の鹿島の状況を見てジーコが「彼らならアントラーズを強くしてくれる」と、送り出した人物だった。

 実はジーコは2人と公私で深いつきあいがあるわけではない。セレーゾは「監督業」として駆け出しの身。オリヴェイラもブラジル以外では監督をした経験がなかった。

 ジーコが公私混同を嫌ったのは監督の売り込みだけではない。02年に日本代表監督に就任した際、3人の息子たちはブラジルで選手の代理人業務を含んだサッカービジネスで生業をたてていた。そこでジーコは「日本代表には直接関係ないが、日本を指揮する監督の家族が選手関係のビジネスをしているのは気持ちのいい話じゃない」と、いきなりその仕事をすべて辞めさせてしまったのだ。これには驚かされた。

 ブラジル人といえば「アバウト」というイメージがあるが、ジーコはすべて正反対。「俺の生き方の基本? それは全て仕立屋の職人だった父親から学んだもの。だからあらゆる面で頑固だろ」と笑うのだった。 (元日本代表通訳・鈴木國弘)

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 「PENSAMENTO POSITIVO」(ペンサメント ポジティーボ)はポルトガル語で「ポジティブシンキング」「頑張れ」の意。ジーコがよく色紙に書く言葉の1つ

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