明治安田生命J1は今週末、2022シーズンの最終節を迎える。
京都サンガF.C.は現在16位。17位の清水エスパルスとの勝点差が2ポイントであることから、プレーオフ行きだけでなく自動降格の可能性も残っている。
最終節、すでに降格が決まった18位ジュビロ磐田とのアウェイゲームは、残留をかけた大一番だ。
そこでQolyは、こういった状況でたびたび大きな仕事をしてきたアタッカー、京都の豊川雄太を直撃!
インタビュー前編となる今回は、京都サンガへの加入や類まれなゴールセンス、鹿島アントラーズとファジアーノ岡山時代、そして日本が劇的優勝を遂げたU-23アジア選手権の記憶などを中心に聞いた。記事ではその一部を紹介する。
(取材日:2022年10月25日)
――(前略)豊川選手は2013年、熊本の大津高校から鹿島アントラーズへ加入されました。植田直通選手と同級生で、同じ高校から同じプロチーム、しかも鹿島のようなトップクラブへというのはなかなか珍しいです。たまたまそうなった感じだったのですか?
そうですね。当時、植田選手は代表にも行っていて、争奪戦みたいな感じでした。一方僕は全然無名というか、プロにもなれるかなれないかくらいのところをさまよっていました。
大学に進学しようかなという考えもありましたが、その中で鹿島が声かけてくださって。もう全然迷うことなく「行く」と決めました。
植田ももちろん鹿島にとなったので、まあ嬉しかったですね。二人で鹿島というのは。
――鹿島は練習などの厳しさがよく聞かれます。豊川選手は高卒で入ってどんなふうに感じましたか?
厳しかったですね。今思うと緊張感がすごくありました。何かもう付いていくので必死だったのは覚えています。
練習が終わって、また次の日の練習をどうするか。その繰り返しでしたね。
――求められる基準の高さみたいなのをひしひしと感じました?
当時すごい選手もたくさんいました。小笠原満男さんだったり本山雅志さんだったり。
練習でお互い言い合いみたいになる時も…僕が言うことはなかったんですけど、言われて他の選手が言い合いになるみたいなのは普通にありました。
その中で「どうやったら試合に出られるか」を考えた3年間でもあったかなと思います。
動画では他にも、今年京都へ加入した理由や、日本人離れしたゴールセンスの秘訣、同級生の植田直通とともに加入した鹿島、激闘の末に頂点に輝いた2016年のU-23アジア選手権、さらには現鹿島監督の岩政大樹の存在も大きかったファジアーノ岡山時代など、たっぷり聞いているのでそちらもぜひ!
なお、遠藤航など一緒にプレーした現日本代表選手や、ハットトリックを決め「ミラクル残留」の立役者となったオイペン時代などについて聞いたインタビュー後編の動画はYouTubeの『Qoly公式Ch.』にて近日配信予定なのでこちらもお楽しみに。
京都サンガF.C.は今週末の11月5日(土)、J1残留をかけてジュビロ磐田とのアウェイゲームに臨む。