【多事蹴論(17)】“孤高のストライカー”に課せられた使命とは――。フィリップ・トルシエ監督が指揮を執った2002年日韓W杯にも出場した日本代表FW鈴木隆行は、強靱なフィジカルを生かしたダイナミックなパフォーマンスを武器に初めてプロ契約したJ1鹿島をはじめ、ブラジルやベルギー、セルビア、米国など国内外のクラブでプレーした。
その一方、鈴木は得点を求められるストライカーでありながら、なかなかゴールを量産できなかった。日本代表には選出されるものの、国際舞台でも得点はわずかとあってサッカー界からは鈴木の選出に不満の声が出ることも多かった。また、代表活動中はほとんど取材に応じることがなく、記者泣かせの選手としても知られていた。
そんな中、04年にジーコ監督率いる日本代表は連覇をかけて中国で開催されたアジアカップに臨んだ。鈴木もメンバー入りした同大会は現地で反日感情が高まる中、試合中に地元民から激しいブーイングを浴びせられるなど、中立地ながらも完全アウェー状態。それでも日本代表は2勝1分けの首位で1次リーグを突破し、決勝トーナメントに進出した。
そんなある日のトレーニング終了後、鈴木が珍しく、報道陣の取材に応じる機会があり、自らが日本代表で求められている役割について「自分はなるべくゴールの近くでボールをキープすることが仕事なので。そこで粘ってファウルをもらうのが自分の役割。そこをしっかりとやっていきたい」とコメントした。
ジーコ監督時代の日本代表は10番を背負う“天才レフティー”のMF中村俊輔やMF遠藤保仁といったFKの名手が揃っていた。実際に俊輔、遠藤がキッカーを務めるセットプレーから多くの得点を奪取していたが、2人のキッカーの能力を最大限に生かすにはCKやFKの機会をつくらなければならない。その役割こそがアジアカップで鈴木に託された使命だったわけだ。
プロの世界で「FWは数字でしか評価されない」と言われている。それだけに鈴木も日本代表で強引にシュートを狙いたい場面もあったことだろう。それでも常に最前線で敵DFの激しいチャージを受けながらも体を張ってボールを保持。相手のファウルを誘発し、FKのチャンスを得て、自慢のキッカー陣に“バトン”をつないでいた。
日本代表は鈴木の活躍もあって決勝に進出。ホスト国の中国を相手に3―1で完勝し、見事に連覇を果たした。同大会では俊輔がMVPを獲得し、GK川口能活やDF中沢佑二の活躍がクローズアップされたが、自らのエゴを封印し、日本代表を勝利させるため“犠牲”になった鈴木の奮闘も忘れてはならない。
◆04年アジア杯連覇〝陰の立役者〟鈴木隆行 ゴールよりファウルの献身プレー(東スポWeb)