日刊鹿島アントラーズニュース

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2021年6月17日木曜日

◆土居聖真が小笠原、内田、曽ヶ端から学んだ「鹿島イズム」の真髄(Sportiva)






 ジュニアユース時代から数えれば、鹿島アントラーズに在籍して17年目、トップチーム昇格から数えても11年目になる。初々しいころから見守ってきたファン・サポーターにとっては、土居聖真が29歳になったと知れば、年月を感じることだろう。

 その年月はプレーの頼もしさとなり、チームを背負う気概は言葉の重みとして、端々から感じ取ることができる。


「土居聖真インタビュー@前編」はこちら>>


 今や誰よりも鹿島を知るだけに、「3年前」という単位を聞いて、触れないわけにはいかなかった。3年前の2018年は、クラブのレジェンドである小笠原満男がスパイクを脱いだタイミング。土居の意識が変わったことと無関係ではないのではないか----。実際、彼は小笠原の引退会見にも足を運んでいたからだ。

「一緒に過ごしてきた財産は、ずっと変わらず自分の心にあるので、それがあればいいと思っていました。でも、純粋に(引退会見に)行ったら喜んでもらえるのではないかとも思ったんです。いつか自分が引退する時にも、後輩が来てくれたらうれしいですからね。

 そうした思いもあったので、満男さんの時も、(内田)篤人さんの時も、ソガさん(曽ケ端準)の時も引退会見に行きました。満男さんの時は『やっぱりやめません』って言わないかなぁと思っていたんですけど、言いませんでしたね」

 その2018年に小笠原を見送ってから、昨年8月には内田、同12月には曽ケ端と、クラブのレジェンドが引退する瞬間を見届けてきた。今の土居がチームに対して厳しい言葉を投げかけ、チームのことを考えて行動する姿勢には、そうした先輩たちから受け取ったメッセージがある。

「満男さんとは同じ東北人だからか、感じること、思っていることが似ている部分がありました。人を見ていないようで見ていた人でしたから。全体が見えていたんだと思います。

 自分も齢を重ねて、昔はわからなかったものがわかってきた。それはチームメイトのことだけではなく、鹿島アントラーズというクラブ全体が見えるようになってきたこともひとつ。だから、いいところだけでなく、もっとこうしたほうがいいと思う部分も含めて、自分も補うことができればと思うようになった。いいところも悪いところも盗んで大きくなろうと。

 姿勢というものは、ピッチでしか示すことはできないですけど、たとえば自分がカシマスタジアムでハットトリックした姿を見て、後輩やアカデミーの選手たちが『いつか自分も』と思ってくれたとすれば、鹿島の未来はきっと明るい。その連続だと思うんですよね。自分もそうでしたし、アントラーズの歴史はそうやって紡がれてきましたから」

 若い時から背中を追いかけ、追い越そうと見続けてきただけに、彼なりに感じていることもある。

「満男さんは、自分が汚れ役を買ってでもチームの輪を作るのが本当に上手でした。篤人さんもそうでしたけど、ピッチの外に出れば、自分がふざけてでもチームの雰囲気を作ろうとする。ピッチに入れば、試合も紅白戦も真剣にやる。その姿は、本当に勝つためにすべてを注いでいるように見えた。

 オンとオフの切り替えがはっきりしていて、ピッチ外でも、いつもみんなのことを気遣っていた。それも決して上から目線ではなく、同じ目線に立ち、チームを和ませようとしていた。ほかにもそういう先輩たちはたくさんいましたけど、決して簡単なことじゃない。

 そのなかでも、篤人さんは見てきたこと、経験してきたことが世界基準だったので、ひとつひとつの言葉に説得力もあった。でも、僕のなかでは、満男さんも、ソガさんも、篤人さんも、3人とも似ているんですよね」

 それぞれから何を学んだかを聞こうと考えていたが、土居の言葉を聞いて、無粋だと思ってやめた。その共通点こそが、きっと"鹿島"だと感じたからだ。

「最終的に3人のことを考えていくと、"根性"という言葉に行き着くんです。言葉にすると安っぽく聞こえるかもしれませんが、満男さん、ソガさん、篤人さんのことを整理した時に思ったのは、結局のところ、そこだった。3人ともベクトルが常に自分に向いていた」

 土居は、根性論を持ち出したいわけではない。根性という言葉が持つ本来の意味----語ってくれたのは、挫けない心根についてだった。

「3人に言えるのが、『みんな一緒に仲よく手をつないで、がんばろうぜ』ということではなかったんですよね。どちらかというと、そのベクトルがいつも自分に向いていて、常に自分に対して『もっと奮い立てよ。もっとやれよ』という人たちだった。

 だから、僕が言いたいのは、そういう意味での根性なんです。だって、ソガさんは身体がボロボロでも練習を休まなかったし、それでもスーパーセーブを連発していた。満男さんもそうでしたけど、多少痛いところがあってもグラウンドに立つし、そこで結果を残す。それは篤人さんも一緒。僕が思う、僕が学んだ鹿島イズムというのは、そういうことだと思う」

 それこそが、土居が受け継いでいる姿勢にもつながっているのだろう。

「だから、内側から醸し出されるもの、溢れ出るものだと思います。自分にベクトルを向けていた3人に共通していたのは、決して人のせいにしないところだった。そうした姿勢も、見せようとして見せていたわけじゃない。僕はそれを勝手に見て感じていただけ。でも、その感じられるか、感じられないかも大切だと思います」

 たとえばだが、試合に出られない理由を外に向けてしまうのは簡単だ。プレーで結果を残せない原因を周りのせいにしてしまうのも簡単だろう。だが、それでは自分のためにも、チームのためにもならない。土居が3人のレジェンドから教わったというよりも、感じ取ったのは、いいときも悪いときも自分に矢印を向け続ける、まさしく"根性"(心根)だった。

「ただ単純に『負けず嫌い』なだけだとも思うんですけどね(笑)。でも、そういう意地や根性が3人にはありました。自分も3年前くらいから、『人に言う前に、まずは自分』と思うようになって、自分にベクトルを向けるようになったら、プレーにも好影響を及ぼす試合が多くなった。ちょうど、満男さんが引退するか、しないかという時期に、そう感じたんです。

 サッカーは個人競技ではなく、11人でやるスポーツなので、人のせいにしたくなる時ってあると思うんですよね。でも、そこをグッと堪えて、自分に矢印を向ける。僕がリーグ優勝を経験したのは2016年の一度だけですけど、あの時のチームは自分に矢印を向けている選手が多かったなと、今振り返るとあらためて思います」

 自分に矢印を向けて、もっと、さらに、そして次は、と追求してくことで成長していく。それがひとり、ふたりと増えていくことで、土居が言うようにチームの矢印は方向が揃い、そして太くなっていくのだろう。

「しかも、それを1年間続けていくことが大事。今だけがいい、というのではダメなんです。自分も若い時は、この時期は調子がいい、この時間帯まではプレーの質がいいということがありましたけど、90分通して力を発揮できなければいけないし、1年間継続していかなければいけない。チームとして、それができた結果が、タイトルにつながっていく」

 そう言って土居は、自分の若かりしころを思い出す。

「まだ、試合に出られなかった若い時、(岩政)大樹さんに言われたんです。『どうやったら試合に出られると思う?』と。それで考えていたら、『チームメイトに認められることだ』と教えてもらった。

 今日、明日だけいいプレーをするのではなく、ずっといいプレーをしていくことでチームメイトに認められていく。そうすることで、監督にも認められれば、チームメイトから信頼され、パスも出てくるようになる。その言葉を聞いてからは毎日、大樹さんに『お前、いいな』と思われるように練習していた。そうやって続けていたら、プロ3年目の夏かな。試合に出られるようになったんです」

 チームメイトが認める選手。それは、土居が背中を追いかけた3人にも共通している。そして、守備というプレーでチームを助け、攻撃ではゲームを作る土居のプレーもまた、それを体現している。

「チームは結果も含め、いいときも悪いときもある。今のチームには若い選手も多いので、苦しい時には顔を下げてしまう選手もいると思います。

 でも、そうした時に、首根っこを引っ張ってでも顔を上げろと言って、次の試合に勝つための準備をしていきたい。ひざに手をついてしまう選手がいれば、引っ張ってでも前を向かせて、一緒に進んでいきたい。今の自分がそういう立場にあることは、自覚しています」

 最後の言葉を聞いて、今の彼に話を聞きたいと吸い寄せられた気持ちが確かだったことを実感した。来年には節目の30歳になる。鹿島で育った彼は、先輩たちの背中から自ら感じ取り、鹿島らしい選手になった。

 背番号8が、プレーで、姿勢で、そして背中で、チームを牽引していく。


【profile】
土居聖真(どい・しょうま)
1992年5月21日生まれ、山形県山形市出身。2011年、鹿島アントラーズユースからトップチームに昇格。柴崎岳や昌子源などが同期。2014年にトップ下のポジションに定着し、2015年から伝統の背番号8を背負う。2017年には日本代表に初選出され、12月の中国戦で代表デビューを果たす。ポジション=MF、FW。身長172cm、体重63kg。




◆土居聖真が小笠原、内田、曽ヶ端から学んだ「鹿島イズム」の真髄(Sportiva)





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